うっ、気が付けばもう3月も半ば・・・
春は確実にやってきそうな気配
実家の掃除をしていて出てきた母の書いた随分大きな掛け軸・・・にびっくり 今床の間に飾っています
そう言えば、ずっと昔何やら熱心に通っていた習字教室 それがいつの間にやら高じて、『日本書芸院展図録’90』 なる分厚い本などを購入して、自らも展覧会にせっせと出しては、習字教室で仲良くなった友人たちと腕を競っていたのでしょうか?
筆やら紙やら、母の小部屋の奥の棚にごっそりと、でもひっそり置かれていました。
そして圧巻は、『和啓書院』としるしたとてもごつい看板らしきもの・・・ これを家の玄関に掛けて、生徒を集めることもできたのねえ。そんなことをおくびにも出さずにいたなんて。母の事をもっとよく知っておけばよかった、と思っても・・・
私とは違って滅法女らしかった、 モガが流行ったころにドレメ学院のようなところに通って、かっこいい洋服を着こなしていた、らしい。
今となっては全ては過去の事になり、語り継ぐ人もなく、いつともなく風化するのでしょうか。
大阪のいとはん育ちの母には、サラリーマンの父との生活はきっと窮屈だったかもしれません。
母の掛け軸がかけてある部屋は、私の子供時代には母の母が使っていた部屋。その部屋に今一人たたずむと、数十年を経て私が同じ様な年代になって、同じ部屋にいることに、ある種の感動さえ覚えます。時代を経て継がれていくもの、変わるもの、変わらないもの
物はものにすぎないと思っていたけれど、そうではないかもしれない。
形あるものはそれが消滅するまでそこに存在する そう、残っていくのだ。
何百年もあるものは、それだけで意味がある と思った。