幼稚園から小学校低学年にかけてだろうか。近所で友達と秘密基地を作って遊んでいた。
先日,そのとき作った秘密基地の現状を見て回った。
当時の面影のあるもの,全く変わってしまったものなどそれぞれだった。
社会の変化とも密接にかかわっている部分もあるのでその辺にも触れながら見ていきたい。
まず,友達と「秘密の百丁目」と名前をつけていた基地から。
県営住宅の脇のポンプ室付近に「百丁目」はある。
(2009年1月27日撮影)
「百丁目」への入口。
かすかに跡は残っているが,最近は入る子どもは減ってそうだ。(本来遊ぶのは好ましくない場所であるが・・・)
(2009年1月27日撮影)
「百丁目」への裏口。写真を撮ろうとしたら猫がものすごい勢いで飛び出してきた。
(2009年1月26日撮影)
ここからはまだ入れそうだ。
「百丁目」の面影はかなり残っていた。
次に,「百丁目」と同様にポンプ室の近くに作った秘密基地。
(2009年1月26日撮影)
茂みの中に木の枝(武器のつもりだったかな)とかを隠して遊んでいたように思う。
あと,ここに穴掘って,地下に基地を作ろうという壮大な計画も立てていた。
今となれば,掘るためには許可が必要になることも分かるのだが,法律のわからない子どもに掘っていけない理由が分からないし,親もそんなことを考えるなんて想像しないだろう。
その近くにあった秘密基地。
(2009年1月27日撮影)
道路と駐輪場の間にあった秘密基地。
現在は柵とポールで入りにくくしているが,もともとはなかった。近所の人の子どもが遊ぶと危ない場所として柵がつけられたのだろう。しかし,小学生のときはポールができたおかげで,なおさら秘密基地感が高まったように思え,ここを乗り越えて入っていた。柵がなかった頃は壁の溝に手と足をかけて登っていた。大人の意図が伝わらない子どもだったんだなと今更ながら思う。
その近くの緑地帯にも秘密基地を作っていた。
(2009年1月29日撮影)
昔はここがトンネルのようになっていて,くぐるのを楽しんでいた。
(2009年1月27日撮影)
脇にある植え込みは迷路のようになっていて,そこをたどりながら緑地とその外へ移動して遊んでいた。
奥に見える木がある植え込みでは木に登ったり,植え込みに隠れたりして遊んでいた。
(2009年1月26日撮影)
迷路の形跡は少し残っているが,以前はもっと背丈の高い植え込みがあり,その植え込みには中が空洞になっているところがあり,そこに基地を作っていた。
緑地体内の基地は面影は残っているものの,木の枝が切ってあったり,植え込みが切られていたりで今は秘密基地としての機能はほとんど残っていない。
秘密基地の跡地を見て,「大人の危ないという判断で,子どもが秘密基地を作れる場所はほとんど残っていないこと」が分かった。
このことは子どもを危険から守ることに大きく貢献している。子どもにとって危険な目に遭うことが前ほどはなくなった。このことはもちろんいいことであるのだが,子どもに本当の危険を理解させるのには逆効果の部分もあるだろう。本当に痛い目に遭わなければ,分からないこともあるからだ。
このようなある意味での「温室」が出来上がった背景には,大人の危険から子どもを守りたいという純粋な気持ちに加え,安全面の欠けていた施設を設置した者にとっては,訴訟を防ぐ意図で取り組んだ場合もあるだろう。
大人の事情で,子どもが学ばずに過ぎていくことも増えているように思う。
危険から学ばせるのも死んだら終わりになので危ない面も大いにあるのだけれど・・・
先日,そのとき作った秘密基地の現状を見て回った。
当時の面影のあるもの,全く変わってしまったものなどそれぞれだった。
社会の変化とも密接にかかわっている部分もあるのでその辺にも触れながら見ていきたい。
まず,友達と「秘密の百丁目」と名前をつけていた基地から。
県営住宅の脇のポンプ室付近に「百丁目」はある。
(2009年1月27日撮影)
「百丁目」への入口。
かすかに跡は残っているが,最近は入る子どもは減ってそうだ。(本来遊ぶのは好ましくない場所であるが・・・)
(2009年1月27日撮影)
「百丁目」への裏口。写真を撮ろうとしたら猫がものすごい勢いで飛び出してきた。
(2009年1月26日撮影)
ここからはまだ入れそうだ。
「百丁目」の面影はかなり残っていた。
次に,「百丁目」と同様にポンプ室の近くに作った秘密基地。
(2009年1月26日撮影)
茂みの中に木の枝(武器のつもりだったかな)とかを隠して遊んでいたように思う。
あと,ここに穴掘って,地下に基地を作ろうという壮大な計画も立てていた。
今となれば,掘るためには許可が必要になることも分かるのだが,法律のわからない子どもに掘っていけない理由が分からないし,親もそんなことを考えるなんて想像しないだろう。
その近くにあった秘密基地。
(2009年1月27日撮影)
道路と駐輪場の間にあった秘密基地。
現在は柵とポールで入りにくくしているが,もともとはなかった。近所の人の子どもが遊ぶと危ない場所として柵がつけられたのだろう。しかし,小学生のときはポールができたおかげで,なおさら秘密基地感が高まったように思え,ここを乗り越えて入っていた。柵がなかった頃は壁の溝に手と足をかけて登っていた。大人の意図が伝わらない子どもだったんだなと今更ながら思う。
その近くの緑地帯にも秘密基地を作っていた。
(2009年1月29日撮影)
昔はここがトンネルのようになっていて,くぐるのを楽しんでいた。
(2009年1月27日撮影)
脇にある植え込みは迷路のようになっていて,そこをたどりながら緑地とその外へ移動して遊んでいた。
奥に見える木がある植え込みでは木に登ったり,植え込みに隠れたりして遊んでいた。
(2009年1月26日撮影)
迷路の形跡は少し残っているが,以前はもっと背丈の高い植え込みがあり,その植え込みには中が空洞になっているところがあり,そこに基地を作っていた。
緑地体内の基地は面影は残っているものの,木の枝が切ってあったり,植え込みが切られていたりで今は秘密基地としての機能はほとんど残っていない。
秘密基地の跡地を見て,「大人の危ないという判断で,子どもが秘密基地を作れる場所はほとんど残っていないこと」が分かった。
このことは子どもを危険から守ることに大きく貢献している。子どもにとって危険な目に遭うことが前ほどはなくなった。このことはもちろんいいことであるのだが,子どもに本当の危険を理解させるのには逆効果の部分もあるだろう。本当に痛い目に遭わなければ,分からないこともあるからだ。
このようなある意味での「温室」が出来上がった背景には,大人の危険から子どもを守りたいという純粋な気持ちに加え,安全面の欠けていた施設を設置した者にとっては,訴訟を防ぐ意図で取り組んだ場合もあるだろう。
大人の事情で,子どもが学ばずに過ぎていくことも増えているように思う。
危険から学ばせるのも死んだら終わりになので危ない面も大いにあるのだけれど・・・