白骨の道 「地を這う虫達の叫び」 ・ メール:kanran@i-next.ne.jp

私の寒蘭栽培と「炭鉱が閉山して崩壊した町」の回顧録
利権に慾る人間の生きざまを赤裸々に綴ります 77歳です

昭和38年に宿中県道の改良工事が完成して、町道、農林道の工事に土建業者が競った (その3)

2014-03-09 09:32:57 | 日記

この写真は、昭和20年代、世知原町の繁華街、県道宿中道路の状況です。左側が世知原郵便局と親和銀行、右側の木立の中が世知原町の役場、その後が世知原小学校です。人口約13,000人の時代です

県道も拡張されて街中は綺麗になりました、今日は長崎県下全域から集まって「せちばるロードレース大会」が開催されています。右側の木立が元世知原町役場の面影を見せています。昭和45年に飯野炭鉱が閉山して世知原町の現在の人口は4,000程だと思います。