時戻素

昔の跡,やがてなくなる予定のもの,変化していくもの,自身の旅の跡など・・・

(No.68) 藤誰俺岡阪奈鹿熊・・・

2009年01月26日 08時26分16秒 | 過去になる現在
 タイトルの漢字が何か分かるだろうか?

 最初の3字を除くと,いずれも都道府県名に使われている漢字という点で共通している。


 しかし,この漢字の列はここで終わりではなく,まだ続いている。続きを以下に載せる。


頃 韓 弥 斬 虎 狙 脇 尻 叩 闇 籠 呂
亀 頬 膝 鶴 匂 嘘 須 噂 濡 笠 嬉 股
眉 朋 覗 鎌 凄 撫 溜 謎 稽 曾



 これらの漢字の共通点は分かっただろうか?



 これらの漢字が話題になったのは少し前で,最近はあまり取り上げられていないように思う。
 これらの漢字は,法令,公用文書,新聞,放送など一般の社会生活で現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安とされている「常用漢字」に新たに追加されることが検討されている220字のうち,基本的に加える方針のSランクに分類された42字だ。以下,基本的に残すが不要なものは落とす方針のAランク150字,特に必要な漢字だけを拾う方針のBランク27字,そしてその下にCランクが1字(綬のみ)ある。

 1981年に1945字の漢字が常用漢字として指定されて以来の改訂となる。改訂の理由はIT化などによる漢字環境の変化だという。逆に銑(せん),錘(すい),勺(しゃく),斤(きん),匁(もんめ),脹(ちょう)の6字は現在は常用漢字であるが,ほとんど使われないために今後外される方針であるようだ。


 さて,最初に挙げたSランクの漢字の中にも,常用漢字として扱うことにもめた漢字がいくつかある。

 その一つが「俺」という漢字だ。

 もめた理由は,俺という言葉が同等以下の身分のものに対して使う一人称であるために,法令,公用文書,新聞,放送など一般の社会生活では必要ないためとするものなどがある。(注:俺という言葉の意味についてはいくつか議論あり)また,できるだけ子どもに使わせたくない言葉であるという理由も聞いたような気がする。

 法令や公文書では俺という言葉を使うことはまずないだろう。しかし,新聞や放送などは決して書き言葉のみで構成されることはなく,話し言葉でも構成されうるメディアである。また,一般の社会生活とあることから日常生活で使うのであれば常用漢字に指定する必要もあるのではないかと思う。もっとも「オレ」というカタカナ表記をすれば,漢字は必要ないが・・・

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注 カテゴリーの「過去になる現在」の内容はおおよそここまでで,以下は作成者の考えを載せた「weblog」の内容に近くなります。勝手な意見というわけでもなく,根拠がないというわけでもないのですが,根拠を明確に示せないので,あくまで参考ということでお願いします。言葉のイメージへの言及もありますが,他にもいい言葉があると思うので,解釈の一例として考えてください。


 では,日常生活で「俺」という言葉はどれくらい使われているだろうか。ある例を参考に考えてみたい。

ある団体の名簿で自分にふさわしいと思う一人称を尋ねる項目があった。一人称を聞かれることなんてまずない。しかし,完成した名簿に対してこの一人称の項目に対しての反応はそれなりにあったようだ。それだけ個性を反映する項目だったといえるのではないだろうか。
 まず,女性は「私」「わたし」のみであり,「あたし」や「(下の名前)」はいなかった。おそらく何の迷いもなく,記入したのだと思う。一方,男性の方は,僕・俺・自分等に分かれていた。
 「自分」という一人称も興味深い。特に音声ではなく,文字として表すので「俺」と書くのも戸惑うし,かといって「僕」と書くのもな~という感覚になると,丁度便利な言葉が「自分」であるのだろう。この自分という一人称,話し言葉でも,俺にも僕にも抵抗がある場合に使い勝手が良い。言葉の持つイメージとして,「僕」は「幼い」「弱い」などのイメージが,「俺」には「かっこいい」「強い」などのイメージがあるように思う。(あくまで個人の意見であり,言葉の持つイメージを言葉でピッタリと表すことは簡単ではないということは分かっているが・・・)

 小学生の発表モデルに「ぼくは○○だと思います」などが挙げられることから,最初に教えられる一人称は「ぼく」がたいていなのだろう。それが小学校高学年頃になると「俺」へと変化していく。(最近ではもっと早い段階から移行しているかもしれない)そして,中学校の段階では「俺」が多数派になっている。

 大体の男の子が「俺」へ移行していく時期に乗り遅れた場合,「僕」から「俺」に変えるのは意外と大変なものだ。周囲や自分自身のイメージなどとの葛藤を強いられる。その後は,俺に移行できる人もいれば,僕に戻る場合もあれば,どちらにもなれずに自分を使う場合などがあるように思う。頑張って「俺」と言っている人を見ると,本人には申し訳ないが,頑張っているな~(たまにやっぱ違和感があるな)と感じていた。


 しかし,不思議なものである程度年をとってくると,当然「私」への移行もあるが,逆に「僕」に戻る場合もあるようだ。

 一人称が豊富な日本ならではの現象であり,悩みなのかもしれない。