11人の侍

「生きている間に日本がワールドカップを掲げる瞬間をみたい」ひとたちの為のブログ

ワールドユースではオシム監督が指揮すべき

2006年11月14日 15時38分01秒 | サッカー
 アジアユースを戦った吉田靖監督が率いる日本ユース代表は健闘をみせた。
 最終戦でイランに敗れたものの、余裕を持って「死のグループ」1位通過を果たすと、準々決勝では試合終了間際の青木孝太の決勝ゴールでサウジアラビアを下し、見事にワールドユースの出場権を獲得した。また、準決勝では守備の要である槙野智章を退場処分で欠きながらも、ライバル韓国をPK戦で破る粘り強さをみせた。決勝で北朝鮮に敗れたことで、過去7回のワールドユースのうち決勝戦で敗れた5番目のチームとなってしまったけれど、この事実により吉田監督と若者たちの奮闘が色褪せることはない。
 準優勝は疑いもなく立派な成績だ。

 しかし、それでも僕は、来年7月にカナダで行われるワールドユース本大会でチームを率いるのは、イビツァ・オシム監督であるべきだと考えずにはいられない。オシム監督には五輪やユース代表との兼任を過去に断わられた経緯があるけれど、少なくとも日本サッカー協会は再度の就任要請を試みるべきではないかと思う。

 なにも吉田監督の手腕を疑うわけではない。
 梅先司と内田篤人の両ウイングを効果的に使ったサッカーは非常に見応えがあったし、本大会出場権を獲得して当然というような周囲からのプレッシャーに打ち勝ったことは、賞賛に値する。吉田監督には今後も引き続きチーム作りに関わってほしい。それに、予選を突破したのだからワールドユース本大会を経験させるべきだという意見があれば、筋が通っていることも認めないわけにはいかないだろう。

 しかし、次の南アフリカワールドカップが開催される4年という短い期間のなかで、オシム監督が掲げるところの「日本人らしいサッカー」の基盤を作っていくのであれば、ワールドユース本大会で指揮を振るうのがオシム監督であったほうが都合が良いことは確かだ。

 なぜなら、若くて将来性豊かな選手たちにとってワールドユースは通過点に過ぎないからだ。もし、選手たちにとってこの大会がキャリアのピークになるというのであれば、監督を変える必要はない。吉田監督が月日をかけて作り上げたチームの集大成として、本大会に挑めばいい。けれども、現実はそうではない。選手たちには、その先の未来がある。

 例えば、仮にワールドユースで1999年以来の決勝進出を果すようなことがあれば、何人かの選手はA代表へと引き抜かれることになるはずだ。99年組の稲本潤一や、小野伸二、中田浩二がワールドユースのあとA代表の中心選手に登りつめたように。そして、梅崎らが同じようなことをやってのける可能性があるならば、早いうちからA代表を指揮するオシム監督の指導を受けていたほうが、ずっと効率が良い。

 日本サッカー協会の掲げる”すべての世代で一貫したチーム作り”とは、このような指導体制を指しているのだと、僕は受け止めている。だからこそ、日本サッカー協会の今後の動きに注目せずにはいられない。