軍霞、馬軍霞 (マ・チュンシャ)は、中国西北部の寧夏回族自治区南部の回族の娘で、今は区都の銀川の大学で学んでいる。私はこの地区や湖南省西北部の少数民族が多く住む農村の子ども達の教育を援助する会に入っていて、軍霞が中学生になった時から学資を援助している。これまでにも現地に行って彼女と何度か会ったが、小柄なおとなしい勉強好きの娘で、私の一番上の孫娘と同い年ということもあって、孫娘のように可愛く思ってきた。
会では援助を受けている学生達と援助者が年に2回手紙を遣り取りすることを決め、その仲立ちをしているが、近頃軍霞から近況を記した手紙が届いた。現地の教育局が学生達の手紙を集めて会に送ってくる。学生達は広い地域に散らばって住んでいるから、これはなかなか労力の要る仕事だが、現地、特に寧夏回族自治区南部の固原地区の教育局の担当者は労を厭わないでやってくれている。会に届いた手紙は翻訳ボランティアの手で訳され援助者の許に送られてくる。そういうことで手紙を受け取るまで時間がかかる。
今度の軍霞の手紙も3月3日に書かれたもので、「親愛なるおじいちゃん、こんにちは。まず軍霞に新年のご挨拶をさせてください」で始まっている。この新年は旧暦で、今年は2月14日だった。軍霞は国語が好きで、中学生の頃からなかなか巧みな表現をする手紙をくれて読むのが楽しかったが、今度の手紙でもいろいろと近況が詳しく綴られている。その中で興味を惹かれたのは、次のような一節だった。
「村の十五、六歳の女の子はみんなお嫁に行ってしまい、すでに母親になっている子もいます。ここはとても時代遅れな村で、まだまだ封建主義の思想が色濃く残っています。娘が早く結婚し、早く子どもを産むことが一族の誇りなんです。でも私が欲しいのはそんな生活ではありません。ハハ。実は私は村ではもう“大齢女青年”(注:結婚適齢期を過ぎた女性)なんですよ。でも気にしません。私には私の人生があり、夢があるから。」
軍霞の住む村は黄土高原にある寒村で、年間降雨量が非常に少ないこの地域では、小麦などの作物は10年に1回、まともに収穫ができたら良いと言われている。したがって村民の生活は貧しく出稼ぎ農民も多い。生活の中にも古い慣習が多く残っているのだろうが、手紙にあるような、女の子が10代半ばで結婚するのが普通であるということは初めて知った。
黄土高原の農民を描いた中国映画『黄色い大地』は、陝西省の黄土高原の寒村に住む娘の結婚をめぐる悲劇を描いた感動的な作品だったが、「昔の貧しい中国の田舎村では、娘の嫁入りは一種の生活のための知恵。年齢や性格の相性、ましてや2人の愛情の有無などは論外で、自分の娘をいかにして、できるだけ生活能力のある男に嫁がせるかが、この時代のこの田舎の父親のテーマ」と解説されている。
この作品に描かれた時代からは今では70年以上もたっているから、軍霞の村での若い娘達の結婚は悲惨なものではないだろうし、まだまだ封建主義の思想が色濃く残っているとは言っても、結婚する2人の意思がまったく無視されることはないのだろう。しかし、やはり根底には貧しさがあるのではないか。そういう環境の中で、二十歳を過ぎたばかりなのに、もう“大齢女青年”と呼ばれるようになっている軍霞が、自分の人生を自分の意志で切り開き、夢を実現しようと努力していることが嬉しい。これまでささやかにそれを援助してきたことを満足に思う。手紙の終わりに軍霞は書いている。
「私の兄が今年六月に大学を卒業します。兄は歴史学(師範)を専攻していて、卒業後は西部地区で教師をする予定です。私も卒業後は西部地区で教師になりたいと思っています。これは私が長年抱き続けている夢です。西部地区は大変貧しく、私のように学びたいと強く願う子供たちがたくさんいます。私はすでに、多すぎる愛情と援助をもらいました。次は私がそれを温もりを必要としている人に届ける番です。」
私は、この中国の健気な孫娘の未来が明るいものであるようにと心から願っている。
軍霞の村
会では援助を受けている学生達と援助者が年に2回手紙を遣り取りすることを決め、その仲立ちをしているが、近頃軍霞から近況を記した手紙が届いた。現地の教育局が学生達の手紙を集めて会に送ってくる。学生達は広い地域に散らばって住んでいるから、これはなかなか労力の要る仕事だが、現地、特に寧夏回族自治区南部の固原地区の教育局の担当者は労を厭わないでやってくれている。会に届いた手紙は翻訳ボランティアの手で訳され援助者の許に送られてくる。そういうことで手紙を受け取るまで時間がかかる。
今度の軍霞の手紙も3月3日に書かれたもので、「親愛なるおじいちゃん、こんにちは。まず軍霞に新年のご挨拶をさせてください」で始まっている。この新年は旧暦で、今年は2月14日だった。軍霞は国語が好きで、中学生の頃からなかなか巧みな表現をする手紙をくれて読むのが楽しかったが、今度の手紙でもいろいろと近況が詳しく綴られている。その中で興味を惹かれたのは、次のような一節だった。
「村の十五、六歳の女の子はみんなお嫁に行ってしまい、すでに母親になっている子もいます。ここはとても時代遅れな村で、まだまだ封建主義の思想が色濃く残っています。娘が早く結婚し、早く子どもを産むことが一族の誇りなんです。でも私が欲しいのはそんな生活ではありません。ハハ。実は私は村ではもう“大齢女青年”(注:結婚適齢期を過ぎた女性)なんですよ。でも気にしません。私には私の人生があり、夢があるから。」
軍霞の住む村は黄土高原にある寒村で、年間降雨量が非常に少ないこの地域では、小麦などの作物は10年に1回、まともに収穫ができたら良いと言われている。したがって村民の生活は貧しく出稼ぎ農民も多い。生活の中にも古い慣習が多く残っているのだろうが、手紙にあるような、女の子が10代半ばで結婚するのが普通であるということは初めて知った。
黄土高原の農民を描いた中国映画『黄色い大地』は、陝西省の黄土高原の寒村に住む娘の結婚をめぐる悲劇を描いた感動的な作品だったが、「昔の貧しい中国の田舎村では、娘の嫁入りは一種の生活のための知恵。年齢や性格の相性、ましてや2人の愛情の有無などは論外で、自分の娘をいかにして、できるだけ生活能力のある男に嫁がせるかが、この時代のこの田舎の父親のテーマ」と解説されている。
この作品に描かれた時代からは今では70年以上もたっているから、軍霞の村での若い娘達の結婚は悲惨なものではないだろうし、まだまだ封建主義の思想が色濃く残っているとは言っても、結婚する2人の意思がまったく無視されることはないのだろう。しかし、やはり根底には貧しさがあるのではないか。そういう環境の中で、二十歳を過ぎたばかりなのに、もう“大齢女青年”と呼ばれるようになっている軍霞が、自分の人生を自分の意志で切り開き、夢を実現しようと努力していることが嬉しい。これまでささやかにそれを援助してきたことを満足に思う。手紙の終わりに軍霞は書いている。
「私の兄が今年六月に大学を卒業します。兄は歴史学(師範)を専攻していて、卒業後は西部地区で教師をする予定です。私も卒業後は西部地区で教師になりたいと思っています。これは私が長年抱き続けている夢です。西部地区は大変貧しく、私のように学びたいと強く願う子供たちがたくさんいます。私はすでに、多すぎる愛情と援助をもらいました。次は私がそれを温もりを必要としている人に届ける番です。」
私は、この中国の健気な孫娘の未来が明るいものであるようにと心から願っている。
