白骨の道 「地を這う虫達の叫び」 ・ メール:kanran@i-next.ne.jp

私の寒蘭栽培と「炭鉱が閉山して崩壊した町」の回顧録
利権に慾る人間の生きざまを赤裸々に綴ります 77歳です

・・・ 佐世保市世知原小学校児童による「稚アユ放流」 と 「佐世保市水産センターによる講和」 ・・・

2012-03-14 19:18:55 | 日記

今日は朝から晴天でした、私も小学校児童による稚アユ放流に参加しました。この目的は、佐々川の美しい環境を守り、豊かな水産動植物の保護培養を図ることを目的に、佐々川流域の子供たちの「佐々川の環境と水産動植物を守り育む」学習の一環として実施したものです。本日は、佐々小学校、吉井南小学校、世知原小学校の各々3年児童が佐々河川公園、親水公園、大藤河川公園で放流と講和に参加しました。

午前10時世知原町の大藤河川公園に小学3年生が集合した「佐々川の生き物たち」と題して、佐世保市の水産センターの職員さんによる講和がありました。

佐々川上流の世知原の川水は底まで透き通っているので、放流したアユが上流向けて勢い良く泳ぐのがみえます。

放流するアユを手で触って見て放流する子や、その姿が見えなくなるまで見守っている子、その子達を見ているのが世知原行政センターの産業課長補佐の村井敏夫さんです(佐々川内水面振興協議会事務局)、今年で定年退職だそうです、献身的なご奉仕に感謝します、長いあいだお疲れ様でした。


働く者の手による働く者の政治をめざして、県議と町議七名が当選(昭和30代)・「飯野炭鉱を偲ぶ(3)」

2012-03-14 18:26:17 | 日記

中央の写真前座左から、前田町長・鳥谷町議、森田県議、富永組合長、中川社長、炭労委員長

世知原小学校に設けられた投票所入り口に貼られた、町会議員候補者のポスター

 


あれから幾星霜、炭人は去り、風物は変れど、鎮魂歌のみ永遠に響く 「飯野炭鉱を偲ぶ (3)」

2012-03-04 11:46:03 | 日記

    

「飯野炭鉱を偲ぶ(3)」として続きを掲載したいと思います。過って国策として戦後日本の復興に寄与したエネルギー産業に携わった彼等が何を思い、この地に生涯を捧げたのか、石炭に変わった原子力の利用が果たして正しかったのか再考してはどうでしょうか。      写真は、昔の兜山、飯野炭鉱松浦工業所の氏神として祭られてきたが、昭和45年3月閉山により、同年6月に、四国大山祇神社、京都男山八幡宮、大阪住吉神社、福岡愛宕神社、福岡英彦山神社へ返され廃社となり、伏見稲荷は9月23日山口神社へ還座されました。        


  ・・ 桜並木の県道七曲がり周辺の竹林を伐採しています・「世知原町は全町公園化を宣言していました」 ・・

2012-03-01 10:25:01 | 日記

正面の高い山が「東八天岳」です、左下に見えるのが世知原の街です。七曲がりの県道桜並木を手入れしていると、人材センターの仕事が無くなるのでボランテアーはするなよと罵倒された。炭鉱閉山後の世知原は他所者の集まりだから郷土愛を持っていないのだらうか?