ひょうごの在来種保存会

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保存会通信17号(25年春)枝豆及び大豆について 丹波地区世話人 土井 孝浩

2013年06月05日 | 保存会通信17号
枝豆及び大豆について
丹波地区世話人 土井 孝浩


 丹波の地で農に勤しむ土井孝浩です。
 さて、今回は枝豆について文献からの投稿をさせてもらいます。

 枝豆は大豆を未熟なうちに収穫したもので農水省の統計では未成熟大豆というらしい。
 未熟な大豆は鮮度が落ちやすく、枝や葉、根をつけて持ち帰り、枝つきのまま茹でて食べたので「枝豆」と呼ぶ。
 田の畦(あぜ)などに植えていたので畦豆ともいう。
 大豆の原種は中国からシベリア、日本に自生しているツルマメといわれていて、縄文時代から弥生時代初期に稲作とともに渡来した五穀のひとつ。
 大豆のタンパク質は畑の肉とよばれるほど栄養価が高く、食物として長い歴史のなか、利用法も色々と工夫されてきた。
 煮豆、豆腐、納豆、もやし、枝豆など直接的に食べるほか、味噌、醤油という調味料の材料、油脂原料、飼料、工業用、肥料などにも用いられ、脂肪の重要な資源作物でもある。

 枝豆としての利用は平安時代から食習慣にもあったようで、九月の十三夜の供え物のひとつに枝豆があり、「豆名月」とも呼ばれ、枝豆売りも登場していたとか。
 戦前までは国内でも多く生産されていたが、現在は枝豆以外、ほとんど輸入品になってしまっている。
 大豆で面白いのは、大豆が欧米に知られたのが17~18世紀と遅いことである。黒船のペリー提督が1854年に日本から持ち帰り、農商務省で試作を始めたのが1896年という説、1804年に中国の帆船が安価な底荷として大豆をアメリカに運び、1829年に農家が栽培を始めたという説などあるが、歴史的に普及したのはかなり遅い。

 20世紀に入ってからアメリカの大豆生産は急激に増加して、現在は世界第一の大豆生産国になっている。そして今はアメリカの作付けされる多くの大豆は特許を通った遺伝子組換(GM)品種。アメリカで開発された大豆が逆に中国やインド、ブラジルなどにGM品種として作付されているのである。
 大豆の英名はソイビーンでソイとは醤油のことであり、大豆が醤油の重要原料であることを知っていてつけられているのだろう。醤油を利用するアジア圏にはなくてはならない作物である。

 枝豆として食べられる山形庄内の「ダダチャ豆」は新潟の「茶豆」とならんで豆が茶色をおび、莢にしわがあり、独特の香りと
甘みがある。丹波の「黒豆」は正月の煮豆として有名だが、大粒で濃厚な風味があるので枝豆としても利用されている。
 枝豆はトウモロコシ同様、糖分やアミノ酸の減少が早く、常温では二日もすると半減するといわれている。冷凍すればほとんど減少しないので、冷凍向き野菜として海外からも冷凍輸入品が増えている。
 大豆は粒の大きさで分けられることがあるが、一般には大粒種の方が品質は良いといわれていて、製油や豆乳用では大小には関心がない。煮豆や味噌には形が残る大粒がよいが、納豆は小粒種の方が食べやすいので利用されている。

 もうひとつの利用法にモヤシがある。アズキや緑豆を使うことも多いが生野菜の少ない雪国の貴重な栄養食品として東北地方などでは温泉の廃湯をつかったマメモヤシ作りが盛んである。
 モヤシは日本では古来、薬用として用いられ、薬物辞典の「本草和名」や「医心方」にも記載がある。特に精進料理の材料に
も使われ、京都宇治の黄檗山(寺院名)では黄色モヤシを油でいためた、巻煎(けんちん)という料理がある。「食用は黄大豆の芽、薬用は黒大豆の芽」といわれ、医薬用として黒大豆のモヤシが用いられていた。


 丹波篠山地域でも川北・波部黒などは黒豆産地として有名だが、もともとは稲の水張りが困難だった地域。米より大豆を献上していたのは米が思う収量とれなかったから。
 古来に作られていた黒豆の品種は今、改良された育成品種(兵~号)にかわり、病気に強くて作りやすいらしい。
 また以前は、灰屋(はんや)と呼ばれる場所でカヤなどを燃やした焼き土を肥料にもしていたとか。
「昔の在来黒豆はもっと美味しかったのに」と古老の意見をうかがった。
 今は灰屋が農業倉庫などに変わったり、取り壊されていて、そこで火を焚くことがない。

 まだ丹波地域でも古い黒大豆栽培者の中には昔ながらの在来種をつくっている人がいるかもしれません。寺院でも作っていた黒大豆モヤシも食べてみたいものです。

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