高校時代、 とりせんのバイトとラグビーに明けくれた。
血の気の多かった青2歳なボク、 合法的に相手を倒すことができる快感に浸りたく。。 (矛盾な若造さ)
社会人になりたての時 会社のラグビー部に入りガシガシやってた。
あの時は全国社会人2部リーグ1位で、 1部最下位東京消防庁とリーグ入れ替え戦の時期だった。
隔週土日 世田谷成城にある会社の研修施設のグラウンドで練習し帰りは決まってお疲れ様会と称し成城で大酒会。
結果、 電車に乗る時分は 「正常」 ではなかったですわ。 (^^;
で、 千葉県習志野台の会社の独身寮に帰る時刻は23時過ぎ。 それでも実に楽しく毎週充実していた。
それもこれもラグビーが好きだったから。
地元佐野回顧。 あの当時の選手では津布久、 後輩では早稲田で活躍した石井 (本城の後任と言われた)、 他多数。
当時、 日本、 いや世界でも認められたラガーがいた、 平尾誠二。 (昨年他界、 本日追悼しのぶ会)
「背番号12」
伏見工業高校のセンター、 同社大のセンター、 神戸製鋼のセンター、 そしてJAPANのセンター、 その後JAPANの司令塔へ。
平尾誠二。
あの切れ味鋭いステップ、 甘いマスク、 後輩を思いやる姿と絶大なリーダーシップ。 全部が全部かっこよかったです。

改めて・・ ゆっくりお休みください。