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サラリーマンのよもやま話

50代独身サラリーマンが思いのすべてをぶちまける!…ってほどの大袈裟なものではなく、ただの日記です。

進行中

2020年06月28日 09時34分34秒 | 独り言

今日の記事も備忘録となります。

 

6月も最終週となりました。

すなわちもう1年の折り返しですよ。

早っ!!

2月ごろからコロナの影響もあってか今日まで何だかあっという間の数か月だった気がするね。

ただでさえ歳を取ると1年が過ぎるのが早く感じると言うのに…。

そうこう言うてるうちにもう年末かい!!なんてこのブログに書いてんだろうね。

ぼちぼち暮れの準備でも始めとくかな

 

さて、冒頭にも書いたけど今日の日記は備忘録。

そうです。

オカンの認知症の備忘録ですよ。

前回は3月20日にオカンの様子を書いた。

あれから約3ヶ月。

たった3ヶ月ではありますが、いろいろ出来なくなった(分からなくなった)ことが増えました。

以下、出来なくなったことの代表的なものです。

 

お金の計算

例えば、1,980円の買い物をした。

1,000円札2枚渡せば足りる。

これはまだ分かっています。

が、小銭が80円あるから2,080円渡せば100円お釣り…みたいな計算が出来なくなりました。

あと、1,980円分きっちり小銭があったとしても、1,000円札以外の細かいお金を財布から500円1枚、100円4枚、50円1枚、10円4枚取り出す…という計算が出来なくなりました。

まあまとまった買い物はオレが休みの日に行ってるので差支えは無いですが、ちょっとした買い物に近所の店に行く時なんか、こういう計算が出来ない結果なんでしょうかオカンの財布は小銭で溢れかえってきています。

 

目の前にあるものの認識

何かを探している。

何を探しているのか聞く。

その探しているものは目の前にある。

オレかてたまーにそういうことあります。

いわゆる灯台下暗しってやつです。

でも、オカンの場合ほぼそういう感じになってきました。

無い無い言うて大騒ぎしているものは大体目の前にあります。

ちなみにこの関連で、目の前にあるものが本来のそのものであるという認識も怪しくなっております。

最近はきゅうりを「ゴーヤ」だと言って聞きません。

違うでしょと指摘しても「これをきゅうりなんて外で言うたら笑いものやで」とまで言い放たれます。

 

同じものが増える

目の前にあるものの認識が出来ないということに関連してるんでしょうけど、家に同じものが溢れています。

家にあるのに認識できないせいかオカンが追加で買ってくるのです。

まあ細かいものなので別にええんですけど、今家にはハウス食品のコショウの小瓶が4つあります。

お風呂用洗剤も4つくらいあります。

生姜焼きのタレも4つあります。

 

料理のレパートリー激減

先述の生姜焼きのタレは豚肉を買って来た時に簡単に生姜焼きに出来る便利な調味料なのですが、オカンはもうこれしか出来ません。

我が家の食卓は豚肉=生姜焼きです。

週に3回これです。

じゃあ他の4日は?

牛肉の薄切りを塩コショウで焼く。

これが残りの4回です。

別に豚肉がイヤだとか、牛肉がイヤだとかではなく、週7日間この2種だけなのでもう飽きました。

でも、別な調理にしてくれ言うてももう出来ません。

なので最近土日の夕食はオレが作ってます。

 

日付、曜日の認識

今日が何月の何日の何曜日なのか。

もう分かってません。

一応新聞とカレンダー見てその時(一瞬)は分かっているようですが、すぐに忘れてます。

我が家の地域は毎週月曜と木曜が一般ごみの回収日です。

でもたまたまゴミが多くで土曜日とかにもうゴミ袋がいっぱいになることがあります。

ゴミ袋一杯→ゴミ出さなきゃいけない→今日はゴミの日

という認識になっているようです。

土曜や日曜にゴミを出しに行こうとするオカンを「今日はゴミの日じゃないやろ!」と止めたのはもう何回あったか分かりません。

平日はオレは会社。

すなわちオレが居るから土曜か日曜…という感覚は皆無です。

なのでたまに土曜日に「今日月曜やからゴミの日やな?」と聞かれますから。

 

同じく、オカンがカレンダーに忘れないように何か書き込んでいるのだが、自分が書き込んだことを忘れてオレに聞きに来る。

それはそれで別にいいんですよ。

でも、例えば来月の予定として書きこんでいる→たまたま目にする→明日がその日

という脳内変換になってしまいます。

「それ明日じゃない!もっと先でしょうに!」と言った事ももう何回か忘れました。

 

ナゾのストック

先に述べたように、最近の我が家の夕食は豚の生姜焼きか牛肉薄切りを塩コショウで炒めたものがメインです。

つか、それしか出て来ません。

その付け合わせがキャベツの千切りです。

その千切りしたキャベツですが、なぜか手のひらに軽く一杯分くらいをビニール袋に入れて冷蔵庫に保管?するようになりました。

何でたったこれだけの量をわざわざ残すの?聞いても「ちょうどお皿に乗りきらなかった」と言います。

ちなみにお皿には余裕で乗るスペースがあります。

それが毎日なので冷蔵庫にはビニール袋に小分けされた千切りキャベツがいっぱいあります。

そのうち痛んでくるので定期的にオレがこっそり捨ててます。

でも勿体ないので「これくらいの量だったら3人で分けて食べてたら知れている量でしょ」と何度言うても「お皿に乗りきらない」「そんなに食べられない」と絶対に譲りません。

この行為の意味は何なのか、今のところ不明です。

 

無視する

都合の悪いこと、辻褄のあって無いことを指摘されると無視するようになりました。

例えば先に書いたように、コショウがあるのにまた買って来た時とか、またキャベツの千切りストック増えた時とかに「こんなにあるやんか!ちゃんと確認せなアカンやろ!」言うた時とかもうまったくオレの言うことが耳に入ってない感じになります。

細かいこと言われて腹立つから無視してるのかな?と思ったけど、最近は「本当に自分が言われているとは気づいていない」感じにさえ思えます。

「聞いてんのか!?」と言ったら「え?何て?」みたいな初めて自分が言われていることに気付いたような感じになる。

オレとオカンしかいない状況なのに、です。

脳内スイッチが都合の悪いこと言われたら「聞く耳持たないモード」に切り替えられるようになっちゃったのかな。

 

お金を無くす

もうこれが一番やっかい。

新聞やら何やらで毎月決まった集金であるじゃないの。

まあ大体毎月決まった時期に集金ですわ。

なのに最近なぜがずーっと前から準備したがる。

まだ準備には早い言うても「いつ来ても良いように準備しとくんや」と、言い出したら聞かない。

まあ別にどうせ来るんだからいいんだろうけど、やっかいなのがその準備したお金をどこに置いたのかすぐに忘れること。

前に準備してたのにまた準備してるから「この前用意してたやん。どこに置いたんや?」言うてもそれが分からない。

だって用意したこと自体忘れてるから。

探しても見つからない。

オレとオヤジが一生懸命探してる中、「そんなとこには置いてないわ」と他人事。

じゃあどこに置いたんや!と聞いても「その辺」とか「家の中のどこかにはあるはず」と他人事。

まあそのうち思いもよらない場所から出てくるんでしょうけど、最近は「集金のお金、お前に預けてあったやろ。出しといてくれるか。」とか言い出したこと。

当然オレは預かってません。

そのうちオレが盗ったことになるんだろうな…。

 

まあ他にも細かいことを言い出したら電子レンジの使い方忘れたり、電気ポットの使い方を忘れたり、自分の年齢忘れたりがあるけれど、まだ身体は健康なので下の世話とかお風呂の世話とか無い分良いかな、と。

そこまでになってしまったらもうこれは残念やけど施設に入れるしかないと思っている。

今の時期、わが社は異動の希望の有無を出す時期なので、上司にはオカンがこういう状況であるので近い将来は「本気の介護」がありそうだから家から近い和歌山の支社に戻してもらわないといけない日が来る可能性があることは伝えた。

和歌山には戻りたい。

今まではもう長い通勤に疲れたのが主な理由。

でも今はむしろ「和歌山に戻る=オカンの介護が始まる」が主な理由であるから非常に複雑な気分である。

来るべき介護の日に備えて、備忘録として今後も時々ここにオカンの様子を書き残しておこうと思う。