信州小諸の北国街道沿いにある、光岳寺については以前、「オコジョの散歩道」さんと「信州小諸通信」さんがアップされ、とても興味深く拝見しました。
というのも、境内にある喜多流ツレ方の能楽師日向吉次郎の碑は、弟子であった母方の祖父たちが藤村に書いてもらい建てたものだったからです。
先日、umeさんのところにいった折、その話を聞いてみました。すると、
「世に知られることも少なく、また、知られようともしなかった、すぐれた能楽師日向吉次郎翁のためにその弟子が集ってここに記念碑を建てる」
と、スラスラと、暗唱し、楽しげに語りだしました。
与良の家の通りに、みこしの松がある黒い塀の大きな家があったでしょう、あそこが小山家でね、そこの太郎さんが、父さんが店先で仕事をしているところに来て、傍にすわりこんでね、二人でよく相談してたの。二人とも先生の弟子で、父さんは一番弟子だったからね。
「勝っさん、どこがいいかね」
「先生は静かな場所が好きだから・・・・」と、光岳寺になったそうです。
はるか経ってから、喜多六平太さんが、吉次郎の墓を探しに小諸にこられたことがありました。今は亡き伯父たち&ゆかりの人たちが一緒に探しだし、その記事が載った信濃毎日新聞もいつか紛れてしまいました。
Umeさんには、お二方のブログ記事をプリントアウトさせていただき、その都度届けたり送ったりしております。 懐かしい小諸の記事が、老人病院に暮らしているUme さんの日々に、どれほどの励ましになっていることか! お二人に心からお礼申し上げます。
93歳のUmeさんんが以前に書いた、○十年前の小諸や、祖父の事などは、保存してあるフロッピーが反応しません。パソコンが変わったせいでしょうか。
~~そんなことどもを・・・探し出して、できるだけアップしたいと思っています。
子どもの頃、よく行った小諸のこと、いつも母ともども愉しみに拝見しております。
昨日は雪の画像で、寒さも厳しそうですが、「ああ、これが本当だ」と軽井沢の冬を思い出しました。でも、そこに暮らす方々にとってはたいへんですね。
また、お訪ねさせていただきます。