私の妻はどちらかと言うと少食で、時々おかずを食べ残した。それも一口か二口で食べてしまえるような、ほんの少しだけだった。「それくらい食べてしまえばいいのに」と言うと、「もういっぱい」と言ったり、時には「この一口がデブになる」とおどけたりした。おいしかったと思う時に止めた方がいい、もうおなかがいっぱいなのに、それ以上食べると口がまずくなると考えていたようだ。それでも主婦だから、食べ残したものを捨てるようなことはしないで、次の食事の時までとっておいていた。
若い頃から私はよく食べた。妻とは違って後少しだと食べ切ってしまい、食べ残すことなどなかった。一つには戦中戦後の食糧難の時代に育ったから食べ残すほどたっぷりと出されることはなかったから食べ残すという習慣がなかったし、また昔の家庭のしつけで、食べ物は残してはいけない、行儀が悪いとされていたこともあった。今は飽食の時代で、多くの家庭でつくる方もたっぷりつくるし、食べ残すことも当たり前になっているようだ。好き嫌いも個性の一つなどと分かったような分からないようなことも言われる時代だから、好きなものなら思い切り食べて時には肥満になり、嫌いなものは一切食べないということなのか。外で食事をすると、近くの席で食べていた若者が席を立った後を見ると、よく食べ散らかしたように料理が残されているのを見ると、つい苦い顔になってしまうことがある。
よく食べ、かなり満腹になっても残すことをしなかった私も、やはり年のせいか最近は残すことがよくあるようになった。あと少し「頑張れば」食べ残さないですむのにと思っても、いや、いや、おいしかったと思っているうちに止めておこうという気持ちになり、そんな時にはいつも妻のことを思い出し、これだったのだなと合点したりする。後一口、一切れぐらい食べられるのだが、満腹になるとその一口、一切れが胸につかえるように思われてくる。その一口でせっかくおいしく食べたことがだめになってしまうように思うから、無理して食べないことにしている。
(日曜日はブログを休みます)
若い頃から私はよく食べた。妻とは違って後少しだと食べ切ってしまい、食べ残すことなどなかった。一つには戦中戦後の食糧難の時代に育ったから食べ残すほどたっぷりと出されることはなかったから食べ残すという習慣がなかったし、また昔の家庭のしつけで、食べ物は残してはいけない、行儀が悪いとされていたこともあった。今は飽食の時代で、多くの家庭でつくる方もたっぷりつくるし、食べ残すことも当たり前になっているようだ。好き嫌いも個性の一つなどと分かったような分からないようなことも言われる時代だから、好きなものなら思い切り食べて時には肥満になり、嫌いなものは一切食べないということなのか。外で食事をすると、近くの席で食べていた若者が席を立った後を見ると、よく食べ散らかしたように料理が残されているのを見ると、つい苦い顔になってしまうことがある。
よく食べ、かなり満腹になっても残すことをしなかった私も、やはり年のせいか最近は残すことがよくあるようになった。あと少し「頑張れば」食べ残さないですむのにと思っても、いや、いや、おいしかったと思っているうちに止めておこうという気持ちになり、そんな時にはいつも妻のことを思い出し、これだったのだなと合点したりする。後一口、一切れぐらい食べられるのだが、満腹になるとその一口、一切れが胸につかえるように思われてくる。その一口でせっかくおいしく食べたことがだめになってしまうように思うから、無理して食べないことにしている。
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