劇中、龐青雲(李連杰)率いる清軍・山字営(龐青雲の字「鹿山」から一文字取った)が、太平軍が篭城している蘇州城を攻め落としている事から、史実に基づいて考えると西暦1858年(清咸豊八年)前後の話だと推測できます。(『投名状』自体はフィクションですが)
さて、清朝……と言えば、「辮髪」姿ですが、あのトリッキーな髪型、一度見たら忘れられません。
特に李連杰の辮髪姿は最高に素敵ですよね。
そんな辮髪ですが、清代の中国では辮髪にする事が法律で決められていました。
1645年(順治二年)に時の皇帝・順治帝によって出された薙髪令により、新王朝・清国の支配者である満民族の風習である辮髪を漢民族に強制したのです。
清朝末期の写真 辮髪を結う様子
儒教を信仰する漢民族にとって、辮髪は耐えがたい屈辱でした。儒教では例え髪の毛一本であっても、親から貰った体を傷つける事を不孝としていたので、辮髪にする事を拒み首を刎ねられる者もいました。
「頭を留めるものは髪を留めず、髪を留めるものは頭を留めず」(留頭不留髪、留髪不留頭)の言葉通り、死にたくない者は清朝に服従して、辮髪の強制を受け入れるしかありませんでした。
その後、辮髪の風習は1912年の清朝滅亡の前後まで続きました。
『投名状』の時代を1858年前後とすると、その頃、李連杰が演じた黄飛鴻(1847~1924)が広東で少年英雄と呼ばれ、霍元甲(1857~1909)が生まれたのも、この頃です。
なので、『投名状』の時代からその後、清朝滅亡までの約五十年は辮髪の時代が続くわけですが…、私達が映画やドラマなどで目にする辮髪は、頭部の前半分を剃り、耳から後ろ半分の髪の毛を残して、長い三つ編みにして背中に垂らしているタイプ「陰陽頭」だと思います。
↑「辮髪」と言うと、映画では、こんな感じの髪型にしている事が多いようですが、実際の辮髪は清朝の時代と移り変わりと共に変化しているのです。写真の様なタイプの辮髪が出現したのは清朝後期~末期で、清朝の支配が始まった頃の辮髪は金銭鼠尾式と呼ばれる辮髪の種類です。この「金銭鼠尾」式の辮髪は頭頂部の髪の毛を銭ほどの大きさだけ残し、それを小指よりも細い三つ編みにしていたそうです。
もっと分かりやすく言えば、ラーメンマンの様な髪型です。
時代による辮髪の変化
これは、清朝の歴史と辮髪の変化を説明しているBBSから借りてきた画像ですが、清朝前期や中期の辮髪は映画などに出てくる辮髪とは違っているのが分かると思います。
この「金銭鼠尾」式の辮髪は清朝宮廷の正装とされており、ほぼ丸坊主の頭に小指より細い三つ編みを結い、三つ編みが銅銭の穴に通れば合格だそうで、中国で発見された清朝前期~中期の人の遺体は、しっかりラーメンマン的辮髪になっています。
気味が悪い画像なので、はっきり見たい人だけ、画像をクリックして下さい。
清代前期~後期の人の遺体(画像をクリックすると大きくなります)
想像して下さい。もし、『投名状』が清朝後期の話ではなく、清朝前期や中期を舞台にし、衣装や髪型も忠実に再現していたら?
主演の三人がどんなに格好良くて、演技が素晴らしくても、この髪型まで忠実に再現していたら、私は髪型が面白過ぎて直視できない自信満々です
極一般的な現代人の美的感覚でいったら、清朝前期や中期の辮髪を目の当たりにして、素敵な髪型とは感じられないでしょうし、本気で笑わそうとしているとしか思えません!
不細工な俳優が清朝前期や中期の辮髪にするよりも、男前なアンディ・ラウや金城武さんが、この髪型になる方が顔と髪型のギャップがあって面白いんじゃないかと…。
そもそも、辮髪にはどんな意味があるのか?あの髪型にする理由は何なのか?
…と思う人も多いと思います。
私もずっと疑問だったので、辮髪や満民族の歴史や風習に詳しい中国人(満人)に辮髪について質問しました。この方々はご兄弟で辮髪にしており、広州在住の弟さんは、時々テレビに出演したりもしています。専門家は彼らの存在を疑っている様ですが...、今回はその辺には触れません。
愛新覚羅・州迪さん(弟) 広州在住
その方は以前私のブログで紹介した事があるのですが、実は清国太祖・ヌルハチの御子孫にして、香港の「八旗相館」と言う写真館のご主人で、プロの写真家である愛新覚羅・州棠さんと言う方です。
愛新覚羅・州棠さん(兄) 香港在住
州棠さんは、ご自身も辮髪にされています。
辮髪にはどんな意味があるのか質問したところ、この様に説明して下さいました。
「騎馬民族である満州人(満民族)は、馬に乗りながら弓を引いたり、戦ったりする際に前髪が乱れ視界を遮って邪魔にならない様に、前髪を剃り落としたのが始まり」なのだと、教えて下さりました。
ほほ~う、良いお勉強になりました。
元々の辮髪は満民族特有の生活の知恵から生まれた習慣(風習)だったんですね!
また、実際の清朝の宮廷では金銭鼠尾式の辮髪が正装だったので、清朝の貴族や役人などは、しっかり正装してラーメンマンの様な辮髪にしていた事でしょう。
しかし、中国、香港、台湾等で撮影される清朝を舞台にしたドラマや映画では、史実に合わせた金銭鼠尾式の辮髪をリアルに再現している物はありません。
ドラマや映画等は清朝の宮廷の様子や衣装、小道具等もかなり力を入れて再現していますが、どうもこの辮髪だけは面白過ぎるせいか、わざとと思える程、忠実さから遠ざけていると思われ、ネットで検索すると視聴者(中国人民)からも「史実に合ったヘアスタイルを再現して欲しい」、「もっと清朝の宮廷の様子や人物にリアリティが欲しい」等の意見も見られるほか、清朝の辮髪強制の歴史に対して不快感を持つ中国人もいる様で、辮髪について論議している掲示板には、日本の某匿名掲示板ばりの罵詈雑言が書かれている事も
じゃあ、『投名状』の辮髪は?...と言うと、これは衣装同様に清代後期の史実に近い形にリアルに再現しようとしていると思われ、髪の毛を残している部分も大分後ろ目にしてあります。
『投名状』より
このタイプの辮髪は、映画『ラストエンペラー』や、時々世界史の教科書や資料集に載っている清朝後期の商人の様子を描いた絵等でも観る事ができます。
清代後期~末期の絵
映画等で長い辮髪が邪魔にならない様に頭に巻きつけたりしているのを見かけますが、この絵の中では小さくまとめて髷状にしています。また、後ろに描かれている人の頭は、金銭鼠尾式の辮髪にしています。
また、ちょっと珍しい辮髪の絵と言えば...清代の辮髪BL(ボーイズ・ラブ)系の春画(春宮画)なんかもあります。これは、一体どんな人物が見ていたのでしょうか。
まさか、今の日本の様に腐女子や貴腐人、汚超腐人(おちょうふじん)と呼ばれる女子の皆さんが鑑賞していたとは思えないので、主に男性が鑑賞していたと言う事でしょうか??
こう言う春宮画が日本に伝来して、日本で春画として発展した経緯(いきさつ)を考えると、これはあながち今の同人誌や18禁商業誌のご先祖様と言っても過言ではないと思います。
一応モザイクが入ってますが、興味が無い人は観ない方が良いと思います。
(画像をクリックして観て下さい)
清代後期~末期になると、清国にも西洋文化は入って来て辮髪姿の清国人達が写った写真も撮られ、今に貴重な姿を残しています。しかし、写真機が入ってきた頃は辮髪も初期の金銭鼠尾式から中期の牛尾式、後期の陰陽頭(猪尾式)に移り変わり、清代初期の辮髪の様子を知る事ができるのは、絵や歴史の資料のみでしょう。
清代末期の写真
清代末期に撮影された辮髪の青年達の写真。この時代、カメラは珍しかったのでしょう。皆、呆然とした表情で写っています。左から三番目にいる人に至っては、あんぐりと口を開けて写っています。
2008年公開予定の映画『投名状』のキャラがリリース!
でも、一番感じるのはリアリティもそこそこ大事ですが、映画やドラマ等でわざとと思える程に金銭鼠尾式の辮髪を再現しないのは、視聴者を爆笑させない為??の演出なのかなぁ…と思います。
もしも、台湾の馬景濤主演のドラマ『太祖密史』がリアルバージョンだったら。帽子を脱いだとたん...
脱いでも凄い馬景濤
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馬景濤?めっちゃカッコイイし、男前ですね。
この弁髪は絶対彼しか似合わんでしょうwww
めっちゃウケました。あはは!