
金曜日に放送されていたジブリ映画『ゲド戦記』を見て、思ったことをつらつらと…。
「この世に永遠に生き続けるものなどありはしないのだ」
「自分がいつか死ぬ事を知ってる云う事は、
我々が天から授かった素晴らしい贈り物なのだよ。
わしらが持っているものは、いずれ失わなければならないものばかりだ、
苦しみの種であり、宝物であり、天からの慈悲でもある、
わしらの命も……。」
大賢人ハイタカのセリフ。
この目で見、この手で触れる、そのすべてが。
永遠に形を変えず、そのままでいられはしない。
変わらぬものなど、有りはしない。
私もまた、形を変える。
それは成長ともいうし、老いともいう。
けれど、一時たりとも同じ状態を保つことはないという本質に変わりはない。
だから、死もまた、変化の一つとも言えるかも。
自分が死ぬ事を知る。
死ぬ事を知っているから、死にたくないと苦しむ。
死ぬ事を知っているから、精一杯生きようとする。
死ぬ事を知っているから、今を大切にしようとする。
失うことだけを恐れるのではなくて、失うと分かっているから愛しむことができる。
なんて、言葉ではどうとでも言えるけど。
自分は死なないと勘違いしてはいないかと考える。
必ず家に帰れると、疑うこともなく家を出る。
いつか死ぬけど、今じゃないと、今であるはずがないと信じてる。
死ぬと分かっているつもりでも、本当は何にも分かっていない自分がいる。
失ってから、はじめて失ったことに気づく。
それでも…、それでも、たとえ一瞬でも。
誰もが死ぬということに。
何ものをも持ち続けることは叶わないということに。
いずれ全てを手放さなくてはならないということに。
愛する人を失わなくてはならないということに。
そして、私が死ぬということに。
気づいた心に溢れる感情が、他者に対して優しい存在でありたいと願うものであったなら。
どうしようもない自分の生き様を通して授かった、素晴らしい宝物だと思うことにしよう。