軍艦島の中でもよく知られた場所や有名なエピソードの数々は、
軍艦島関係の老舗サイトさんを初め、私たちオープロジェクトや
端島出身の方のサイトもで、沢山アップされているので、
このブログでは、あまり知られていない所を取り上げていきたいと思います。
かつて明治年間の僅かな期間に炭鉱として栄え、
その後軍艦島の姉妹島的な役割を担ってきた中ノ島の特集。
今回は、前回の探索で行きそびれた、
船着桟橋近くの高台に残る火葬炉跡です。
※画像はクリックすると拡大します。
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画像は船着桟橋を降りて直ぐの護岸高台を見上げたところです。
手前に綺麗な煉瓦、奥に色褪せた煉瓦の構造物が見えます。
前回の探索では、時間切れで近くへ行けなかったので、
今回行ってみることにしました。
※画像はクリックすると拡大します。
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鬱蒼と茂る低木の中を進んでたどり着くと、
そこには画像のような施設跡がありました。
中ノ島内の火葬施設に関して詳しく書かれた『廃墟探索』の情報や、
室内の燃焼跡の状態、
以前アップした高台平坦地の火葬炉との類似点などから、
恐らくこれも、複合式火葬炉跡だと思います。
前回の探索で見た火葬炉を仮にA火葬炉、今回のをB火葬炉とすると、
BはAに比べて、両室内の横幅が狭く、
Aは排煙口が奥の壁面にあるのに対して、
Bは奥の天井にあることなどの違いがあります。
またAには扉はありませんでしたが、
Bには画像でもわかるように鉄の扉が残存しています。
中ノ島の煉瓦遺構を見て思うのは、
その発色がとにかく良いことです。
恐らく風雨を直接受ける場所にあるため、
常に洗われている状態だからだと思いますが、
この火葬炉は木立に囲まれているせいか、
山中などにある他の廃墟の煉瓦遺構同様、
それ程綺麗な色をしていません。
また風通しが悪いせいか、
この施設が使われていた当時の空気感のようなものが、
今でもあたりに漂っているのを感じました。
軍艦島で仕事をし、この島で荼毘に臥された方々のご冥福を、
心からお祈りします。
合掌
追記:
この施設は、一つ上の画像でいうと、奥の色褪せた煉瓦構造物の方で、
手前に写る色の鮮やかな煉瓦構造物を見忘れてしまいました。
次回再探索の際に、また行ってみようと思います。
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■シリーズ:中ノ島■ INDEX
【参考】蒟蒻煉瓦:小菅修船場
元軍艦島の島民の方々のブログ及びサイト
★現役時代の中ノ島:炭鉱操業時と綺麗に整備されている緑地公園
★究極の軍艦島サイト!:軍艦島や中ノ島の事を詳しく知りたい方はまずこちらへ!
通常見られない数々の操業時の写真は圧巻!
しかし、蒟蒻煉瓦は発色が良いですね。新しいはずの火葬炉の建物の方が古く見えます。
書き込みありがとうございます!
画像左端の煉瓦は、蒟蒻っぽいですね。
さらに大きな画像でみると、
蒟蒻っぽい煉瓦が左の室内の壁にも使われいるようにも見えます。
しかし正面の壁などは豆腐タイプですね。
これはどういったことでしょうか?
正面左寄りの発色の違う煉瓦は、
この記事の一番上の桟橋側から見た画像の、
右側手前に張り出してる遺構の裏側ということでしょうか?
※もうちょっと詳しくみてくればよかったと思います。
また発色のよさは、蒟蒻煉瓦ゆえのものでしょうか?
だとすると製造時の成分がかなり違うとか・・・
いろいろ調べることがありますね!
煉瓦に関して、最近疑問に思うことがありますので、
次回の記事にアップしたいと思います。