あのコルトを狙え

TOKYO2020 子供たちに負債を(笑)

熱海銀座 みその

2009-11-28 21:22:49 | 熱海
熱海高原ロープウエイを作ったお土産屋の「みその」
熱海銀座の角にあって今はパチンコ屋の駐車場となっているという事しか分からない。


(現在の姿 駐車場看板の所)

どんな建物だったのか写真を見た事もない。

さまひさんから
「子供の頃に、それが銀座だったかどうかも分からないが熱海を
車で通るとビルの廃墟があった。
二階だか三階に古そうな文字で
「熱海銀座」と窓に書かれていた。
更に窓の中に木が生い茂り不気味だった。
あれが「みその」だったのかも」

と聞いていた。

その話を波さんに尋ねると
「それが『みその』ですよ。
閉店してしまい放置されて外壁の一部が落下したり美観を損ねたりしていたので熱海新聞にも『どうするんだ』みたいに書かれていましたから」

二階だかに木が生い茂っていたとか…
「中の観葉植物が自然増殖してしまったのでしょうね」

やはりさまひさんが幼少の頃に見た熱海の廃墟はみそのだったのだろう。
やっと探した写真にはうっすらと「みその」の文字が見える。

(東海民報昭和42年より)
背面板付きの信号機も懐かしい・・・

肝心な二階より上の姿が分からないのが残念。
しかし、土産屋さんとしてはかなり規模の大きな店舗だった事が伺える。

私も幼少の頃に熱海を何度も訪れていたが父の勤める会社の保養所は
駅の裏側だったので銀座を通った記憶がまるで無い。
もしもあの時にみそのの前を通っていたら、強烈な印象を植え付けられ後年
さまひさんと語り合ったのだろう。
廃墟時代を知るさまひさんが羨ましい。

さまひさん、この建物ですよね?


コメント (12)
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「ひといき」Sighzance Short Films Party Vol.2

2009-11-26 12:08:06 | 生津徹
役者さんて凄いなー

昨夜、渋谷のUPLINK Xで行われた

「ひといき」Sighzance Short Films Party Vol.2
(サイザンス・ショートフィルムズ・パーティー)

を見てきました。



大きいサイズはコチラ 表
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/d8/52a717663e9d5f235551e0eedbacac2b.jpg
 裏
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/34/03972c678257102a5e672e8c9d598924.jpg


生津徹さんが2作品に出ているこの映画イベント。
5月に渋谷で上映されたが
「もう一度観たい!」
と願っていたので再び観られるとは嬉しい。

司会は生津さん本人が行っておりました。

作品の感想

人生の教訓や感動、感涙!
そんなものは全くありません。
あえてそれを外していて喫茶店での他人の会話を映像化したもの。

それがまた面白い(笑)

人間臭さが伝わってくるのは若い役者さん達の熱でしょう。

終わった後に北見敏之監督と各作品の出演者が出て来る。

えぇぇっ!?この人があの役を?

と驚かされる。

素顔(公の場だから違うか)は別なのですな。
皆さん見事に役を演じている事をモロに感じました。

この頃から私は興奮してしまいテンションが妙に上がっていくのが
自分でも痛い位に分かっていた。

そして北見監督の挨拶
「ワークショップの役者を全て主役にしてしまおう~」
という趣旨は実に面白かったですし共感しました。

「何か映画のご質問があれば・・・」

えぇ~っ?そんないきなり言われても・・
確かに何か聞きたいと思った事があったのだが無用なテンションが上がってしまい
質問浮かばず・・・

「『春風兄弟』と『四月の光』に出演された生津徹さんに伺いたいのですが
小学校の時に切手を集めていたりしましたか?」
(意味の無い事が大好きなんですぅ)


と、なんの脈絡も無いトンチンカンな質問をしようと瞬時に思ったが
会場が凍りついたら怖いので断念(←翌朝、自分の判断が正解だった事に気付く)

くっそ~、2回も観ていて質問しがいがあったのに~!!

司会の生津さんが
「ブログをやられている方はこの作品を紹介してくださいね」
とおっしゃるので
『しゃ、写真撮ってもよかとですかぁ~??』
戦々恐々と訊ねてみると、あっさり

 いいですよ~(笑)

まさか許可が出るとは思っていなかったので鞄の中を探すも
こんな時に限ってカメラが出て来ない・・・
本気で焦った

なんとか撮影したが室内モード設定をする間も無く
(だって監督さんや出演者をお待たせしている訳ですから・・・)

こちらを見てくれたのに見事に失敗・・・



申し訳ございません


が、別のお客さんが一眼レフを取り出したので
そちらで撮影をされている間に何とか。

これでもダメだな~
(左から 生津徹さん、櫻井正一さん、北見敏之監督、安住啓太郎さん、野沢寛子さん、青柳尊哉さん)
撮影可能と分かっていれば手動設定出来たのに
まてよ?もう一度行けと言う事か?

いい加減にカメラを買い換えようと思った一瞬でした・・・

過去の2回には無かったトークショー?
これとても良かったです。
なんだかこう、自分達が作ってきましたという想いが
伝わってくるというのか。

それが終わると「オマケ上映」が始まる。

毎晩おまけ作品を上映しているのですが
その夜はVOL.1の「人足たち」でした。

サイザンス~1で生津さんが出ている作品で前に観たのは
去年の3月。
再び観られるとは・・・

 あの時に自販機で小銭をばら撒いていたのは櫻井正一さんだったのね

そして出口で北見監督と出演者の皆様に送られて出る際に
生津徹さんと念願のツーショット写真を撮って頂きました!

その写真ですが・・・・

『ともだち』に出演されている野沢寛子さんから
(この方の作品でのギャップにも驚きました)

「あちらで撮られた方が・・・」
と言われた理由が分かりました。

まい上がってしまい『いやいや、ここで充分です』と
固辞してしまったのです。

背景中央の案内がちょっと・・・


生津さんは男から見てもやっぱりカッコイイな~
カッコイイけどスカシていない所が素晴らしい!

映画館を出たのは23時前。
まさか監督さん出演者さん達を観られるとは思わなかったので
かなり興奮してしまい地下鉄に乗っても興奮は冷めませんでした。

12月4日(金)まで渋谷アップリンクでの上映となります。

ご興味のある方は是非ご覧下さい。
出演されている皆さんが素晴らしいです!

Sighzance Short Filmsのサイトです↓  ↓

http://sighzance.konjiki.jp/index2.html

こちらは生津徹さんのブログです ↓  ↓
http://kizutoru.blogspot.com/


その後は旧COLTに乗り換えて夜霧の第二国道を南下。
鶴見で『平成のドライブイン』深夜営業のスタバに入る。

「コーヒー&シガレッツ」
タバコのアップとか無かったのに
むしょうにタバコが欲しくなりグローブボックスのショートホープに
手が出そうになったが
「来月の旅行まで吸わない」
と誓っていたので必死にガマン。
深夜一時に飲むブラックコーヒーが旨かったのは
映画の影響だろう。

飲み終わり立ち上がる私の隣では
見知らぬの男女の「ひといき」が始まっていた。

しかし結末は見ていない。



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7年前発売の小型車が好調

2009-11-22 21:30:21 | コルトプラス
7年前発売の小型車が好調=減税追い風に復活-三菱自(時事通信) - goo ニュース

 三菱自動車の主力小型車で、2002年秋の現行モデルの発売以来、一度も全面改良されていない「コルト」(排気量1300ccなど)が販売を伸ばしている。エコカー減税を追い風に台数は5月から前年同月実績を上回り、10月は2倍超に。このような売れ方は珍しいという。

 主力車は発売から年数がたつと新鮮さが薄れ、台数も落ちるため、通常4~5年ごとにデザインや装備を全面改良し、消費者の買い替え需要に対応する。しかし同社の場合、2000年と04年のリコール(回収・無償修理)問題で経営危機に陥り、新型が出せないでいる。

 月間販売台数は今年1月に800台を割り込んだが、10月は2158台まで回復した。同社は電気自動車を今夏発売し、イメージがアップ。他社の新型の競合車と比べ、「燃費(最大で1リットル当たり21キロ)が遜色(そんしょく)ない」(販売担当者)ことも後押ししているようだ。 

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現行の三菱コルトが発売されてもう七年になるんですか。
彩雲家の主力コルトプラスは来年で3年目となる。

いつ型遅れになるのかと思っておりましたが
変わる気配はないどころか販売好調とは嬉しいです。




そういえばコルトプラスの写真って我家にやって来てから
全く写していないなぁ。
1100ばかり写しています。
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熱海駅ビル食堂 来年3月で閉店

2009-11-21 16:21:06 | 熱海
仕事で後から来るさまひさんが駅に到着するまで福島屋旅館で
天然温泉に浸かり部屋で軽く一杯。




前に載せた画像だが温泉宿で飲むビールは格別にうまい。
一人缶ビール2本と乾き物で軽く飲むつもりが
雰囲気も手伝ってかなりいい気分になってしまった。

「なんでこんなに楽しいんだろう♪」

この心地良い酔いは決してアルコールだけではなく
旅情溢れる渋い旅館ならではの酔いだろう。

そんな中で気の置けない友と飲むビールが旨くない訳がないのだ。

 ヂリリリリ~ン・・・

下の帳場で電話が鳴っている。
さまひさんかな、と話していると女将さんが上がってきて
「今、汽車が着いたと伝えてくれと電話があった」
との事だった。
腕時計を見ると予定時間だったが我々が忘れていたのだ。

慌てて支度をし玄関を飛び出すと幼稚園生位の子供達とぶつかりそうになった。

(福島屋旅館前にて)
どこかで会った事があるような子供だ・・・

旅館隣の福地医院前でタクシーを拾う事にしたが
なかなか車がやってこない。

駅前にあった
 
  『ヤミタクシーに注意 危ない』

と書かれた立て看板を思い出したが流しなら営業ナンバーを見ていれば大丈夫か。

しかし空車はなかなかやってこない。
キャデラックの大型タクシーがやってきたが
近距離で大型を拾うのは気が引ける。

 熱海は外国人のお客さんが多いから大型タクシーが存在する理由の一つか

などど考えていると
熱海銀座の角で客を降ろしたタクシーがこちらへやってきた。

タクシーはヒルマンだった。

なんとオレンジの営業ナンバーである!
いすずのタクシーだと東京や横浜ではとっくにベレルのタクシーだ。
ヒルマンミンクスのタクシーは久しぶりだ。


反対側から乗り込む安全さん。

熱海ではまだ走っていたのか
さすがに車齢は隠せないがもう滅多に乗れないと思うと嬉しかったりする。


メーターが真ん中にあるのもヒルマンくらいだな~。

まてよ、ヒルマンミンクスは外車になるのか?

あっという間に駅前に到着。

やっぱり熱海駅の駅舎はいいな。

さまひさんとなかなか会えないのでキョロキョロしていると・・・

「だんな、お帰りですか?安い車がありますよ」
と声を掛けられた。

ゲッ!これがヤミタク(白タク)か!

(東海民報昭和42年)

無視してやり過ごし、さまひさんと無事に合流。

向かうは今回も熱海駅デパートの2階食堂「くるみ」


↑右の奥にあります

窓の外には・・・



熱海第一ビルとロータリーが見えます。



こんな雰囲気のお店も今では少なくなってしまった。


今回はタバコを持ってきたので久しぶりに吸い念願の灰皿を使ってみる。
ちなみにおみくじは「大吉」でした♪

いっや~、この店で味わう酒と食事は最高ですな!

と、店員のおばちゃんに声を掛けたら
「・・・駅舎改築の為に来年の3月で閉店なのよ」

もう間もなく熱海駅も「どこにでもある駅」になる…

『現実』
その言葉につかの間の夢は覚め
モノクロから総天然色の景色に戻っていた。

窓から外を見ると
ただ雨が強く降っている。



そこにはヒルマンのタクシーも「モノレールのりば」の電飾看板も消えていた。


おわり


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熱海モノレールで行こう♪

2009-11-14 00:13:06 | 熱海
新幹線こだま号に感動し時間を取ってしまったが湘南電車で先着し
待っている安全体操さんと合流すべく改札口を目指す。

いたいた!安全体操さんだ。



「さまひさんが来るまでどうします?」

「とりあえず福島屋まで行きますか」



駅前に出て熱海の変わらぬ空気を吸う。
泊まり勤務が終わった身体の緊張が解ける。

列車で来て駅前に来ると熱海に来たんだな、と実感する瞬間がたまらない。



駅前には名所を巡る遊覧バスがないが
錦ヶ浦や港、梅園行きの観光バスが並んでいる。
タクシーはトヨペットクラスの中型が多いが
大型の外車タクシーが目に付く。

新婚旅行カップルの”デラックス気分”を満たすので大型の外車に
人気があるからと福島屋旅館のご主人さんが言っていたのを思い出した。

しかし渋滞にはまると小回りが利かないので中型を選んだ方が無難とも
言っていたっけ。


あら!あんなところに自動車が・・・



もう抽選は終わったと聞いたけどまだ展示してあったのですね。

 熱海へ泊まったお客さんと一般を対象として特賞ニッサンセドリックなど
 当たる1千万円ボーナス。
 熱海新聞 昭和41年1月9日より

どんな人が当たったのだろう、と130型セドリックを見上げ
ボーっとしていると

「下までモノレールで行く?」


 熱海新聞 昭和41年1月29日

私が来る前に駅前でもらったというパンフによると地下道を降りて
駅向かいにある熱海第一ビルの地下3階からモノレールが
アタミロープウエイ乗り場まで出ている。




 <モノレール運行区間は>
 熱海駅から海面に出て、和田浜海岸のロープウェイ前までです。
 図のように国際的泉都の大玄関熱海駅前を地下で出たモノレールは
 国立病院をトンネルで海上へぬけ、他の交通機関では例を見ない海面上の
 経路をとり、お宮の松、渚町の海岸沿いに、和田浜南町のロープウェイ前に
 いたる2kmの区間です。


前に羽田の飛行場へZUBEBIBOさんを見送りに行った時に乗った「モノレール」ね。
一度熱海海岸まで出て回るのも一つの手か。




福島屋旅館は銀座町にあるから糸川駅で降りればいいのか・・・



でも海上駅なのでそこから銀座まで行くのと
熱海駅から歩いて行くのと変わらない気がする。


「・・・いや、歩いて行きますか」

『テクシーですな』

「今時テクシーと言う人を久しぶりに見ました(笑)」

『古い人間なんで(笑)』



笑いながら駅前の商店街を抜け坂を下り福島屋を目指した。


つづく

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画像4枚目の熱海新聞記事

 市川市長や山田代議士など地物の大物も重役になつている
 熱海モノレールKK(城戸久社長)はこのほど調査も完了し
 熱海駅前第一ビル地下三階の始発駅やホームの工事を開始
 来年秋開業予定である。

 総工費は22億、熱海第一ビル地下から地下道トンネルでまっすぐに
 熱海国立病院下へ抜け横磯から海岸、埋立沖合沿いに和田浜埋立
 玉の湯ホテル前まで延長二キロを第一期工事とし将来は熱海港まで
 延長する第二期工事も計画中のもようである。

 第一ビルの地下駅は今秋までに完成
 続いて地下道と海岸の路線工事を行う。

 高架式一本のレールの八十八人乗り空中電車で
 駅は、第一ビルの始発駅と東町埋立沿線に中間駅
 玉の湯ホテル前が終着駅となっている。

 料金は片道百円で途中下車も同じ料金。

熱海新聞 昭和41年1月29日より



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「飛躍の像」に熱海高原ロープウェイを見た!

2009-11-10 18:47:54 | 熱海高原ロープウェイ
改札口での見所はやはり壁のタイルと飛躍の像。


まさに東海道新幹線開業時からのもの。
前回は見られなかった裏側を存分に見られる。

どなたの作品だろう?




あれ?



あ、あなたは…!

熱海の純喫茶 田園
のモニュメントと同じ製作者じゃないですか!



 館野弘青(こうせい)

  別名 館野観光(ちかみつ)

   日展参与、日展評議員、日彫会員、審査員

    1916年(大正5年)栃木県小山市に生まれる

  喫茶 田園にあるプロフィールより


かつてこのブログでも取り上げたがこんな所で繋がるとは…
(因みにお宮の松で有名な熱海海岸の金色夜叉の像も館野さんの製作です)

この像は当初新幹線ホームに設置されていた事が
当時の新聞記事から分かります。

天神山からクロタケに至るロープウェイを着工している熱海高原観光では
熱海駅新幹線ホーム『飛躍の像』わきに高さ三米もある南洋の椰子を贈り
観光客に南国ムード熱海をかきたてている

熱海新聞 昭和41年2月3日

新幹線ホーム上にあった飛躍の像の隣には熱海サボテン公園の
宣伝用ヤシの木が!

ここに来てあの熱海サボテン公園とは!
そう、あの熱海を語るうえで欠かせない東洋一の
熱海高原ロープウエイがあったあれです。

去年この像を発見した事がこんな繋がりに展開するとは…

 

つづく


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東海道新幹線 熱海駅

2009-11-07 10:39:40 | 熱海
熱海駅新幹線ホームは東海道新幹線では珍しく待避線がない。


確か構内制限は160キロ(たぶん)
そんな話しはどうでもよいが開通当時の名残を探す。
短い時間ではさすがに無理…




ゲートのイラストは0系新幹線。




窓からは近代化熱海の象徴?熱海第一ビルが見える。
これも新幹線開業頃に建設した物件だ。




駅の発車案内は品川駅と違いバタバタ式。
いずれ取り替えられる日も近いのだろう。
駅自体の雰囲気はあまり変わっていないのかな。

当たり前だが列車を降りてホームを徘徊している輩は他に誰もいない。

待っている安全体操さんに悪いので先に進む。

ホームからエスカレーターで降りるがこれは開業当初から備わっているようだ。
更新されているのだろうがあまり変わらないのかも。
丸いランプは昔からなのか?



熱海新聞によると在来線コースからと改札口からの上下6本が開業時から設置されていた。



『新幹線停車駅となる熱海駅は9月上旬完工するが全国でもトップクラスのデラックス設備の駅となり
近く民衆駅の着工と相まって大飛躍が予想される・・・

新駅のホームは、幅8-11メートルで、長さ330メートル。

柱のないアーチ型鉄骨製屋根がつく
また、中央地下道からホーム下の広場に通じる階段に二列のエスカレーターが設置されるほか
広場からホームへの階段二箇所に二列ずつ
計六基上りエスカレーターが設けられる。

この広場は広さ1892平方メートルで

壁に大理石を使うなどデラックスで

出札窓口、改札口待合室や売店などができる。

時速200キロの猛スピードで走るため、ホームには発着時間以外旅客が
出ないよう立ち入り禁止のサクが設けられるなど危険対策も施される。
9月中旬の完工が待たれている。
(写真は東京駅を出発した夢の超特急)』

昭和39年8月6日 熱海新聞より

>>大飛躍が予想される・・・
以前に取り上げたブロンズ像の名称は「飛躍」でした。

>>壁に大理石を使うなど~
上のエスカー背面の壁がそれでしょうか。

>>計六基上りエスカレーターが設けられる。
予定、又は当初は「上り専用」だったのでしょうか。
図書館で以前に読んだ新幹線関連の本では殆どの駅にエスカーは設置されて
いなかったと読んだ記憶があります。熱海すごいぞ!

>>立ち入り禁止のサクが設けられる~
今では当たり前となった新幹線ホームの柵も熱海駅は当初から設置されていたのですね。

>>(写真は東京駅を出発した夢の超特急)
この大きな画像が開業時のアサヒグラフ特集号に大きく載っています。
脇の道路は私を魅了して止まない「東京高速道路」
この画像もまた面白いのですがそれは別の機会で・・・

つづく
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「新東海道線」の衝撃

2009-11-02 18:19:16 | 熱海
9月12日(かなり前です

翌日が休みなので久しぶりに「熱海」で飲む事となった。
といっても私は15時まで仕事があるので品川駅までタクシーで行ったとして
品川15:41発の快速列車でも熱海到着17:07分となってしまう。

温泉に入ってから飲むと飲み会に参加すると18時。
日帰りで帰ると21時には熱海から帰らなくてはならない。
3時間しか時間がない。

せっかく熱海まで行くのだから私は福島屋旅館に素泊まりをする事にした。
8月に計3泊したばかりだが飽きることはない。

しかし到着は17時か・・・

もっと早く着く手段はと考える。
そういえば江ノ島から熱海まで水中翼船「わかしお号」が出ていたと思ったが
江ノ島まで行くのも面倒だ。

(昭和39年1月1日 熱海新聞)


うーん、他には・・・


(昭和39年5月22日 熱海新聞)

そうだ!「新東海道線」の「特急こだま号」で行けばいいんだ!
さっそく時刻表をみると

 こだま 667号
 品川 15:34
 熱海 16:12

とある。


勤務終了後、すぐに着替えてタクシーで品川駅を目指すと10分前にホームに着いた。

気になるお値段は・・・

私が乗った品川駅からは¥3570。
 (自由席特急券が1680円。運賃が1890円)

開業当初の東京→熱海間の新幹線料金は

(昭和39年10月1日 熱海新聞)
普通車の二等で¥690か。
(内訳は400円が二等車料金。290円が運賃)

グリーン車の一等で1420円だったんですな。
 (880円が料金。540円が運賃)




 仕事も終わったのでビールでも

と思ったが風呂上りまで我慢をする。

久しぶりの新幹線。
やってきたのは300系。
通勤電車とは違いデッキと分かれている所に「特別な急行(特急)」を
感じる。
薄暗いデッキに入ると去年に乗った0系新幹線と比較してしまう。


雰囲気は違うが特有の落ち着いた空気が好きだ。

車内が空いているのは超特急の「ひかり号」と違い各駅に停まるからなのだろう。
品川駅を発車したこだま号は滑るように加速しアナウンスが次の停車駅を告げる。

これまた独特なアナウンスに「夢の超特急(こだま号は特急だけど)」に乗っているんだな、とご満悦。

左手の車窓を眺める。
見えたと思った建物があっと言う間に過ぎ去っていく。

は、速い!

それに揺れをあまり感じないし静かだ。

ゴトンゴトン、と走る在来線の東海道線とは別物だ・・・。

昭和39年に新東海道線が開通した時に乗った人々は
このような感動をしたのか。

滅多に乗らず普段は在来線ばかりを利用しているからゆえの
感動だろう。

商用などで普段利用している方々にはこれが当たり前なのでしょう。

真昼間に
いい歳した大人が車窓を見て速度の速さに大感動。
その胸中は
「うおぉ、新幹線すごいぞ!」

(今時いないだろうな、新幹線に乗ってこれだけ感動している人・・・

新東海道線はあっという間に熱海駅に到着。

冷静に振舞うも走り去る列車を見送る。




(東海道新幹線開通を祝う当時の熱海駅 昭和39年10月18日 熱海新聞)

時刻は予定通りに16:07。
品川駅からわずか40分弱で来た事が信じられない。

先月に私はマイカーで同じ時間に出て熱海を目指したが
この時間にはやっと戸塚辺りを走っていた。

速度の出ない昭和42年型の国産小型セダンでは第三京浜や
舗装された一級国道を走っても都内から熱海まで
3時間半も掛かる。

昭和39年に開通した新東海道線こと新幹線がどんなに優れていたかを
45年経った今に感じる。


余談ですが三島駅が開業する前の昭和42年10月1日(!熱海高原ロープウェイ開業日!)
ダイヤ改正で東京から熱海までの「こだま号」が週末に運転を開始しました。
熱海では折り返しが出来ないので三島車輌基地で折り返しました。
昭和44年2月21日廃止。

つづく

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