白骨の道 「地を這う虫達の叫び」 ・ メール:kanran@i-next.ne.jp

私の寒蘭栽培と「炭鉱が閉山して崩壊した町」の回顧録
利権に慾る人間の生きざまを赤裸々に綴ります 77歳です

慰安婦が軍人を乗せた侭札束を数えていたぞ、と戦争帰りの老人が語っていた

2015-06-14 17:13:39 | 日記

炭鉱の住宅内には鉱員を監視する為の地区労務があった、その地区労務には戦争体験者が多くたむろしており、戦地の話が誇張して語られていた。時には慰安婦の話をしてくれた、兵舎の周りには慰安婦小屋が立ち並んでおり、その慰安婦小屋には若い兵隊が順番を待って列をしていたそうだ、若い兵は慰安婦に乗る前に発射していたそうだ・・処で世知原役場の前に小料理風の女郎宿があった、或る時米兵がジープで来た、軍服を着た若い兵士が赤みがかっ逸物をビンビンさせて立ち小便をしていた。米兵はそこの女郎宿が目当てのようだった、仕事中に役場の窓から丸見えだつた。或る日仕事が済んでから役場の先輩に連れられて、私もこの女郎宿に行ったことがある。用が済んだ先輩がズボンを上げながら二階から降りてきた、次いで一階で共に酒を飲んでいた先輩が二階に上がっていった。私は未成年で売春禁止法設立の前であったので二階には上がれなかった・・戦前戦後共売春は強制ではなく女性の自由な職業であり一般社会の風習だったようです。私は彼女等に日常平然と挨拶をしていたし、尊敬すらしても卑下したことはなかったのです。



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