軍艦島の中でもよく知られた場所や有名なエピソードの数々は、
軍艦島関係の老舗サイトさんを初め、私たちオープロジェクトや
端島出身の方のサイトもで、沢山アップされているので、
このブログでは、あまり知られていない所を取り上げていきたいと思います。
軍艦島から約700メートル離れた海上に浮かぶ、
明治年間のわずかな期間だけ炭鉱として操業した中ノ島。
今回再探索により発見出来たこと等を、
春の特集に続き、アップしていこうと思います。
元島民の方が運営されている、端島の専門サイト
『想像と記憶 端島・軍艦島』
の管理人さんが中ノ島探索の際に発見されたと掲示板にアップされていた、
高島←→端島間の海底電線ケーブルを、
まずはアップしていこうと思います。
※画像はクリックすると拡大します
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画像は南部方面の岩礁地帯に残存する、
岩の間から露出する電線ケーブルらしきモノのです。
画像最下部中央の緑色の塊がそうですが、
その先を見ると、人工的に敷き詰めた石畳があります。
更にケーブルと石畳の延長線上には、
画像でもわかるように端島があります。
※解説入画像
※画像はクリックすると拡大します
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石畳遺構のすぐ近くには、幅の狭いケーブルの設置溝もあります。
上画像同様、最下部中央にケーブルらしきものが露出していて、
その上を、コンクリ等で塞いでいる状態です。
※解説入画像
※画像はクリックすると拡大します
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そしてこれらの露出ケーブルの溝は、岩礁の小高い場所で合流し、
更に岩礁の高い位置へ向かって続いています。
蓋をしたコンクリがない場所からはケーブルが露出し、
また埋めたコンクリが残存している部分は、
点線状に煉瓦が埋め込んであります。
前回の探索で、この煉瓦の点線はみつけたものの、
なんの遺構なのかわからずそのままにしておきましたが、
露出ケーブルの発見により、その目的がはっきりしました。
※解説入画像
大正6年の高島←→端島間の海底電線ケーブル敷設の際の、
中ノ島での工事の記録写真がありますが、
上2枚の画像の光景はその写真の光景にすごく酷似しています。
つまりこれら3枚の遺構は総て、中ノ島炭鉱が閉山した後に設置された遺構ということになります。
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■シリーズ:中ノ島■ INDEX
【参考】蒟蒻煉瓦:小菅修船場
元軍艦島の島民の方々のブログ及びサイト
★現役時代の中ノ島:炭鉱操業時と綺麗に整備されている緑地公園
★究極の軍艦島サイト!:軍艦島や中ノ島の事を詳しく知りたい方はまずこちらへ!
通常見られない数々の操業時の写真は圧巻!
もしかして、現在の高台への階段が出来る前は、ここから上陸して、ケーブルに沿った道で高台まで上がっていたのではないでしょうか。
人工石畳が船着場の跡かもしれない、
というのは思いもよりませんでした!
ただ一番上の画像をご覧になるとおわかりかと思いますが、
かなり大きい岩が石畳の行く手にあります。
このような環境を敢えて船着場にする事はあるのでしょうか?
また大正6年の海底ケーブル敷設時の写真の場所が、
現在手元にある画像からは特定できません。
まずは、この場所がどこかを、岩礁の形をたよりに、
再度調べてみたいと思います。
アル中に免じてお許し下さい。
それにしてもこの石畳はなんのためのものでしょうね?
もしケーブルのためだったら、
もう一方のケーブルがある方も、石畳にすると思うので、
この石畳はケーブルの設置以前からあったものではないでしょうか?
また長崎という土地柄、石畳=人工路盤の可能性も高いと思います。
海に向かって傾斜する人工路盤と言えば、
船着場ですよね!
この石畳が海中でどうなってるのか、とか
画像の手前側はどうなってるのか、とか
すぐに見に行けないのが残念です。