S600を返すまであと15分。
初川を越し東宝の映画館を過ぎた辺りで車を停めた。
エスロクを眺めてタバコを吸おうと車外に出るとちょっと怪しいお兄さんが近寄ってきた。
「おもしろい写真ありますよ」
はぁ、これは・・・あれだろう。
うん、間違いなくあれだ。
「母ちゃんに怒られるから止めておくよ」
と答えて車に戻った。
タバコは後でいいやと再びエンジンをかけ逃げるようにスタート。
みそのビルの手前まで来ていた。
みんなはホテルに帰って来ただろうか。
熱海銀座にハンドルを切る。
自動で戻らないウインカーや発進時のギアにもちょっと慣れたもののニューフジヤホテルまであと少し。
銀座通りに入り派手なネオンサインのパチンコ屋から安全体操さんが出て来るのが見えた。
後続の車とは距離がある事を確認し急停車。
後続のタウナスが通り過ぎるのを待ちドアを開け三人の前に出る。
どこに行ってたんですか!
パチンコかと思いきや二階にある純喫茶「8(エイト)」に入ってたそうな。
少しの距離だがホテルまで載せてと言われる。
ダメだよ2人しか乗れないよ
「何言ってんのよ」
車見りゃ分かるでしょ
これは2人しか乗れないんだから
ちょっと自慢をするように振り返ったが水色のS600はセドリックに変わっていた
あ…
「いいじゃないですか
ニューフジヤまですぐだけどせっかく車なんだから、運転手さん! 」
てっちんさんが後部ドアを開けようとするがロックがかかっている
そっか…そういう事か
旧車が好きでも国産セダン派の私が唯一好きなスポーツカーはホンダスポーツ600。
メカニズム云々よりもスタイル、サイズが好き。
でも実際に買って所有したいとは思わない。
この手のスポーツカーがもの凄く手が掛かる事を承知している。
それでも数少ない憧れの車の一台。
ドライブクラブがレンタカーと名前を変えはじめたあの時代。
ホンダレンタカーではS600を貸し出した。もっとも他に車が無いのだが。
父が持っていた道路地図兼ドライブガイドにはホンダレンタカー営業所案内が載っていて一覧の中には
・横浜ドリームランド
・熱海ニューフジヤのカタカナ文字があった。
カタカナで書かれたその文字を見る度に高度経済成長時代のレジャーへの夢を垣間見たような気持ちになった。
60年代憧れの横浜ドリームランド、熱海ニューフジヤで
ホンダS600のレンタカーが借りられる。
もっとも当時、エスロクは普通車よりも割高な料金設定だったろうに
あの時代への憧れを抱く私が見た夢だったのだ。
やっぱりみんなで乗れる4ドアセダンは実用的で便利だよな
聞こえないように呟きながら助手席を開け後部ドアのロックを開けてあげた
安全体操さん
「あぁ車ん中はあったかい♪」
てっちんさん
「さて、夕飯はニューフジヤ名物の飲み放題バイキングですね」
安全体操さん
「でも60年代のニューフジヤは部屋出しでしょ
又は大人数で宴会場の座敷とか」
さまひさん
「旅館じゃないから部屋出しではないんじゃないですか。でもその頃に皆さんと来たかったですよ」
安全体操さん
「何、彩雲さん喋んないけど
怒っているの?」
彩雲
「…」
その60年代の熱海を3人に見せられなかったのが残念だ。
ギアを入れようとクラッチを踏もうとしたらこの車はノンクラ。
左足が空を切る
「本当にどうしたの?」
別に・・・
苦笑いしながらシフトレバーををドライブに入れる。
本当はマニュアルでない事は分かっていた。
でも分かっていてそうした。
バックミラーを一瞥すると右後ろにみそのビルが見えたような気がした
でも確かめる事はしなかった。
「ねぇ、彩雲さん(笑)」
年上の安全体操さんが無邪気な顔で私に笑いかけた。
あの街がいったい昭和何年の熱海だったのかは分からない。
置いてきたコルト1100が無性に恋しくなっていた。
つづく
(次からは脱線しないでちゃんと書きます)