白骨の道 「地を這う虫達の叫び」 ・ メール:kanran@i-next.ne.jp

私の寒蘭栽培と「炭鉱が閉山して崩壊した町」の回顧録
利権に慾る人間の生きざまを赤裸々に綴ります 77歳です

その昔、私は韓国政府公認のキーセンパーテイー(売春ツアー)に参加した

2015-06-12 14:03:27 | 日記

その昔韓国には、政府公認のキーセンパーティーがあった(キーセンとは売春婦の事)。当時外貨を稼ぐ為に韓国の女性は、韓国大統領が公認した観光大学校の学生証を持っていた。売春ツアー先は1965年に日本と国交正常化した韓国だった、長崎県は韓国との航路を開始、その先頭に立ったのが韓国への2泊3日の旅を主催した農協観光だった。その時売春ツアーを担当した農協職員に私も同行した。その彼が農協を退職した際には、私の後任として彼を社会福祉施設に雇用した。その頃韓国では、日本に農協と云う国があると噂されていた。韓国での観光で見た事は、高速道路が日本の沖縄米軍基地から北朝鮮に向いて建設されている、道路のプランターを移動させると即滑走路になる、また全てのトンネルは格納庫に成るように天井は四角に造られていた、また、国際墓地に行った時は、日本人は朝鮮戦線に参戦しなかったと云う理由で入場を禁止された。観光が済んだら宴会場に連れられて行った、宴会場では各人の靴に番号札が入れられた、その番号札の席にそれぞれが座った、その右側にチマチョゴリ(民族衣装)を着たキーセンが座る、キーセンを変えたい時は、右耳に手を当てると、別の女が来て座る。食事が済んだら右側の女と一緒にホテルに移動した。新聞や週刊誌等は持込み禁止になっていた、政治の話をする時はシャワー室に連れられて行った、盗聴器が付けられているとの事である。彼女達は口癖のように、日本人は朝鮮戦争で加勢しなかったので金を使えと云った。引率していた農協の職員は、一晩に三回も朝鮮の女を抱いたと云ったが、私は酔っぱらっていたので良く覚えていない。帰ってから自宅に韓国の女性から熱烈なラブレターが送られて来た、売春ツアー勧誘の手紙でった。・・大昔の夢物語ですから少々ボケも出ている、この記事に疑義がある人は、内容証明付の書面でお尋ねください。

写真は、日本統治時代の妓生(キーセン)

妓生とは、元来は李氏朝鮮時代以前の朝鮮半島に於いて、諸外国から使者や高官の歓待や宮中内の宴会などで楽技の披露や性的奉仕などをするために準備された女性の事を意味する(ウイキペディアを参考)



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