あのコルトを狙え

TOKYO2020 子供たちに負債を(笑)

ハードボイルドヨコハマ2024

2024-06-16 22:46:41 | ヨコハマ

(前回のつづき)

「あぶない探偵」という仮題で制作していた「帰ってきたあぶない刑事」だが

正式に映画タイトルを決めなくてはならないギリギリの時期で「帰ってきた~」と

なった事を近藤プロデューサーさんが舘さんに

タイトルを告げたら

『それじゃ「帰って来たヨッパライ(フォーク・クルセイダーズ)」みたいじゃないか」

と言われ「私達の世代からすると『帰ってきたウルトラマン』だと思うのですが

舘さんは昭和というかもっと古くビックリしました(笑)

また

今回は企業さんとのタイアップが多かったのは企業の責任者の方が50代位になり

タイアップとなると決定権を持つ人が「あぶ刑事ですか?あぶ刑事好きです!」

となりタイアップがしやすかったと思います。

 

と興味深いお話しを教えてくれました。

近藤プロデューサーさん「興行収入によってはすぐに帰って来る、かもしれません(笑)

皆さん布教活動をお願いします(笑」

この言葉を胸に次回作を期待して今後の人生を生きていきます!

 

サイン会と撮影会の後は大さん橋の波止場会館で二次会という名の

「ハードボイルドヨコハマ2024」という懇親会が開かれました。

この回には劇用銃器の雄BIG SHOTの納富貴久男さんが合流

あぶない刑事で使用された歴代の銃を持ってきてくださいました。

うおぉ!!初期シリーズの舘さんが実際に使っていた拳銃が目の前に!

しかしまるで「税関に押収された密輸拳銃」みたい(笑)

各あぶない刑事シリーズの拳銃が目の前にあるという夢のような世界

納富貴久男さんによる解説

納富貴久男さんはエンディングに出てくるBIG SHOTの方です。

懇親会は自然とサイン会のようになってしまい

色紙やDVDパッケージを持って来ている方はサインをもらっていましたが

このような場に慣れない私は何も持ってきていなかった事を後悔…

いいや、きっとまた次回があるさ!

夢のように楽しい時間が過ぎていき終了となりました。

関係者の方々、本当にありがとうございました。

 

トークショーや懇親会でお話しした方に声を掛け一杯飲みに行こう、となり

会場を出て日本大通りを歩き今回の「帰ってきたあぶない刑事」で

タカとユージの探偵事務所として使用されている建物にある

THE BAYSで飲み会となりとっても楽しいひと時を過ごしました。

若い3人とオッサン1人(私)でロケ地での「あぶ刑事」トークは最高でした。

私はまだ2回しか観ていません。

感想はまた後日に書きたいと思います。(最低でもあと2回は観たいな)

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あぶない刑事 脚本家 柏原寛司さん&プロデューサー・近藤正岳さんトークショー&サイン会

2024-06-03 23:44:09 | ヨコハマ

5月31日

横浜 伊勢佐木町の書店「有隣堂」で「あぶない刑事」等の脚本家柏原寛司さん

映画プロデューサー 近藤正岳さんのトークショーとサイン会が開かれました。

この日は月末なので締め作業があり大抵は泊まり勤務となるのですが

職場のお客様達がウォーキング会を予定されていたので私も行こうと偶然に休みを取っておりました。

もしもウォーキング会が無かったらまず出勤でした。

アクションドラマの脚本家で有名な柏原寛司さん!!

上大岡京急百貨店の「帰ってきたあぶない刑事展」でもトークショーがあったのに

仕事で行けず悔し涙を流したのがまたここでチャンス到来!

開催を知りすぐに予約し無事取れました。

職場のウオーキング会は無事終了し目白の椿山荘でランチ後に解散。

すぐに伊勢佐木町の元横浜オスカー跡のネットカフェで休憩と着替え。

時間となり有隣堂へと向かう。

「帰ってきたあぶない刑事」の舞台挨拶やフィルムコンサートは軒並みハズレたり仕事だったが

ここで大きな『祭り』に参加が出来るとあって大興奮(笑

鼻息荒く到着開始を待ちました。

イベント会場の6階はほぼ同世代だらけ。

柏原寛司さんは今回「あぶない刑事1990」

近藤正岳さんは今回の「帰ってきたあぶない刑事」

という小説の出版記念でのトークショーとサイン会でした。

お二人が登場し自己紹介が終わると自然に質疑応答となり

私も長年疑問に思っていた事を投げかけてみました。

「なんであぶない刑事ってヨコハマの観光地化に貢献されているのに撮影許可が出ないの?

 神戸や市原市に行かなくてはならなかったのは?」

近藤さん『シナリオが遅れて後手後手になり関係機関に手配が出来なかったのもありますが

近年ヨコハマに限らず国内では撮影が厳しくなっています【略】

今回海にクルマを落とす場面が横浜では不可能でした。でも神戸で落とすのも海上保安庁の管轄で【略】』

 

全てを書くのは不可能なのですが要は『コンプライアンス』

もう地上波でアクションものは作れない時代だそうで映画ならなんとか、な現況を丁寧に

お話しして下さいました。ネットで『県の条例で町なかでアクションが出来ない』という噂は

本当なのか?との質問は柏原さんが「(条例)というか警察!道路使用許可が下りない【略】昔は良かったな~」

と答えてくれました。そのお二人の答え方も面白く優しくてお人柄がとても素敵でした。

 

お話しの中で印象に残ったのが近藤プロデューサーさんが

「あぶない刑事って皆さんに楽しんで頂くという側面が大きなコンテンツで単に映画を観に行く、というより

『縁日』に来たようなイメージで楽しんで欲しいんです。『お祭り』ですね。あぶ刑事祭りをどう作っていくかが

プロデューサーとしての仕事」

やはりそうですよ!この数か月はまるで『あぶ刑事祭り』でしたよ!

聴いてて熱くなりましたが「あぶ刑事」は今回近藤プロデューサーさんが完成から公開まで時間もあったので

色々と「祭り」を仕掛けてくださったようです。

今回お話しを伺えて良かったです。

で、トークショーというかファンミーティングも終わり本日はスペシャルゲストが来ています!と紹介され

近藤正岳プロデューサーさんが『瞳ちゃん、お茶!』と言うと

あぶない刑事初回から登場されている長谷部香苗さんサプライズで登場お~!

会場は大盛り上がりさ!そりゃそうだ!あの瞳ちゃんだよ!いや瞳さんだ!

これまた先日の「帰ってきたあぶない刑事展」で長谷部さんのトークショーがあったのに

またまた仕事で行かれなかったんです。

昔はカワイイ感じでそれも良かったけど今は今でステキに年齢を重ねてキレイだなぁ

と思っていたが実際はもっとキレイ!

で、最後に記念撮影タイム!

え?僕が瞳ちゃんの隣に座っていいの?

左から 柏原寛司さん 1人おいて… 長谷部香苗さん 近藤正岳さん

何か声を掛けるチャンスなのだが焦ってしまい

彩雲「あ、あの『べっぴんの町』で交通課の警察官をされてましたよね…」

長谷部香苗さん「そう!原隆仁監督の!」

次の方の順番や緊張もありそれが精いっぱいでした

サイン会の時には柏原寛司さんから

「お、そのシャツ(あぶ刑事展限定)京急で買ったの?」とツッコんでもらえ感動

本当に感じの良い優しい方でした。

【つづく】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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あぶない刑事展  9日目

2024-05-05 00:00:03 | ヨコハマ

5月4日

あぶない刑事展も残すところ2日

この日は最大のイベント

『瞳ちゃん、お茶!』で有名な山路瞳役の長谷部香苗さんと

脚本家大川俊道さん(最終話『悪夢』は名作!)

のトークショー。

しかし・・・見事に泊まり勤務となってしまいました。

一瞬仕事をサボろうと本気に考えましたが職場への迷惑を考えると

出来ませんでした(当たり前)

イベントは見られないけど先日買った「あぶ刑事カステラ」が本気で

美味しかったから今日の内に買って行こう、とあぶ刑事展に寄ったら

グッズが補充されており会計は長蛇の列・・・

主催者側は必死になって生産手配をされたのでしょう。
 
それでも11:30の時点で売切れ多数でした。

 

ブリュレカステラもあったのだが待っていたら確実に遅刻。

断念し長谷部さんと大川さんの来るであろうブースに行くと

1時間30分前でも既に着席し席を確保されている方が多数。

あぶ刑事ファンなら会いたい二人ですもんね

長谷部さん観たかったなぁ。

昔より今の長谷部さんの方がステキです。

大川俊道さんの名作「疑惑」「悪夢」が好きなので当時の話しとか

聞きたくて・・・

仕事中も『今頃どんな話しをしているんだろう』

と気になって仕方ありませんでした。

あぶない刑事展は良かったけど
 
自分の勤務都合が最悪でした(涙)
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横浜ヒストリックカーデイ2023 赤レンガではなく

2023-11-27 23:22:57 | ヨコハマ

昼過ぎの赤レンガ地区に突如地面から生えてきたのは

赤電話です。

ええ、そうです。

ご存知の方も多いかと思われますが福島屋旅館にあった赤電話です。

13年程前のブログで書いた

福島屋旅館と赤電話

元々はまにまにカレチさんから2007年に頂いたものです。

我が家に昭和がやって来た!

 

旧車イベントに持って行ってクルマの隣に置いたら面白いだろうなと思い

持ってきました。

しかしこんなのを持ち込んだら主催者から怒られるかもしれない。

そうしたら

『いや赤レンガと赤デンワを間違えたんですよぉ

と答えればいいだろう。

しかし会場入りしてもトランクから出すタイミングが1人では何とも恥ずかしい。

昔からコメントを下さるcarlosさんが来てくれて初対面となりましたが

まだ時間が早すぎる(carlosさんお話し出来て良かったです)

しばらくすると会場内でちゃがまるさんと遭遇。

二年ぶりの再会です。

事情を話してトランクから二人で電話台と赤電話を出すのですが

電話台は転倒防止の為に石の重りが入っているのでとても重たい。

寒いので下手したらぎっくり腰の恐れあり1人では危険でした。

ちゃがまるさんありがとうございました。

この並びが見たかったのです。

昭和を表す道具の1つ「赤電話」

福島屋旅館に展示しておいた際も好評だった。

「懐かしいなぁ」とお父さん

子供たちにはダイヤル式も初めてなようで

親御さんがお子さんに使い方を教える光景が多く見られました。

ダイヤルを廻す、という事が斬新に感じるようです。

電話を掛ける姿を皆さん写真に撮っておられ楽しそうでした。

思った通りの展開で良かった。

この赤電話の台に貼られている「電話愛用電報活用」は

福島屋旅館の松尾さんが作製されました。

あの松尾さんが手掛けたものという思い出

そして

まにまにカレチさんから頂いた際には受話器受けが下がったままで

受話器を上げても戻ってこなかったのですが

父に「これ直して~」と頼んだら興味津々で分解し

『へ~ 公衆電話ってこうなっているんだ』

と言いながらコルト同様に直してくれた思い出

 

そんな懐かしい思い出が詰まった赤電話です。

 

☝ちゃがまるさんに撮影してもらいました。

そんな思いを胸に

私は誰と話しているのでしょう・・・

 

「もしもし私、日本銀行協会の振込サギ男と申します」

と話しているのかもしれない

(正解:「キミキミ、アライだよ」でした)

 

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琴電の元京急1000系

2023-09-06 10:42:00 | ヨコハマ

京浜急行往年の主力車だった1000系がクラファンによりかつての塗装で

走っているので乗りに行く、というのも旅の目的の1つでした。

京急では無くなった一枚ドアや壁の色が懐かしい

現在の京浜急行電車のドア↓ ↓ ↓

 

 

残念ながら座席は更新されていました。

つり革もかつてと違って新しくなっていました。

 

KHK(京浜急行)のロゴは健在

昭和49年の生まれでした。

こんな網棚も見なくなりました

この表記も懐かしい

418名の方々ありがとうございます。

幼少期から京急にはお世話になっておりましたので私も絶対にこの車両に乗っていたのだろう

見なくなってしまったツーハンドル

幼稚園生位頃だったか

なぜか履きなれない革靴というのを履かされて?親と出掛けた時の事。

横浜駅で京急を降りる際に靴が脱げてホームにその革靴が落ちてしまいました。

当然?泣いて親に訴えると親がホームにいた駅員さんに事情を話した所その電車が出た後に

赤旗を振って次の1000系を停めホームに降りてその靴を拾ってくれたのです。

今では法令や安全上出来ないそうで回収は営業運転が終わった深夜になるそうだ。

『僕の為に電車を停めてくれた

その驚きと感謝は今でも忘れません。

この写真はその時の目線で撮ってみました。

あの時の駅員さん ありがとうございました。

列車種別を表す枠はシールでしたが実にリアルで一見分かりませんでした。

まるで京急の駅にいるみたいです。

次に乗った電車はこちら

シートは往時のままだと思います。やはりこの色です!(優先席は違います)

なんと昭和35年!

京急1000系は長い期間に製造されているので140コロナさんの話しによると

機器が異なるそうな

たしかに先ほどの運転席とは異なりますね

比べるという事は出来ませんが自動車で昭和35年製と昭和49年製だと

まるで異なるかと

まるで京急の戸部駅かと

この車輛には運用幕?がありました。

 

今回も旧600系には乗れませんでしたが

途中の駅で見かける事は出来ました。

正面と座席は変えられていますが側面は昔のまま。

いつかは乗りたい電車です。

懐かしの京急編終わり

【つづk】

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赤レンガ鉄道遺構

2023-01-05 09:37:07 | ヨコハマ

あけましておめでとうございます。

昨年は稚拙な小生のブログをご覧いただきありがとうございます。

ほとんど更新はありませんが本年もよろしくお願いします。

さて、正月です。

ホテル業なので年末年始は当然働いておりました。

1月2日に休みだったのですが姉兄家族と実家にいたのであまり休んだ気持ちがしませんが

本日は休みで1人録画したテレビを観てお酒を飲み過ごす予定です。

2日に50日ぶりにビールを飲みました。

「これだけ禁酒したのだからさぞかし旨いのだろう!!」

と一口飲んだら・・・

おいしくない・・・

はぁ?何これ? 感動まったく無し

長い間刑務所暮らしをして出所した人が酒を飲んだらやはりうまくなかった、という話しを聞いてましたが

本当なんですね。

幸福の黄色いハンカチで出所後の健さんが食堂でビールを飲む、酒好きにはたまらない名場面がありますが

実際には違うような気がしました。

でも止めたくないのでそのうち戻るでしょう。量は控えます(出来るのか?)

 

さて、前置きが長くなりましたが先日140コロナさんに連れて行ってもらった場所があります。

『子供頃から気になっていた』というその場所はJR東戸塚駅の近くです。

東海道線の下をくぐる自動車歩行者用のトンネル(堂道地下歩道)がありますがその横

線路の下に古そうなレンガが積んでありますがこれは東海道線開業時の頃のものでしょうか?

 

しかも下部にはトンネルらしきアーチが見えます。歩行者用だったのか川のトンネルでしょうか。

現在の線路は2メートルくらい上の高さになっておりますが開業当時はこの高さだったのかな。

レンガの積み方は英国式というのでしょうかね。

↑右は近年のものでしょう

140コロナさんによると『開業当時の遺構なのかネットで調べても出てこない』そうです。

鉄道開業150年を過ぎましたが身近にこんな鉄道遺構があった事に感動しました。

現在のトンネルの脇にある年号のプレートが蒸気機関車のプレートのようでステキ。

どなたか東戸塚赤レンガトンネルの詳細をご存知の方おられたらご教授お願い致します。

 

ちなみに少し離れた個所には最古の現役鉄道トンネルがあります。

 

ここにC62の牽引する特急や151系こだま号、80系、ブルートレイン等の華の東海道線名列車が走っていたのかと2人してしばらく眺めておりました。

 

ほぼ同じ場所で撮影 昭和58年

140コロナさん 素晴らしい名所案内ありがとうございました。

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あのときのシウマイ弁当

2021-08-09 16:38:56 | ヨコハマ

ヨコハマ産まれでヨコハマ育ちの私が「横浜名物は?」と聞かれたら迷わず挙げるのが

崎陽軒のシウマイ弁当です。

駅弁として日本一だと思うその理由は観光客ではなく地元の人が頻繁に買っていく駅弁なんて

他にあまり無い。あったとしても数量が違い過ぎだろう。

食事にしても酒の肴としても言う事無しな逸品!

その日は実家の母から仕事帰りに京浜デパートの地下で崎陽軒の弁当を買って来てと依頼があった。

たまにはシウマイ弁当ではなく別なものを、と思い赤飯とチャーハンを選んだ。

会計が済み受け取ろうとした時にチラシのような広告が目に入った。

1964年のシウマイ弁当復刻版。

大げさなようだが「心の中で」奇声を上げていた。

『これだよ、これぇえええ!! 僕が食べてみたかったのはこんなシウマイ弁当なんだよおお!!』

 

動揺し、これに変更したいと思っても支払いは終わった後。

幼少期で覚えている崎陽軒シウマイ弁当は小学1年の頃に祖父の葬儀の際に火葬場で出された

黄色い掛け紙の弁当だった。その前にも食べているのだろうが何故かこの時に黄色いシウマイ弁当が記憶に残っている。

いつだったろう

サクランボのシロップ漬け?がアンズに変わったのは

そうなるとかつてのシウマイ弁当の中身は変わってきたのか?

鶏のから揚げではなくエビフライの時もあったな

 

簡単に撮影が出来る現在と違い駅弁の中身を撮影している人も見当たらない。

なので過去のシウマイ弁当の中身を知りたかったし機会があれば崎陽軒にかつてのシウマイ弁当を

復刻して欲しいと嘆願したかった。

 

翌日、夜食にしようと出勤前に売り場に行ったが見事に売り切れ…

その翌々日の休みに2店を巡っても売切れで「入荷待ち」の札。

次の入荷は13:30から14:00頃との事だ。それだけ売れている、というのは嬉しいものだ。

 

やっと入手しました。

オレンジがかった現在の掛け紙と微妙に違う黄色い掛け紙の「色」

以前はもっと色が違ったと思っていたがやはり変わっていたのだ。

こちらが現在☟

そして復刻版☟

 

調製の日付はあえて東京五輪の文字を入れずに1964.10.10とあるのがいい。

左下には「崎陽軒」ではなく

 

「横浜駅」の文字が泣かせる

昭和38年の東海道ロードマップには横浜駅の目印にシューマイビルが記されていたほど

駅前にあった旧崎陽軒ビルはシンボル的な役割だったのだろう。

左下の横浜駅前案内図拡大

東京タワーみたいなマリンタワー。昭和感に溢れています。

 

龍のイラストも今では赤いが昔は違ったのね。龍自体も変わっている。

 

青い水晶玉の中には常にヨコハマを象徴する建物をイラストにしてきたが

この頃は今では高層ビルに埋まってしまった感のあるマリンタワーがそびえ立つように描かれ

隣の船は氷川丸だろうか。真ん中は神奈川県庁と横浜税関かな。

古いクレーンを付けた船舶が多く描かれているのは海運が盛んだった当時を物語っている。

一番右の銅像のようなモノはなんでしょう?

先にご紹介した横浜駅前のかつてのシウマイビルです(たぶん)

ペンギンのように見えるのは

屋上にあった「ひょうちゃん」のネオンサインだと思います。

細かいマニアからすると左の「毎度ありがとうございます」の文字の脇に

御願い 時期柄なるべくお早目に~ 国鉄構内営業中央会員、崎陽軒の社名下には住所と電話番号が…と

ツッコむ方がいるかと(いないか)

それでは紐を解き開けてみましょう

そういえば昔のオシボリは白フチでオレンジ色の紙袋に入っていた。昔、実家に大量にあったのだが

捨ててしまった事を今頃後悔しています。駅弁にオシボリを付けたのは崎陽軒が初と聞いています。

現行品と比べると

シウマイの数が一つ少ないし色が地味です。

横浜蒲鉾のカマボコが赤くなく白一色でアンズのオレンジが無いだけで華やかさがまるで違う!

 

卵焼きの黄色も無いか

カマボコの赤って華やかだったんですね

 

「1964年に思いを馳せ、当時の内容を再現したシウマイ弁当。「きんぴら蓮根」「豚天」「セロリの塩漬け」「福神漬け」「大根漬物」といった、“あのとき”のおかずが復活しました。」

崎陽軒のHPより転載

食べた感想は唐揚げと甘い玉子焼き、甘酸っぱい杏子が好きなので現行品に軍配を上げます。

あと華やかさの大切さを痛感。

それでも1964年の駅弁を食した、という幸福感に満たされました。

昔の時刻表を見ると当時の商品や値段を見るにつけ

どんな内容だったのだろう、と想像していました。

昭和39年10月の時刻表の駅弁案内

当時は¥150でした。

 

さて、昭和39年のシウマイ弁当にタマゴ焼きが入っていない理由ですが

昭和38年にこのような出来事がありました。

 

 

 

たまご焼きの火入れが足りなかったようです。

それがあり一年後の昭和39年にも玉子焼きは入っていなかったのではないでしょうか。

崎陽軒さんには触れられたくない出来事でしょうがこれも歴史の一コマとして載せてみました。

あのときのシウマイ弁当は9月5日まで販売されます。

明日の遅番の前にまた買うつもりです!

崎陽軒のサイト

 

 

 

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桃源郷は幻のように

2018-11-06 10:02:59 | ヨコハマ

140コロナタクシー仕様さんから

「中里温泉を見に行ったら更地になっていた」と連絡があった。

 

中里温泉とは横浜の弘明寺にある温泉宿で横浜市民でも知らない方が多い

温泉旅館だった。

タケノコの季節には筍づくしの料理が名物で知る人ぞ知る存在だった。

140さんと現地に行くと

住宅街にあったその旅館は確かに消えていた。

呆然と立ち尽くし最初で最後になった宿泊時を思い出す。

 『もう一度行きたかった』

ここに限らず言っている。

いつでも行けるから今でなくてもいい、と思っていた。

無くなってから後悔する自分の愚かさが嫌になる。

『桃源郷だったんだよ』

あの時に父が言った言葉も本当に想い出となってしまった。

 9年前の宿泊記 

 

 

 

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リラックマカフェ 上大岡

2018-05-09 10:29:03 | ヨコハマ

リラックマカフェ行きたいな~

でもいい歳したオッサンが入店するのも何だし

でも期間限定だから後悔するし

でもキイロイトリさんマグカップは欲しいし

怒麟苦博士、いやドリンクを注文し料金追加で特製マグカップをお持ち帰りできるそうな。

リラックマのグッズを私が何一つ持っていないが実用性もあるマグカップ位は

所持していても許されるだろう

で、行ってきました!

入口付近

おお!キイロイトリさんが!

店内

店内にはリラックマの駅名標?が飾られていたりしていたが

他のお客さんが写ってしまうので他に撮れませんでした。

念願のマグカップ。

赤と青のリラックマもあるのだが悩んだ末にキイロイトリさん

コースターも持ち帰りを考慮し使っていません(笑)

スイーツを食べたかったのだが中華を食べての帰りだったが為に断念

手に持っているのは店内メニューの表側

『恥ずかしいですー!』ちょっとムっとしています

 入口にはリラックマさんが並んでいます。

こんなのを私が撮りに行く姿を想像するとナニなので

「頼む!撮ってきて~

と撮影してもらいました(笑)

そして彩雲荘には似つかわしくないリラックマグッズが収まりました。

鳥好きだし

これくらいは許されるでしょう

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五丁目の電停

2017-12-06 01:05:15 | ヨコハマ

9月23日

横浜市電保存館では記念イベントで廃止時の花電車が登場しました。

35年ほど前に地下鉄関内駅で行われた市営バス、市電、地下鉄部品の即売会では

花電車に使われたカラフルな電球も販売されていましたが使い道もないので

買わなかった事を思い出しました。

買っておけばよかったかな。今となってそう思う。

さて、その日の久良岐公園では神奈川新聞の定期イベントで

横浜市電1156号の公開日でした。

最近は予定が合わず久しぶりにお邪魔しましたがレプリカ作成の為に

貸出していた電停行燈標識を預けっぱなしにしていたので引き取りました。

せっかくなのでその電停行燈標識を付けてみよう、という事となる。

微妙に異なるねじ穴に苦労のすえ(私はほぼ見ていただけ)

営業当時の「長者町五丁目」と「石川町五丁目」の行燈が45年ぶりに横浜市電とご対面

おお…

私が小学6年だったか先の販売イベントで買ってきていつかはどこかに保存されている

公園の市電に取り付けてみたい、と願っていた。

でも実際に各地に保存された市電は荒廃し姿を消していった。

買ってからは押し入れや机の裏にひっそりと過ごしていた。

時折見ると私はその「長者町5丁目」と書かれ6、70年代の空気や音、人々の熱気を吸収した塩ビ板に往時の思いを寄せてきた。

イベントに貸し出したら好評だった事もあった。

私のコルト1100だって親戚の家にあった頃は麦田の親戚の家に行く際に

電停脇を通っていたのかもしれない…

そしてついに「公園の市電」に使われる時が来るなんて…

だから人生は面白い

反対側の「石川町五丁目」は簡略化の為かペイントだけなので劣化が激しいです。

賑やかな長者町5丁目と雰囲気は全く違うが当時の雰囲気が少しでも味わえるような気がします。

五丁目電停を実際に利用していた、という方に見てもらいたかったのですが

この後に元の「久良岐公園」電停に戻しました。

 

神奈川新聞さん 本当にありがとうございます。

両者互いに懐かしい、と思っているのかな

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ポスターにはワケがある

2017-06-26 13:57:00 | ヨコハマ

『彩雲には似合わない』と言われ続けるアパートに引越しもう5年

契約は更新するも壁に貼られているポスターは未だに更新される事がありません

白い壁に赤のポスターが似合っていると思いもう5年

日本郵船が戦後に外国人に向けて旅客を集めたポスターの復刻版で氷川丸が描かれています。

inomamoさんから額に入れたら雰囲気変わりますよ、とアドバイスを頂いて実行しようにも未だに出来ていません

実はこのポスター、石原裕次郎さんの映画「俺は待ってるぜ」にも出てきます。

かつてのヨコハマの雰囲気が味わえるこの作品はモノクロ画面といい若き日の裕次郎さんを描いた

傑作で曲と共に好きな作品の一つです。

あぶない刑事で有名な新港埠頭入り口に店を構えるレストラン「REEF」

奥に見えるのは大桟橋

レストラン前をC56が通過していきます。

このC56が139だったらなぁ・・・

http://c5557.photoland-aris.com/c56139.htm

レストラン・リーフの店内に・・・

入り口脇のポスターは

 このポスターの下でソファに座りこの映画を観て気付いた時はオバちゃん驚いたわよ!

 

このポスターが映画に出てるくとは知らずに売店で一目ぼれした訳ですが

店内もオシャレでいいなぁ

モノクロ画面が雰囲気出ていますが実際にカラーだったら木の壁に赤いポスターが映えていたのでしょうね

因みにこの映画には横浜市電も出てきます。

隣りには初代クラウンRS

石原裕次郎さんが亡くなってもう30年

当時私は高校生でした。早いな

映画の中に出ていたポスターを

俺は持ってるぜ・・・

ポスターは今でも日本郵船歴史博物館の売店で買えます ↓ ↓ ↓

http://www.nyk.com/rekishi/knowledge/museum/

さて、タイトルから石原裕次郎さんを起用した男性化粧品資生堂「ビコーズ」を思い出した方がどれだけおられるのか

  「男にはワケがある」

あのCMで『あのオジサンが?』と驚いた若い人が多かったそうな。

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横浜市電1156号 平成27年7月19日

2015-07-30 18:23:02 | ヨコハマ

久良岐公園に展示されている横浜市電1156号の納涼撮影会が7月19日に行われました。

電停標識や安全地帯標識も新たに設置、線路も延伸されてから私は都合がつかなく久しぶりにお邪魔しました。

それも夜勤明けだったので夕方からの公開でしたが早々と帰ってしまいました。

普段はコルトで行っていたのが今回は京急バスです。

架線も張られています。

昭和60年撮影

よくぞここまで・・・

 

もっと陽が落ちるまで待てばよいのですが仕事明けでヘロヘロだった為に退散しました。

さて、前回訪れた時に市電車内に神奈川新聞さんの修復記録と一緒に「染谷コレクション」という

アルバムが展示されていました。

染谷さんという方が横浜市電が走っていた頃に撮影した貴重なお写真が観られます。

昔の写真が大好きな私は夢中になって見ていました。

当時の車や町並み、広告は見ているだけで楽しい。

しかし、私はこの写真を見て何か普通と違う事に気付いたのです。

「こ、こ、これは!・・・」

【つづく】

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横浜市電1156号 公開のお知らせ

2015-02-08 00:34:14 | ヨコハマ

久良岐公園の横浜市電の車内公開イベントが2月11日(祝日)に行われます。

昨年より周辺の改修工事が行われており公開イベントは開かれておりませんでしたが

数ヶ月ぶりに再開されます。

線路は「延伸」され、なんと架線が・・・

電停の位置も修正されました。

詳細は神奈川新聞さんのサイトをご覧ください。↓  ↓  ↓

http://www.kanaloco.jp/article/83159/cms_id/122544

13:00から16:00の予定です。

いつか市電の隣にコルトやオート三輪といった旧車が収まるイベントがあれば楽しそうです。

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はしれぼくらのしでんたち

2013-05-24 23:11:26 | ヨコハマ

ずっと昔の子供の頃に好きだった絵本がある。

持ってはいないが近所の文庫にそれはあった。

「はしれ ぼくらのしでんたち」

ご存知の方もおらえるかもしれません。

「横浜市電」と書いているわけではないが車体の色や電停が「馬車道」だったりするので横浜市電でしょう。

数年前に図書館で取り寄せて再読するまで内容は忘れていました。

そしてヤフオクでみつけたので今は手元にあります。

巻末の協力に「横浜市交通局」とあるのを初めて知りました。

表紙の電車は鶴見区の獅子ヶ谷町にあった「わかめ文庫」の電車です。

これも今はもう現存しません。

絵本の内容は市電が廃止になり公園や施設にもらわれていった電車のお話です。

まるで久良岐公園の市電みたいな内容です。

次回の久良岐公園の市電公開は来週の日曜日5月26日の14時から16時までです。

 

その中の車内にこの絵本も展示しますのでご興味のある方はお越しください。

詳しくはこちらをご覧ください。

 

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市電清掃

2013-05-08 00:05:24 | ヨコハマ

5月5日

久良岐公園の横浜市電清掃お手伝いに行ってきました。

作業のため、許可証を出して頂き園内に乗り入れました。

 復元公開時には無かった系統板の受け?も半年ほど前に作られました。

小学六年の時に買った回送と補充車(増便)の系統板。

 



まさか役に立つ時が来るとは思わなかった。 (↑この画像は以前のイベントで撮影)

この系統板だって再び市電に装着されるとは思わなかったでしょう。
まぁ、出来れば〜系統と書かれて下に広告が入ったものが良かったのですが(汗)
でもこれならどんな路線にも使えると思えばいいか。
よく見ると野澤屋の値札が付いているので廃止時に「さよなら市電展」での売れ残りだったようです。

捨てないで良かった。

この日は公開イベントではなく清掃作業。

皆さんは車体と社内を清掃。

私は敷石の土砂を取り去る為にスコップ持参で参加。

今まではスコップでいちいち捨てに行っていました。なのですごく手間が掛かりました。

しかし今回は神奈川新聞の担当者さんが一輪車を購入してくださいました!

ものすごく楽になり作業もはかどります。

昨年の作業開始前まではこんな感じでしたが

ここまで進みました。

埋もれていた敷石が姿を現すと気分がいいです。

次回の公開は5月26日(日)の予定だそうです。

 

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