マツモトの研究生活。

研究生活を綴ります。
近況報告が多いです。
コメント頂くと狂喜乱舞します。

こくばん書いた

2009-11-02 22:33:32 | 日想。
京大新聞の天声人語的なスペース「こくばん」を書きました。
11月1日号のやつです。お暇がありましたら読んでみてください。



私は自分の顔にいささか自信がある。自慢の顔なのである。この場を借りてまず、両親とその遺伝子に感謝の意を表したい▼覚えやすい顔なのだ。一度会ったら忘れられない。2年前に生物学実習でお世話になった准教授の方と、先日お話しする機会があった。実習期間は1週間そこそこだったのだが、会うなり「あら、どこかで見覚えがあるわね」と言われた。実習の思い出をきっかけに、スムーズに話を進めることができた。一度の出会いを覚えている、それだけで、初対面は再会へと様変わりする▼また親しみやすい顔なのだ。しょっちゅう道を聞かれる。文化祭のときなど、売り子の人にしょっちゅう声をかけられる。私がもしアイドルスターのような美貌だったなら、もしくはヤクザのような強面だったなら、こうはいかないだろう。異性にチヤホヤはされないが、気を遣わせぬ顔ではある。▼「人は見た目が何割」とまで言い切るつもりはないけれど、顔の持つインパクトは大きく、それだけに危うい。われわれは相手の表情を読み取り、相手の心理状況を推察することによって行動を変えることができる生き物である。しかし、前半に挙げた私自身の顔の特徴は、「表情」とは少し性質が異なる。他人が私の顔を見て推察しているのは日々移ろう心理状況ではなく、私の性格や自分との相性などである。顔だけでそんな内面まで捉えることはできないだろうと思う一方で、私も他人を見た目で判断することがあるし、例えば「やさしそうな顔」が、だいたい思い描けてしまうのだから恐ろしい▼あるいは准教授と話をした時のように、私自身が自分の顔を、社会的な交渉の際に利用しているふしもある。この顔でこのセリフは無いだろうと、飲み込んだ言葉もあったかもしれない。もし、自分の顔に合わせて自分の行動を無意識のうちに規制しているのだとしたら、危ういことだ。最近よく耳にする「ただしイケメンに限る」という揶揄は、同時にイケメンの行動の枠組みを規定してはいまいか▼他者との葛藤を避けるため、ニホンザルは明確な順位序列を作り無駄な争いを減らした。ボノボは交尾によって緊張関係を緩和する。顔の認識とそれに伴うプロファイリングは、初対面の出会いが多いヒトの生存戦略なのだろうか。出会ったばかりの人間が、私の予想図を片手に話しかけてくるなんて、あんまり、良い気はしないけど。(侍)