大分時間が経ってしまいましたが、先月7月20日(金)~23日(日)の3泊4日の旅に一部だけですが参加してきました。
前日の7月19日(木)、世界遺産の国内推薦が見送られるという悲報の直後ということもあり、市役所の関係者、議会、議員、佐渡を世界遺産にする首都圏の会、新潟の会、佐渡の会の関係者多数が参加した懇親会は物静かなスタートとなりましたが、時間が経つにつれ、五度目のチャレンジに向かう気分も醸成され、全員一丸となった懇親会となりました。
翌21日(土)は相川鉱山まつりの催しに参加。9:30からは大山祇(おおやまずみ)神社の神事式をツアーの一行と拝観。神殿では神々しく宮司の祝詞が述べられ、雅楽や巫女の舞が奉納されるという異次元の世界を堪能しました。
大山祇神社は、慶長10年(1605年)、初代奉行大山長安によって、山之神町に金銀山の繁盛祈願を目的に建立された神社で、明治29年に三菱金属に経営が移管されて以来、改築や修繕は三菱の手で行われていましたが、鉱山閉山後は地元有志の手により維持運営されているということです。
1時間ほどの神事が終わると、境内で「やわらぎ節」が奉納されました。やわらぎ節は山の神の心を「なごませ、やわらげる」とともに硬い金銀坑のやわらかきを望む工夫たちの悲願の唄と言われていますが、「むしろ」をまとった長と「タガネ」と「カナヅチ」を持った両脇の工夫達の一種異様な身なり、その唄は正に神事の趣でした。
11:00からは恩賜金記念式典にも参加してきました。会場は海岸沿いの「あいかわ開発総合センター」。明治29年皇室財産の佐渡鉱山が民間払下げとなった際に、将来の維持管理に向けた下賜金が交付されました。このことを記念し毎年鉱山祭りの日に関係者が集まって式典を行っているということで、今年で122回目となる式典とのこと。三浦市長が当時の下賜金交付の御沙汰書を読み上げ、式辞、関係者の祝辞へと続く厳粛な式典でした。
「恩賜金記念式の歌」という歌があり全員で斉唱。恩賜金をいただいた相川町の人々の喜びがつづられた歌詞でした。
「佐渡鉱山 -近世から近代への転換-」という演題で、新潟中央高校の余湖明彦先生による講演も行われました。佐渡金銀山の初期の繁栄から幕末の衰退、そしてお雇い外国人による鉱山の近代化と第二の繁栄と衰退の歴史。佐渡の金銀山開発の普遍的価値をご紹介頂きました。
山車流し、天領通り商店街での佐渡おけさ流し、花火などで賑わったようです。こちらは佐渡観光ナビ(昨年の写真ですが)でご覧ください。
https://www.visitsado.com/event/3542/
(報告:小路 徹)
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