歌舞伎町タワーのジェンダーレストイレ廃止 不安や不満の声受け
ほら、ね。
これ以上言いようが無い。
何の話?って思う方のために軽く解説。
今年4月に開業した東京・歌舞伎町の複合商業施設「東急歌舞伎町タワー」で、性別を問わず同じ場所を利用する「ジェンダーレストイレ」ってのが出来たんやけど、まあ出来た当初から不満つーか不安つーかの声が多々出ていた。
で、結果廃止になったって話。
そりゃそうでしょうよ。
女性にとってみたらトイレの中に男性がいたらそりゃ不安でしょうよ。
男性も女性も常に大勢いたら多少は違うかも知れないけれど、1対1とか1対複数(複数の方が男性)なら怖いし不安になるよね。
女性だけやなく男性でもそうやで。少なくともオレはね。
小用を足してる後ろを女性にウロウロされたら落ち着きませんて
オレはジェンダーレストイレは経験無いけど、駅のトイレとかで男性用の方に掃除のおばちゃんとか平気で入って来るやん。
あの人たちは仕事だから何とも思ってないかも知れないけれど、こっちとしては落ち着かんから
ましてや誰でも入れるトイレで若い女性なんか入って来ると考えたらオレだったら女性が出て行くまで我慢するか、別のトイレを探しますわ。
まあ今回の結果はなるべくしてなったとオレは思うよ。
あ、勘違いせんといてや。
オレは多様性を認めないとか、配慮は不要とか言ってるんじゃないよ。
ただ、過去何度も言ってるように「区別」は必要だと言ってるんですよ。
今回のトイレなんか特にそう。
身体的見た目とは異なるいわゆる「心は男性」「心は女性」に配慮するんだったら「多目的トイレ」の設置で十分だったんじゃないかと思う。
男性用、女性用、多目的用。
この3つを設置することで十分配慮はされていると思うんだがな。
「多目的」なんてひとくくりにするんじゃない!なんて怒る人もおりそうやけど、だって数の比率で言えば圧倒的に「そういう方」の方が少ないやん。
多い少ないの問題じゃない!なんてもっと怒られそうやけど、そういう事を言うなら世の中右利きの人が多いから色んなものが右利きの人に便利なように設計されている。
左利きの人は不便を感じながらも生活してると思う。
そういう人に配慮するのならば、扉も右利き用と左利き用に分けなきゃならん。
駅の自動改札も大体右側に切符の投入口やICカードのタッチ部分があるけれど、両方に付けにゃならん。
そんなこと出来ますか?って話。
じゃあ嫁も子供もおらん、当然彼女もおらんオレが街中でイチャつくカップル見るのは精神的苦痛を受けている!と言えば配慮してくれるんか?
してくれへんわな。
結局のところ「配慮」もどこかで線引きしないとアカンわけよ。
じゃあどこで?と言われたら今回のトイレなんか典型的やん。
世の中には「身体のつくり」で言えば男性か女性かの2種類しかおらんのや。
だったら最低限のところとして男性、女性で「区別」しないと。
それを「心の部分」まで言い出すからややこしくなるんですよ。
そりゃそういう人もおるのは事実なんだろうけど、世の中には「そういう人」を装って女性の中に潜り込んでチョメチョメしてやろうと目論む不届きモノがおるし、トイレの盗撮なんかが趣味なやつもおるんですよ。
ジェンダーレストイレなんかそういう犯罪者(犯罪予備軍)には天国やんか。
願ったり叶ったりやんか。
そういう不安や危険性を解消できないでただただ「ジェンダーレストイレ設置しました!配慮行き届いてます!」なんて、オレから言わせたら「すごいね!」「かっこいいね!」って言って欲しいだけで何の配慮も出来て無いただのアホやと思いますわ。
そもそも。
男性、女性、当事者、誰もが「これは色々問題があるぞ」と言ってなかった?
そういう声を無視してええ格好するからこういう事になるんですよ。
施設の中のトイレは結局は公衆トイレ。
細かい配慮ではなく「男性用」「女性用」「多目的」これで十分でしょ。
さらにそもそも。
オレが小学生だった昭和50年代頃はまだまだ施設によってはトイレは男女兼用があったよ。(田舎なもんで)
まさに今でいうジェンダーレストイレや。
それが昭和も終わり、平成を過ぎて令和の時代、もう田舎でも男女兼用トイレなんてどこにも無い。
何で無いの?
…なんて違和感すら無い。
今の時代に至るまで、いろんな声を受けてそれが当たり前になったから。
それを時代に逆行するかのようなジェンダーレストイレ。
これは受け入れられるにはちょっと時代に逆行しすぎたんじゃない?って思う。
結論。
多様性を認めることは大事。
でも、性的マイノリティに配慮(忖度)=マジョリティが暮らしにくい世の中はちと違うと思う。
配慮すべきところは配慮するべき。
けれどトイレのような場所ではしっかり「身体的特徴で区別」を付けて、誰もが安心できるようにすることが正しい姿だと思う。
そして最後にこれだけは言っておく。
差別と区別は違います!
声の大きい少数派の意見が声の小さい多数派より正しい…なんてことは絶対に無い!