あのコルトを狙え

TOKYO2020 子供たちに負債を(笑)

そしてまた、コルトと共に・・・

2006-05-27 21:11:56 | 三菱コルト1100
さて、前回書き忘れましたが入院を決意した理由は排気ガスでした。
マフラーをぶつけてから更に酷くなっていた。
エンジンルームから洩れているので走ると必然的に排気ガスが車内に入ってくる。
熱海「福島屋旅館」にコルトで出掛けた際も書かなかったが実は排気ガスで苦しかった。
下手したら動機不明のガス自殺モノでした。
一人で乗る分には我慢出来るが来月の熱海オフや『その他の用事』もあるので修理に踏み切りました。

入院させて3日後、ヒロタさんから「修理終わりました」との連絡有り(早っ!)
確かもっと掛かると言っていたのにビックリ!
夜勤明けで電車に乗っていたがそのまま東海道線に乗り換え平塚へ向かいました。

入り口に佇むコルトを見るとその場で頬擦りをしたくなるが我慢我慢(笑)
一番聞きたかったのでエキゾーストマニホールドの「スタッドボルト」でした。
果たしてはずれたのか?

外したボルトを見せてもらうとキレイに抜けていた。が、しかし!
かなりの苦労があったようです。
『酸素(バーナー)で真っ赤に焼いてなんとか外れた』
一人で作業をされているのでかなり大変だったと思う。

見事に痩せています。これじゃナットが噛む訳ありませんな(汗)
やはり自宅では無理だったな、頼んで正解♪

クラッチ交換でどの位クラッチ板が減っていたのかを訊ねたら
『それほど減ってはいなかったけどオイルが洩れていてそれをクラッチ板が吸ってしまってた。滑るのはそれが原因』

作業中に撮影された問題部分のデジカメ写真を見せてくれたが
あちこちでオイル漏れを起していました。
普段から自分でも気になっていたが現実を直視すると自分の身体の不具合を
見ているようでかなりへこむ。
「直せばいいじゃん!放っておくとまずいよ」という声が聞こえてきそうだが
分かっています。でもお金と部品が無いのよ。
古い車の維持ってとっても大変。愛情だけではとても無理、という事を改めて実感する。

でも、乗っていると心底楽しくて苦労も忘れさせてくれる。

いつかは別れる時が来る
その時、私はどれほど辛い思いをするのだろう。
2歳の時から一緒
家族を亡くすような辛さか自分の身を切られる辛さなのだろうか
駐車場に行くと長年そこにあったコルトが無い事を実感した時
街で同じような古い車を見掛けた時
オークションで無意識に部品を探して見つけた時に使うべき車が無いと気付いた時

 もう私のコルトは無いんだ

そう気付いた時、どんなに辛いんだろう
一生手放した事を後悔し普通の実用に耐える車を探して乗り換えていっても
きっと私が探している車は・・・
 
 あのコルトなのだろう


もし、コルトが動かなくなったとしても置いておきたい
車としての役目を果たせず二度と走る事が出来なくてもいい

古い車に乗る人はよく『車は走ってこそ車だ。飾っておいたり走らない車には意味がない』
と言う。その気持ちは分かるが私には同意できない。
走らなくなって飾られている車にも持ち主の事情がある。

走らなくても「車」というものを超えてしまった存在もあるのだと私は思っている
 車は走ってこそ車だ、という人とは心の中では一歩引いてしまう

人に歴史ありと言いますが「車に歴史あり」とも思う。
それぞれ一台の車には様々なドラマがあるはずです。
廃車置場に積まれた車を見ていると
『どんなドラマがあったのかな』と考えてしまう。


ともあれコルトは帰ってきた


しかし今回のタイトルは「太陽にほえろ」の最終回みたいですな~
だって使ってみたかったんだもん(笑)






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入院しました

2006-05-23 18:45:25 | 三菱コルト1100
前にクラッチプレートASSYが三菱部品より新品で入手出来たお話を書きましたがその続編です。
クラッチ交換をするにはマフラーを外さなくてはなりません。
もう20年程前からエキゾーストマニホールドと一次マフラーを繋ぐスタッドボルトが長年高熱にさらされたので痩せてしまいナットが噛まなくなってしまっています。


これが彩雲コルトのアキレス腱でした。
当初は父と二人で交換する予定でしたがエキマニからスタッドボルトを外すのは非常に困難。一度キャブを外してエキマニとインマニを外し~と作業しなければならず破損したら走れなくなる可能性が大きいのでここは車検修理でお世話になっている
自動車工房ヒロタさんにお願いする事にしました。

長年集めた部品を使用します。
ガスケットは「桜」です


桜のガスケットといえば


です。昭和33年のモーターマガジン整備編の広告(父が持っていた)。
時代ですな~♪しかし車から「だんな!」と呼ばれるのもどうかと…。
(本当はこういう漫画がとても好き《笑》)

今回使用する予定の部品の一部です。

マニホールドガスケット

用意したガスケットキットは三菱コルト1000(A20)ですが両車のパーツリストを見ると一部を除いて一緒でした。

新品入手出来て小躍りしたクラッチブラケット&プレッシャープレート


数年前にヤフオクで見つけ宝物扱いに大切にしていた一次マフラーの新品


その他部品を揃えてコルトは入院しました。

つづく
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さよなら交通博物館「スバル360」他

2006-05-19 20:26:50 | (旧車)

とっくに閉館してしまった交通博物館の事を未だに書いている彩雲4号です。
ところで新聞報道によると閉館の理由は「施設が老朽化した為」となっているが
閉館発表当初は『土地を所有している東京都が明け渡しを求めた』となっていたのに
いつの間にかそんな話が消えていたのは何故?

さて今回は旧軽自動車の王者、スバル360です。
しかもこのスバル360は博物館に所蔵されるにふさわしく超初期型(出目金と呼ばれるヘッドライト、二分割バンパーが特徴)なのです。
知人が昭和42年型のスバル360を持っていて一度コルトと二台で走ったが注目度がコルトの比ではありませんでした。誰もが微笑んで振り返っていました(コルトは『なんだあれ?』と怪訝な顔をされる事が多い・・)

展示車を初めて見た時は普通のスバルと違う希少さにビックリでした。
それまでは本などで初期型の事は知っていたが・・・



だが、しかし!
サニー同様心無い人によってこのスバルはかなり痛んでいます。
上が今の状態ですが左のフェンダーミラー、ナンバー上の「SUBARU」のエンブレムが
盗まれています(涙)


下の画像は昭和61年頃の撮影でミラーもエンブレムも付いています

ちょっと見辛かったですね。
この手の部品を盗む人って自分の車に付けるのかな?
それとも部品マニア(実車は持っていないけど部品だけを集める人がいるそうです)なのかな?わたしゃ哀しい・・・
子供の頃は「古い車を持っている人に悪い人はいない。物を大事にする人だから」と本気で思っていました。その後、いろんな経験をし甘かった事を痛切しました。
私も若かったんだな~

スバル360も好きな一台ですが自分が軽自動車を買うなら私はミニカ360(LA 21)が欲しいです。コルト一台で手一杯なのに数年前に本気で買おうと思った事があります。

そのスバルが置いてあるコーナーには閉館前の特別展示で昔の交通標識が展示されていました!

昔の写真や映画とかに出てくる旧交通標識!いやぁ、見たかったんですよ現物を!
部屋に飾りたいです。


鉄道コーナーには特に思い入れも無かったのですが、これが好きでした。
新幹線の駅にある発車案内装置(っていうの?)


いい歳した大人が一人で操作するのは犯罪を犯しているような気分でしたが
私が設定した時刻の意味を「さまひさん」だけは理解してくださるでしょう…。

さて、交通博物館は情報によると早くも解体に向けて展示してある新幹線の周辺に足場が組まれているそうな。



交通博物館シリーズ終了!

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さよなら交通博物館「91式戦闘機(のプロペラ)」

2006-05-15 00:43:35 | Weblog
交通博物館が70年の歴史に幕を降ろした今日、私は見事に夜勤でした・・・。
それでも11日の夜勤明けで最後の別れをしようと見てきました。

入り口で手を振っている人が一人。私の後ろの人に振っているのかな?
と怪訝に思っていると・・・伊東にお住まいのギャランGTO乗りのYさんじゃないですかぁ~!いや、まさかこんな所でお会いするとは(唖然)
聞けば午前3時に着いたとか、さすがです!
その後、三菱旧車乗りで知らない人はいないJETMANさんを紹介戴きコルト談義となりました。この時、かなりショックな事を耳にしましたがそれはいつか書こうと思います。

さて、今回ご紹介する展示物はこちら!



「4」番のプロペラです。飛行機コーナーでは私のHN「(艦上偵察機)彩雲」にも搭載された誉エンジンも展示されています。
この写真にある二翔プロペラのコーナーは今までよく見てきませんでした。
しかし最後なのでじっくり見て行こうと思い解説を読むと「4」は戦闘機のプロペラでした。



陸軍91式戦闘機。

ここに日本の戦闘機のプロペラがあるなんて知らず、もの凄い衝撃を受けた。
昭和9年の戦闘機なので太平洋戦争時には旧式となってしまったでしょうが
単独飛行などの練習等には使用されたと思います。
銀色に塗られた表面の塗装は当時のままかもしれません。

このプロペラは大空に憧れた戦時下の若者を見ていたのでしょう。
このプロペラの付いた機体で訓練し、その後前線に出て還らなかった多くの人。
このプロペラはどれだけ多くの飛行機乗りを見て、見られてきたのだろう。

生き抜いたプロペラを見てそんな事を思ってしまった


思わぬ所で戦争遺産に遭遇し、先の大戦で亡くなられた方々の冥福を祈った。

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さよなら交通博物館「いすゞ ベレル(のエンジン)」

2006-05-11 01:51:30 | (旧車)
私のブログって何だろう?
ブログというとウェブ上で公開する『日記』だそうな。
日記とはその日に起こった事を書いていくものだそうな。

私のブログはどうも違う事をやっている・・・。

交通博物館だって閉館間近の今では「交通博物館」で検索すると『行ってきました。子供の頃に行って以来で懐かしかった。運転模型コーナーは楽しかった』と皆さんたくさん書いておられる。
それが普通。
どこにも「サニー1000のカットモデル」について熱く語っている人は殆どいない。
交通博物館でサニー1000の写真を写している人の姿を見る度に
『もしかして彼のブログにサニーネタを載せるのでは?』と期待して帰宅し検索してもそれらしいブログは無い。

小心者なので人と同じ事をしていないと不安になってしまう。

そんな事を踏まえながら今回も交通博物館ネタをご紹介しませう。

今日ご紹介する商品はこちら ↓


いすず自動車「ベレル」のエンジンです。しかも中が見える便利なカットモデル!

この車の実車を見たのは過去にイベントで一回(後期型)と
10年以上前に第二国道鶴見付近でコルトを運転中にすれ違った事一回の二回だけである。
すれ違ったのは初めて見た展示車と同じだったと思う。
小学生の頃だったか、「こち亀」で大原部長が買ったというネタで初めて存在を知った。
見るからに古臭い(ほめ言葉)スタイルとレアっぷりが好きで普段は模型とかをヤフーのオークションでは買わない私が買ってしまった程だ。


ヒルマンミンクスのノックダウン生産で自信を付けたいすゞが設計製作した国産車だがディーゼルエンジンの音がウルサイ。雨漏りがヒドイ等で不評だったそうな。
末期には「3台まとめて買えば100万円」というタクシー業界の逸話も残っている。
今では三菱コルトよりも希少だ。
ベレル参考サイト↓
http://www.geocities.jp/sabisabi_club/_geo_contents_/car/bellel.html

http://mav.nifty.com/ahp/textview.cgi?patrol+9536+59

交通博物館に展示されているベレルエンジンの隣には
「ロータリーエンジン(初期型)」のカットモデルがあるので皆さんそちらに注目してしまう。ロータリーもカットモデルだがこちらはモーターで動きを見る事が出来るからなお更だ。
しかしベレルのエンジンもかつては説明用に動いていたようでこんな表示が残っている。

今は動きません。


そんなマイナーなベレルにもサーキットを駆け抜けた時代もありました。
なんとドリフトしています

第二回日本GPでの写真だと思います。
ナンバーも車検証票も付いたままだ・・・。

いや~んカッコいい~♪
後年のストックカーレースのような派手さも無く、普通の4ドアセダンが走る姿がたまらなく好きだ。

 交通博物館を訪れたら一階の鉄道コーナーばかりでなくベレルのエンジンもご覧下さい。

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さよなら交通博物館「サニー1000」

2006-05-08 01:12:29 | (旧車)

昭和41年
日産自動車は大衆車サニー1000を、トヨタはカローラ1100を発売した。
両車は今となっては地味な存在だが日本自動車史の記念すべき車だ。
その一方の初代サニー1000が交通博物館に展示されている。




それもただの展示ではなくて車の構造がよく分かるカットモデルだ。



このサニー1000(B10)を初めて見たのがいつの頃だったのかはっきりとした記憶がない。
交通博物館を初めて訪れたのは小学校の社会科見学だったと思うが
このサニーを見たという記憶は無かった。
それでも中学か高校の頃に同館を訪れ写真を撮っていた。

正確な撮影日は不明


サニー本体に変化は無いがよく見ると床や背景、柵、説明板等に変化が見られる。

実車のカットモデルというと私は中学1年生の時に神奈川県青少年センターで見たフェアレディSP310の事が忘れられない。
授業で青少年センターを訪れた時にその存在を知ったのだが、半分に切られたフェアレディに釘付けだった。
こんな所にこんな名車があるなんて・・・。いつか写真を撮りに行こう!と思っていたが数年後に訪れた時はフェアレディ300ZX(Z31)に代わっていた。
無くなってしまった事は悲しかったがその後、別の場所で保管されている事が分かり安心したものだ。

今、どれほどの旧車のカットモデルが存在しているのだろう?

中をよく見るとチョークレバー、メーター脇のタンブラー型のスイッチ、窓のレギュレーターハンドル、ドアレバー、ルームランプが欠損している。
なんでこんな事をするんだろう・・・・(号泣)

気を取り治してタイヤを見る。当然というか、なんとバイアスタイヤ!

私はバイアスタイヤが大好きなんよ~♪コルトも数年前までバイアスタイヤを履いていたのだが、さすがに在庫が無くて泣く泣くラジアル化している。
安定性は良いがハンドルが重たくなってしまった。
バイアス欲しいな~。そういえばトランク下に眠っているスペアタイヤは「ホワイトリボン」付きのバイアスタイヤだ。今度、点検しなくてはな~。(腐っているかもしれん)

サイズは5.50の12インチでメーカーは「TOYO」タイヤ。

トーヨータイヤといえば・・・・

「アメリカのハイウェイを突っ走る日本の自信!!」

素晴しい!60年代ですな~♪『ハイウェイ』ですって『突っ走る』んですって♪
ちなみにこれは切符の裏の広告なのですが表はもっと60年代しています。

         表↓




この「絵」の中で残っているのはホテルエンパイアの建物だけ。
ドリーム交通モノレールも、ドリームランドもみんな消えてしまったな・・・

(『感傷に浸っていないで早くエンパイア再びの続きを書けよ!』という声が聞こえてきそうだが、他に書きたい事がたくさんあり過ぎて書けないんよ。)


エンジンルーム内のプレートを見ると車体番号は「B10-000207」と刻印されているので、かなり初期の固体とみえる。

交通博物館が埼玉に移転されると「鉄道博物館」となるので、ここにある船舶模型、自動車、航空機エンジン等は通常展示されないそうだ。
それでもいつか「特別展示」で出会う事があるだろう



それまでさようなら

  再び逢うその時に、私はまだコルトに乗っているのかな・・・




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さよなら交通博物館 「航空灯台」

2006-05-05 00:28:40 | Weblog
開館前に無事に到着しましたがその時すでに300人の人が並んでいたそうな。
博物館上の留置線にはディーゼル機関車が牽引する特別急行列車「出雲」号が!

東京ど真ん中で大型ディーゼル機関車を見られるなんて、滅多に無い事では?
入り口で記念の切符を戴きました。


普通は交通博物館に行くと名物の電車シュミレーターを目指すそうなのですが私は1階の鉄道コーナーに目もくれず航空灯台へ!



おお!夢にまで見た航空灯台!赤と白のレンズがステキ♪
(まずいないでしょうね、真っ先に航空灯台を見に行く人って・・・・)

裏から見たとこ(inomamoさん見てますかぁ?)


説明板

なんと平成10年まで名古屋にあったのか?
ああ、現役で可動する姿を見たかった(涙)
夜はどのような光を発していたのだろう?靄が掛かった夜などはさぞ美しい光を発していたことだろう。



資料も少ないので想いは尽きない。

「航空灯台」
私が初めてその言葉を知ったのは熱海の十国峠だった。
中学生だったか、ケーブルカーで山頂に着くと案内板があり
そこに「航空灯台跡」の石碑があった。

たぶんその頃は『跡』という表記に身体が反応したのだろうが
それから「航空灯台」とはどんなものか?空に灯台って?
と気になっていた。

ところでここの航空灯台はどこに設置されていた物なのだろう?


少し離れた飛行機のコーナーに展示してあった昭和14年の空路図





要塞地帯や不時着陸場という言葉がスゴイ

さらに時代を感じさせる注意事項がこれ↓



見辛いが「空中よりの写真撮影は其の筋から絶対禁止されて居りますからご注意下さい」
と書いてあります。

つづく

次回はサニー1000です


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東京だよ、落下傘!

2006-05-02 16:21:51 | 三菱コルト1100
前回のブログで「航空灯台」の事を書いたらこれまたinomamoさんが同志だ、という事が分かりかなり感動しました。
で、更に詳しく航空灯台ネタやサニー1000の事を書こうと閉館近い「交通博物館」を再訪してきました。
当初は電車で行こうと思っていたのですが最近コルト1100を走らせていなかったのでコルト1100で行く事にする。

品川より北の都内を走る事は殆ど無いしコルトで都内を走る事は15年も運転しているのに初めてだったりする。恥ずかしい事に行く前から緊張してしまい朝も早く目が覚めてしまいました(笑)
29日の祝日は道も空いており渋滞も無いので快適そのもの♪

銀座を通り抜ける時は「おお!華の銀座だよ~!」「うわぁ、これがよく話しに聞く日本橋の百貨店か~」
本気で感動していました。銀座は電車で来たりした事はあるけど車で通った事はあまりない。
日本橋に差し掛かった時はわざわざ車を置いて写真を撮ったりしてしまう。


普段、都内で働いている者とは思えん(苦笑)。

  ああ、コルトで東京を走っている

「そんなに凄いことか?」と思われているでしょう。
私にとっては凄いことなんです。この漫画をご覧ください。




ご存知「こちら葛飾区亀有公園前派出所」での一コマ(無断掲載…)。
『今時走っている姿は見かけないコルト1000だ』
と言われています。
そんな「今時見かけないコルト」が都内を走る事に意義を感じる。

両津さんの弟さんは弁護士でなぜかコルト1000(A20)に乗っている。
この漫画を読んだ時は嬉しかった!(私のは発展型のコルト1100(A21)だが)
車雑誌でもほとんど取り上げられないマイナーなコルトが「こち亀」に出てくるなんて(涙)

それにしても広い道路や百貨店の濃厚な建物を見て、
やっぱり東京はスゴイな~。と改めて思う。せっかくなので昔ながらの建物を写真に収めようと思ったが
交通博物館の駐車場が満車になってしまっては意味がないので諦める。

間もなく交通博物館に到着だがその前に「みどりの窓口」がある駅に立ち寄らなければならなかった。

情報によると入館券の自動券売機は混んでいるそうなので「前売り券」を買っておいたほうが良いそうだ。
しかも博物館で買うと¥310だが駅での前売りは¥260でお得なのです。
博物館手前の神田駅に車を停める。

停めた・・・


なんかイイ!
ガード下と赤レンガと旧コルトのマッチングが「60年代」です♪
写真の撮り方が下手なのは仕方ない。
さらにモノクロにしてみたりする。



おお!自己満足な世界(苦笑)

つづく・・・


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