白骨の道 「地を這う虫達の叫び」 ・ メール:kanran@i-next.ne.jp

私の寒蘭栽培と「炭鉱が閉山して崩壊した町」の回顧録
利権に慾る人間の生きざまを赤裸々に綴ります 77歳です

昭和30年代に、町長の娘婿が建設業を設立した、その後行政談合が始まった (その2)

2014-03-07 11:21:31 | 日記

世知原には炭鉱住宅の屋根や炊事場を修復する一方で、公共工事を請け負う会社が存在していた。行政は職員の月給も払えなく内払いする状況でした、その役場職員の給料は炭鉱に借金していたそうです。こうした戦後復興のなかで農山村の町政は、農業基本法の設立を国会に呼びかけたのです。この基本法への狙いは農業経営の規模拡大と農業近代化資金でした、水田の区画整備を開始し、農業の経営拡大を目指す農業構造改善事業による茶園100haの造成を開始したのです。水田の区画整理は主に「地元の土建業者」に入札させ、茶園の造成事業は「長崎県土地改良事業団体連合会」に施工させました。板山茶園の造成計画は、熊本農政局に対する42haの保安林解除申請に始まり、国有林の払下げ申請と同時に農業構造改善事業計画書を作成したのです。この事業の管轄が私でしたのでこの記述は事実です。こうした茶園造成で世知原町の農地の75%を区画整理したのです。昭和30年から40年に亘り農政局、長崎県、全国組織の土改連、世知原町、建設業者による「農山村の建設」が始まったのです。



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