時戻素

昔の跡,やがてなくなる予定のもの,変化していくもの,自身の旅の跡など・・・

(No.63) 1枚の写真が語る変化

2009年01月21日 22時38分02秒 | 風景
下の写真は2008年11月27日に撮ったものだ。


この場所,団地のスーパーが集まっている部分ではあるのだが,かなり変化している。


例えば・・・


・向かって右側の赤い看板の弁当屋。


 フランチャイズの会社が独立したものだが,もともとここに店舗はなかった。
 
 写真の中央部の電信柱の左側に黄色い看板が見える。

 これも弁当屋だ。

 もともとこの団地には2店舗H亭があったが,フランチャイズ会社が異なっており,ここの赤い店舗は奥の黄色い店舗と張り合うために出てきたものと思われる。



・ 写真左側のバス停の後のビル
 
 今はクリーニング屋とカット専門店になっている。

 しかし,少し前まではコンビニFだった。

 この団地,以前はコンビニFが異常に多かった。
 それに対してコンビニLは現在は1店舗もなくなっている。


・ 写真左奥のスーパー。
 鹿児島市外では,かなり勢いのあるスーパーだが,鹿児島市内では立地のいい谷山店以外は店内も閑散としていた。

 とうとうここの店舗も閉店となってしまった。
 小学校の頃,おつかい学習でニラとネギの区別に悩んだことがなつかしい。

・ 歩道のタイル
 日の照り返しを考慮したもので全体的に増えている。


1枚の写真に入る範囲でも結構変化しているものが多い。

(No.62) 謎のガードレール

2009年01月20日 18時08分50秒 | 風景


郡元駅から紫原の方向へ行くと,新川を超えてしばらくのところから坂がはじまる。

その坂の脇にはガードレールがある。


(2008年11月25日撮影)


さて,この坂を歩いていた場合,ガードレールの外側と内側どちらを通るだろうか?




ちなみにここから上に行くと,カーブの先でこうなっている。







(2008年11月25日撮影)


このガードレール何のためにあるのだろうか?



自分はなかなか学習しないようで,三度このガードレールの行き止まりまでいったことがある。

(No.61) 【遡上】 新川(鹿児島市)編 ~その2~

2009年01月19日 08時56分45秒 | 遡上
【遡上・鹿児島市新川】の記事一覧
その1その2 その3 その4


 前回の記事がかなり前になってしまったが,その1からの続き。(支流の彦四郎川編が事実上のその2かもしれないが・・・)


(2008年11月28日撮影)

 その1でも少し触れた鶴ヶ崎橋。
 鶴のイラストが描かれている。昭和の初め頃に埋め立てられるまでは,この辺は砂浜だったことがかつての地形図から分かる。鶴の絵が描かれているが,鶴が飛んでくる岬だったのかもしれない。
 その橋から川の方を見てみる。


(2008年11月28日撮影)


 アヒルが泳いでいる。今でもよく見られる。

 そこから上流へ向かっていったところ。
 市電の涙橋電停の上流側にある碑。


(2008年10月21日撮影)

 涙橋血戦の碑という名前だ。
 西南戦争で薩摩軍が熊本で敗れた後,薩摩軍が鹿児島に帰ってきたときに,鹿児島は官軍に占領されていた。涙橋近くの高地では,枕崎出身の薩摩軍の兵士が官軍と応戦した。兵器が古く,弾薬も不足していたにもかかわらず,奮戦し,6時間近くに渡って戦いは及んだ。結局,兵士90人が戦死した。この碑はそれらの兵士を供養するために1927年に建てられた。そのことから,かつて書いた「紫の原の怪談」の記事との関連も考えさせられた。残った兵士は紫原方へ退却したようであるし。
 また,涙橋という名前も,江戸時代に橋の先に刑場(脇田川沿いの谷)があり,罪人と家族が最後の別れをしたのがこの橋のたもとだったことに由来しているという。

 碑の場所からJRの線路を渡った辺りから川底を撮影した。


(2008年11月10日撮影)


 洪水対策のために,河底が低くなっている。
 かつての河床は,コンクリートの色が変わっている付近の高さであった。
 工事中は川原にクレーンが入り,クレーンが通行するための道も作られていた。このせまい空間に良く入ったものだと思う。

 写真の奥に見える橋の名前は・・・

(2009年1月31日撮影)※画像は2009年2月12日追加


「墓地入口橋」である。墓入口橋ではない分まだマシな気もするが,墓に入るような印象を受け,知人と縁起が悪くないかという話をしたことがある。なお,この橋を渡ったところに郡元墓地の入口があり,紫原へ抜けることもできる。
 郡元墓地上からの風景。


(2009年1月10日撮影)


 郡元墓地周辺の新川沿いには下の写真のような場所がある。


(2008年11月10日撮影)


(2008年11月10日撮影)

 新川の改修工事に伴って,県所有の空地を住民の憩いの場として提供されたものということだ。

 少し上流へ行くと,唐湊橋がある。
 橋に描かれているイラスト。


(2008年10月26日撮影)

 船の絵が描かれているが,漢字通りかつてここは唐へ向かう湊(港)だったようだ。当時の海岸線などが分かれば面白そうだ。

(その3へ続く)

(No.60) 開くべきか閉ざすべきか

2009年01月18日 02時36分33秒 | 過去になる現在
注:カテゴリは「過去になる現在」ですが,厳密には「過去になるかもしれない現在」です。

昨日からある戦いが始まった。
たまたま朝に目が覚めていたので,早朝の戦いの場へと足を運んだ。ブログの更新時間とかを見ても分かるように完全な夜行性なのだが,朝の空気に触れたり,日が昇る前の街並みや雰囲気,朝日が昇る瞬間を見たりするのは気持ちがいい。

 さて,戦いというのはニュースでも取り上げられたセンター試験のことだ。4年前の今頃(1時00分頃)は,2日目に備えて,早く寝ないといけないと分かっていて,布団には入っていたのだが,寝付くことができずに,眠くなるまで,最後の見直しをしていた。眠気を感じて寝ようとしたときに突然嘔吐と下痢が襲い掛かった時間だったと思う。病院へ行き,点滴を受けてから,試験へ臨んだ。何の予兆もなかったことから,急性胃腸炎だったのではないかと言われた。そんな思い出ももう4年前のことになってしまった。
 そのセンター試験会場の早朝の様子だ。


(2009年1月17日6時40分撮影)


(2009年1月17日6時43分撮影)

 会場となった大学の2つの門付近の様子。
 流石に受験生の姿はない。予備校の車が停まっていて,忙しそうに横断幕をつけていた。
 この横断幕をつけていた予備校職員のせわしげな様子を別の場所でも見ることとなった。
 その場所がここ。

(2009年1月17日7時11分撮影)

 警備員が打ち合わせをしていた。
 横断幕が写真左に見える。横断幕はぜんぜんさりげなくないし・・・
 勝ち方がどうかはわからないけど・・・
 この予備校も最近は小・中学生まで指導範囲を広げている。
 


 この試験会場は,玉龍中であり,小学生の戦いの場だ。適性検査はかなり難しく,大人でも(大人だから)できないものもある。

 例年は中学入試はセンター試験の1週間前にあるのだが,今年は同じ週になった。翌日は附属中の試験。その附中を設置している大学はセンター試験の会場で,数年前は附属中の校舎までセンターで使ったことがあるのに場所の確保が大丈夫なのかと思う。工事中の学部もあるし・・・とにかく,今日(18日)の大学近辺は高校生,小学生と引率者,保護者であふれそうだ。

 その後,再びセンター試験会場の脇を通った。先ほどと同じ場所の写真。


(2009年1月17日8時50分撮影)



(2009年1月17日8時48分撮影)


 受験生はほぼ入室完了していなければならない時刻で,遅れてきている生徒以外は見なかった。
 予備校職員が退散をし始めていた。
 その他,地域住民など受験に関係がなさそうな人の姿も見られた。
 予備校職員は挨拶運動のように誰にでも挨拶をしていた。

 さて,前振りがかなり長くなったが,タイトルにある本題を考えたい。
 
 8時50分の大学の門の写真と最近起こった事件との関わりだ。
 この写真の日は入試の日で特別な日ではある。
 しかし,普段も入口に警備員(主に自動車進入ゲートの管理)が数人立っているだけで自由に立ち入ることができる。もちろん,自動車以外の場合は何のチェックもない。誰でも無断で入ることが可能だ。しかも,入口を完全にふさぐ門扉がないので,完全に閉鎖されることもない。
 先日の中央大学での事件を受けて,今後大学構内への立ち入りの規制が検討されるかもしれない。しかし,小さな町村の人口ぐらいいる学生の学生証をいちいちチェックするわけにもいかないし,そもそも大学は地域に貢献する役割を持っている。地域との関わりが大切な中で,地域とのつながりを絶つようなことはできまい。
 小中学校では,池田小の事件を受けて,門が閉ざされることになり,附属小・中では警備員も置かれるようになった。
 大学の場合は,どうなるのだろうか?今後の対応が楽しみでもある。

(No.59) 高麗橋~中郡~紫原~桜ヶ丘

2009年01月17日 00時00分11秒 | 過去になる現在
郡元墓地の端の方から崖の下の方を眺めてみた。


(2008年11月25日撮影)


別の方向から。

(2008年11月25日撮影)


 家が壊され更地になっている土地と高架橋の脚のようなものが見えるが,ここに陸橋ができる予定になっている。
 これが完成することにより高麗橋~中郡~紫原~桜ヶ丘が一本の大きな道路により結ばれる。
 だいぶ家が壊された状況においてもどのように道路ができるのかまだ見当がつかない。 


(2008年11月25日撮影)

 陸橋が完成すると,JRの線路を踏切で越える必要がなくなる。
 この踏切,下り列車は郡元駅停車中も遮断機が降りる上に,車の通行量も多いので渋滞の原因となっていた。
 この踏切から電車通りの方へ向かうとこの陸橋への入口ができるであろう交差点(中郡電停)に着く。そこから陸橋の方を見てみる。


(2008年11月25日撮影)

 現在は幅の広い歩道になっているが,ここが将来的に道路になるのだろう。

 となると,正面に見える建物が邪魔になる。

 この建物の店は土地区画による移転を粘っているのだろう。
 周りの家はほとんど移転してしまい,すでに陸橋の脚が立っている。
 この店もいつまで持つのだろうか?




(2008年11月27日撮影)

 完成後は旧道となる道を登っていき,紫原の少し手前のカーブ。
 
 斜面がコンクリートで固められている。

 ここも2年前はまだこんな感じだった。


(2006年9月8日撮影)

 同じ場所を上から見たものなので印象が異なるが,すぐ下に見える道路の幅が広がり,手前のもともと家のあった場所の段がなくなっている。

 この道も幅がせまく,カーブも多いわりに通行量はかなり多い。
 陸橋の完成により渋滞も緩和し,通行人もより安全に歩けるようになるだろう。

(No.58) すりっと!

2009年01月16日 23時58分00秒 | 現在の中の過去
※2009年1月26日編集

 ある身近なものに空いていた穴から見える光景(?)を撮ってみた。(注:自分の家のものを使用している。)



 何の穴か分かるだろうか?



 きれいな四角形ではなく,上のほうが斜めに切れたような形になっている。



 もちろん,この形も利便性を考慮したものと思われる。



 この写真からは分かりにくいかもしれないが,スチール製の板が2枚重なりあっている。


 この2枚の板は,力を加えることによってお互いに離すことが可能だ。


 

 さて,これが何の一部であるか分かっただろうか? 






 正解は・・・・






 郵便受けの扉を固定するためについている部分に空いている穴だ。(注:自分の家のものを使用している。しつこいかもしれないが,他人の家のもので同様のことをするとあらぬ疑いをかけられるため。)自分の家のものでも怪しいというつっこみはご遠慮下さい・・・


 もちろん,この穴無意味に空けられたものではない。


 使用例を見たことのある人なら分かるだろうが,わざわざ引っ越した時などに説明をしてくれるわけでもないので,使い方を知らなければ知らないままということもありえるかもしれない。
 自分自身も幼い頃,ポストのこの部分に穴が空いていることに気付いた。集合ポストであったので,近所の世帯のポストも必然的に目にするのだが,どこもこの穴を活用している世帯はなかった。友達の家に遊びに行ったときも,同規格の集合ポストは見ているのだが,そこもこの穴を活用していなかった。(色んな場所を見てきた今,考えてみるとこのような環境の方が珍しいようだ。) 
 この穴の使い方に気付いたのは,友達と近くの団地内の公園で遊んでいたときだった。建物を通り抜けした時に,1階の集合ポストの横を通った。そのとき,いつも見ていたのとは違う光景をみた。
 例の穴を活用している場面だった。


 この穴にあるものが通されていた。







 南京錠だ。




 まだ世の中のことを少しも知らない子ども(確か幼稚園児か小学校低学年の頃)にとって,郵便ポストに鍵をつける意味は理解できなかった。ポストにつけられた鍵が「絶対に開けさせないぞ!」と言っているように思え,(もちろん人様のものを開ける気は全くないのだが・・・)鉄のイメージも重なって,冷たさを感じた。団地に住んでいたので集合ポストはどこにでもあった。他のところを見ても,鍵がかかっているところはそれなりにあった。しかし,鍵をかける,かけないは場所によって違った。しかも,鍵のかかったポストのあるところはほとんどの世帯が鍵をかけているし,鍵のつかないところは周囲も含めて1件も鍵をつけていないことが多かった。この結果を受けて,何も知らない子どもは「鍵がたくさんついているところは物騒なところかお互いのことを信頼できない場所なのかもしれないな」と勝手に思いこんでいた。実際に全ての世帯が鍵をつけているところもある。(写真は最近のもの,個人情報に関わる部分はモザイクをしてある。)





 さて,その何も知らなかった子どもも現実を知る場面が来る。


 中学1年の頃だったと思う。近所の方から電話があった。

 「子ども達が郵便ポストを開けて遊んでいるようなので,鍵をつけた方がいいかもしれないです。」という内容だった。


 子どもにとって,開いたり閉じたりするものを開けたり閉じたりすることは楽しい。しかも,子どもは人に家のポストを開けたらいけないことに気付かないかもしれない。悪意はなくとも,もし中に入っていた郵便物が外に出てしまうこともありうるだろうし,場合によっては中身を持ち去ることもしてしまうかもしれない。無知の子どもの悪意のない行動の危険さが分かった。


 数日後には,ポストを共有していた10件中8件に鍵がかかった。


 しかし,半年ぐらいすると鍵をかける世帯の数は半分ぐらいまで減った。鍵の四角い部分が当たってつるの部分を穴に通すのは意外と手間が掛かるし(先述の穴の上の部分が斜めに切れているのは鍵を通しやすくするためと思われる),人の目が多いためにその必要もないと感じたのだろう。その後も鍵の数は減り続けた。


 個人情報の悪用が頻繁に起こる世の中になった。郵便ポストの中には個人情報がたくさんつまっている。しかも,自分だけの情報ではない,手紙の差出人の個人情報も入っている。個人情報の漏洩を防ぐために,自己防衛をしておくことも必要だろう。しかも,ポストを開けることができるのは近所の人だけではない。全く関係がない人でも,中身を取って車で消えてしまえば誰にも気付かれずに個人情報を盗める。ストーカーが後をつけて,ポストを開けることもあるかもしれない。
 もちろん鍵をしていても,(特に底が浅いポストでは)上から手や道具を使われればとられることもあるかもしれない。でもないよりは確実に手間がかかる。(興味がなくても,なぜか鍵のかかっている場所に興味をもってしまう性質がある人<結構多いはず>には,逆に興味を引き立てるだけかもしれないが,面倒なことまでしてとろうとはしないだろう。もちろん,立派な犯罪であるし。)
 それを考えると配達ミスは絶対に避けてほしいものだ。


 そんな世の中においても,何も知らない幼い子どもを育てた場所では今でも鍵があまり見当たらない。それどころか下の写真のように1件も鍵をつけていない箇所が2箇所もある。



 これからますます危険な時代になっていくこともありえる。このような光景は,そのうちに見られなくなるかもしれない。


(以下2009年1月26日追記)
という記事を書いた後に,このような事情を考えるととんでもないポストがあった。


 裸の状態で郵便物,新聞やチラシが差し込まれている。しかも,ポストのある場所は道路に面したアパートの壁につけてある。鍵をかける以前にふたすらない。被害とかはでてないのかなと思う。

(No.57) 川跡

2009年01月15日 17時56分32秒 | 遡上
川の遡上をするようになってから,それまではほとんど意識していなかったものを意識するようになった。



(2008年12月15日撮影)


建物と建物の間にコンクリートのせまい道が作られている。



(2008年12月15日撮影)


道路の一部分だけ色が変わっている。




昔の地図や近くにある川が地下へと流れている方向を推測してみると,これらの下には暗渠となった川が流れていると考えられる。


意識して見てみるとこんな場所は結構見かけられる。


熊本平野や八代平野などの地図を見たときに小さな川がたくさん描かれていてこんなにもたくさん川があるのかと驚いたことがあった。


だが,このような川の跡が結構残っているのを考えると,かつては結構な数の川があったのかもしれない。

(No.56) イラストでみる枕崎・指宿

2009年01月14日 03時38分00秒 | 旅・散策の足跡
 2006年の5月,鹿児島~川辺~枕崎~指宿~鹿児島の合計150km近くを自転車で回った。時間は枕崎まで3時間半,指宿まで4時間,鹿児島まで3時間ぐらいだったように思う。
 枕崎からはほぼ線路沿いを移動したので,駅を移動距離の大体の指標としていた。駅といっても枕崎~山川間は下の写真のようなものばかりだが・・・

(2006年5月21日撮影)

 以前も少し触れたことがあるかもしれないが,駅名板にイラストが書かれていることがある。そのイラストはよく知られているものから,本当に有名なのかと疑いたくなるようなものまである。今回の記事では,このときのルートに沿ってイラストをもとに地域の名物などを見ていきたい。なお番号は,枕崎から数えた駅の番号を示している。


1 枕崎 【火の神公園】
火の神公園に立神岩はある。
駅からはかなり遠くにあるが,標高42mあるために,市の中心街の海岸からでも見ることができる。航行などにおいても重要な目印となる。


この間に海沿いで旧知覧町を通る。海のイメージの少ない知覧だが南部は海に面している。

6 頴娃大川 【キス釣り】
 ちょうど,旧知覧町と旧頴娃町の町境付近に大川集落がある。漁業の町のイメージはしないこともないが,キス釣りが名物と言われても正直イメージが湧きにくい。


7 水成川 【えび】
 番所鼻近くのリアス式海岸は伊勢海老の天然のすみかとなっている。また,イラスト背後に描かれているのは開聞岳だろう。伊能忠敬が三国名勝図会で賞賛した風景であり,開聞岳を臨むことができる。



8 石垣 【お茶の特産地】
 旧頴娃町,旧知覧町は茶の産地となっている。
 このイラストは他のものよりも砕けた印象を受ける。
 背景には開聞岳と思われる山が描かれている。

この間に上の写真に出てきた御領駅を通る。自分のバイト先の前のボスが好きだといっていた駅だ。集落の中にあり,国道からのアクセスの仕方もやや複雑になっている。

また,山川までの区間において唯一駅舎があり,乗り場が2つある西頴娃駅もある。時間帯指定で有人駅となっている。
頴娃よりも西頴娃の駅前の方が中心街となっている。


11 頴娃 【茶】
特産品である茶に関するイラストで,石垣のものとはデザインが完全に異なっている。



この間に旧開聞町を通り,旧山川町へ入る。旧開聞町の駅にはイラストは描かれていない。開聞岳のある町ではイラスト化されていない開聞岳が,隣の2町では,イラストに描いている。

16 西大山 【開聞岳と菜の花と方位磁針と日本列島】
 開聞岳と菜の花のロケーションと一緒に,JR最南端の駅であることもイラストに含めている。沖縄のモノレール駅が開設されたことを受け,本土最南端の駅とされたが,沖縄は本土ではないのかという指摘からJR最南端と何度か表現が変わっている。駅から見える開聞岳がきれいだ。



17 大山 【うなぎ池】
池田湖の横に見える小さな池がうなぎ池で,駅とは少し離れている。
また,うなぎ池の周辺には鰻温泉がある。
イラストの背後には開聞岳と思われる山が見られる。


18 山川 【つまべに蝶】
日本のシロチョウの中で最大の種類であり,別名「幸せを呼ぶ蝶」と言われている。分布の北限は九州南端部である。駅周辺にも飛んでいる時期があるそうだ。


19 指宿 【ハイビスカスとフェニックス】
 両方とも南国のイメージを強く出している指宿市では頻繁に見る植物だ。




20 二月田 【殿様湯】
島津家の行館と関わりのある古くからの由緒のある温泉。歴史のある温泉の他にも砂蒸しや健康志向の温泉など,指宿には多様な温泉が存在しており,幅広い年代のニーズに合わせられるようだ。


21 宮ヶ浜 【日本一海に近かった駅】
 現在駅前は埋立地だが,かつてはイラストのように堤防を挟んでその向こうは海だった。指宿へ行くときはこの駅に寄ることが多いが,この風景を見るたびにがっかりしている気がする。
cf.(No.23)海に近い駅




23 生見 【生見海水浴場】
駅から北の方に海水浴場があるが,結構距離がある。
駅は鹿児島市と指宿市の境目付近にある。




24 前之浜 【キス釣り】
 前之浜に漁港があるが,キス釣りが有名だとは聞いたことがない。
 イラスト自体は頴娃大川のものと同じと思われる。





25 喜入 【メアサスギとキャンプ場】
 メアサスギは旧喜入町の町木である。
 個人の感覚として喜入でキャンプをするというイメージはあまりなかった。
 そのために喜入を代表するイラストがこの2つであることを知って驚いた。



27 瀬々串 【つわぶき】
つわぶきは旧喜入町の町花である。キク科の常緑多年草であり,秋になると黄色い花を咲かせる。葉柄は食用としても用いられる。



28 平川 【烏帽子岳神社】
 烏帽子岳は標高522mであり,平川動物公園付近を入り口と約8kmコースと平川駅から山頂まで約5kmのコースが自然遊歩道がある。山頂にある烏帽子嶽神社は健速須佐之男命,天之手力男命を祭神としている。お嶽めといって参拝する人々もいるそうだ。


29 五位野 【平川動物園のコアラ】
平川動物公園のコアラが描かれている。昭和59年10月25日,まず雄2頭が来園,つづいて昭和60年5月14日に雌4頭が来園した。開園30周年を記念して「コアラふれあいの森」が平成14年10月に整備され,オープンしている。


31 慈眼寺【稲荷神社】
 島津家18代目の家久は,この地を賞賛して自分の号である「慈眼」にちなんで慈眼寺と名付けた。1869年の廃仏毀釈によって,寺は焼失し,そのあとには稲荷神社が建てられた。慈眼寺についてはまた別の記事を書く予定。
cf.(No.14)やがて過去になる建物から見える過去



32 谷山 【くろじょか】
周辺の黒じょか工場があるのかと思ったが,見つけることはできなかった。
なぜ谷山駅にくろじょかを描いたのかは分からなかった。




36 鹿児島中央 【西郷隆盛と桜島】
 鹿児島を代表する人物と景観が描かれている。
 隣の鹿児島駅も桜島は描かれているが,西郷隆盛の代わりに桜島大根が描かれている。






 ただ単に列挙になってしまった気もするが,指宿に行く機会が最近なかったのでかつての旅の記録を書いてみた。
 ここの場所についても機会があれば,記事を書くことにしたい。


 卒論提出後,最初の記事ということもあり,走り書きの部分があるので,後々更新するかもしれません。

しばらく更新を停止します。

2009年01月02日 00時31分00秒 | 事務記事
 これから10日近く,すべきことが多いために投稿を休むと思います。(昨日も同じようなことを書いて,撤回しましたが,今度は本当に・・・)また,落ち着いたら書き始めたと思いますので,そのときは閲覧お願いします。
 もし,よろしければ,過去の記事に対してもコメントをいただけると嬉しいです。よろしくお願いします。

(No.55) 個人情報

2009年01月02日 00時28分10秒 | 現在の中の過去
 昨日の記事で投稿を滞らせると言っておきながらの投稿になってしまった。正月のイメージがする内にこの内容を書いておきたいと思ったからだ。

 正月のイメージの一つともいえるものに年賀状がある。
 以前は,出す枚数,もらう枚数ともに年々増えていたが,大学生になってからはほぼ横ばいかやや減少するぐらいになっている。今年は珍しく増えたが・・・
 
 自分だけではなく,全体的にもその傾向はあるようだ。

 その原因としてよく挙げられるのが,「メールの普及」だ。

 コストや年内の早い時期までに時間をかけて用意するなどの手間も省くことができる。普段のコミュニケーションツールとしても用いられているので,普段の延長という形でもできる。

 しかし,どうもそれだけが原因ではないように思える。
 タイトルにも掲げた「個人情報」の問題が大きくからんでいるように思える。

 この「個人情報」というものは,守らな過ぎたら悪用されるし,守りすぎたら仲間同士でも自由なコミュニケーションが取れなくなるなど,なかなかの厄介者だ。こういうこともあるからか個人で個人情報へ対する考え方も全く異なる。自分も高校のクラスの同窓会の幹事という役割を与えられているが,初期に行なった名簿公開に関するアンケートは,「世の中はもうそんなに安全じゃないから,個人情報は出さない方向で。」「連絡を取るのは幹事が主だから,幹事だけが分かっていれば十分」「連絡のとりたい人にはツテを使えばとれるはずだから公開(配布)する必要はない」から「連絡を取りたいときにすぐに取れれば便利だ。」「うちのクラスに悪人はいないから,他人に見せないことを厳重注意すれば十分。」まであった。どれも一義ある意見だ。この結果は,「公開」がやや多かったものの,世間の情勢や個人情報の漏洩は故意ではなくとも起こることなどを考慮して名簿は公開しない方向とした。うちのクラスはこれで問題はなかった。(あったかもしれないけど,運営に不都合はなかった。)よそ(他学年)では,「幹事という立場にいる人だけ,個人情報を扱えるのはおかしい」という意見が出たり,管理する団体が複数存在するなどで情報の相互交換の件でもめて,分裂寸前になっているのを掲示板で見たことがある。このような事実を見ると,個人情報管理の恐ろしさが分かる。万が一,悪用などの漏洩が発覚した場合の責任も重い。

 個人情報の扱いについては,法律も整備され,軽んじることができない存在となった。その点では,個人情報を悪用する業者などから身を守ることは以前よりはできるようになったと思う。その動きが高まっていく中で,「学級連絡網の廃止」「会社への個人パソコンの持ち込み禁止(個人情報のみでなく,企業秘密の遵守の目的もあるが。)」などが行なわれるようになってきた。そのために犠牲となっていることもある。連絡網であれば,緊急連絡網に真に求められる迅速性が失われることになった。良くあることだが,「○○のアド教えて」というメールで他人のアドレスを聞くこともそのメールに対して教えることも本人の了解がなければ,法律上はまずいことになっている。ここまで来ると,誰を守るための法律なのか(守ってはいるが,他の大事なものまで失っていないか)と思ってしまう面もある。

 年賀状の話に戻す。
 小・中学生の頃は,友達などには住所を聞いて書いていた。場合によっては,電話帳利用も何回かあった。そして,卒業アルバムや学年末にまとめる文集には住所という項目があった。
 高校のときは,年度初めにPTA役員を推薦する目的で,保護者名の書かれた名簿が配られていた。その名簿,選挙に必要な保護者名だけでなく,住所や電話番号なども記載されていた。個人情報保護が徐々に加熱していた時代であったので,大丈夫なのかともらった時は思ったものだった。しかし,卒業アルバムはさすがに名簿があったのは職員だけで,生徒のものはなかった。卒業アルバムの住所録は名簿屋とよばれる団体にとって,絶好の商品になることを考えると当然の判断だろう。毎年配られていた保護者名簿も現在は,生徒名と保護者名のみになったようだ。

 こんなことを書きつつも,そのようにして配られた名簿や卒業アルバムには何度かお世話になった。その時は必要性を感じなかったり,機会がなかったりして連絡先を交換しなかった人とコンタクトをとる場合が数回あった。

 また,会社でも以前は職員名簿が発行されていたが,最近はなくなったところもあるようだ。直接住所を聞かなければ年賀状が出せない状況になり,会社内の枚数も減ってしまったのではないかとも思う。

 個人情報を悪用する奴が一番悪いのは事実だ。だからといって,悪用を防ぐ手段は何もないだろう。罰則を設けても,なかなか立証が難しいし,数も少なくないのできりがないだろう。となると,個人情報の管理を徹底するのがよりよい手段になるだろう。だからといって,法律にがちがちになってしまえば,できることもできなくなってしまう。ある程度はきびしく,ある程度はおおらかにというのが最善なのだろうが,その調整もなかなか難しい。ここ10年ぐらいの間に大変な時代になってしまったなと思う。