軍艦島の中でもよく知られた場所や有名なエピソードの数々は、
軍艦島関係の老舗サイトさんを初め、私たちオープロジェクトや
端島出身の方のサイトもで、沢山アップされているので、
このブログでは、あまり知られていない所を取り上げていきたいと思います。
かつて明治年間の僅かな期間に炭鉱として栄え、
その後軍艦島の姉妹島的な役割を担ってきた中ノ島の特集。
前回の探索で2体確認できた地蔵尊のその後です。
奈良原一高氏の写真集『人間の土地』には3体写る地蔵尊。
前回の探索では2体しか確認することができませんでした。
しかもそのうちの一体は、地表に倒れ込んでいました。
倒れた地蔵尊を起こす場合の方法がわからず、そのままにして帰りましたが、
その後、ある方からの連絡で、倒れた地蔵尊が起こされたことを知りました。
また、今回の探索はオープロジェクトのメンバーおよび、
軍艦島オデッセイに写真を提供して頂いているlon-sinさんとの探索でしたが、
lon-sinさんから、その後更に3体目の仏像を土中に発見し、
起こしたというお話を伺いました。
※画像はクリックすると拡大します。
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画像は、前回の探索の後に起こされた2体の仏像です。
手前が土中から発見された観音様に見える仏像、
奥が、前回土中に倒れ込んでいた、子供ないしは花を抱く仏像です。
こうやって並んでいるのをみると、
光背の形などがすごく似ていることがわかります。
※画像はクリックすると拡大します。
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ちなみに手前の仏像の光背の裏をみると、
「昭和三十年三月吉日」の日付と数人の人名が刻まれていました。
※人名は、まだ生きておられる方もいるかと思い、トリミングしました。
残念ながら他の仏像には、年号らしきものを見つけることができませんでしたが、
もしかしたら土中に埋まる台座などに刻まれているのかもしれません。
昭和三十年と言えば、奈良原氏が『人間の土地』を発表する1年前のことですが、
確かに奈良原氏の写真に写る3体の仏像はとても奇麗にみえます。
おそらく設置されてまもなくここを訪れた時に撮影したのでしょう。
ともあれ何十年かの時を越えて、再び3対の仏像が立ち並んだことになります。
合掌
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【参考】蒟蒻煉瓦:小菅修船場
元軍艦島の島民の方々のブログ及びサイト
★現役時代の中ノ島:炭鉱操業時と綺麗に整備されている緑地公園
★究極の軍艦島サイト!:軍艦島や中ノ島の事を詳しく知りたい方はまずこちらへ!
通常見られない数々の操業時の写真は圧巻!
植物の繁茂が凄まじかったですが、なんとか公園と展望台まで行ってきました。
この石仏様(観音像のような)、頭部がとれてしまっていました。
中ノ島も少しずつ変わっていくのですね。
おつかれさまでした!
そうですか、観音様の頭部が取れてしまってましたか。
とても残念です。
一時期は世界遺産の調査ためか、とても奇麗に整備されていたのですが、
また放置されているのかと思いました。
10月訪崎の際に、中ノ島へ行く計画もあるので、
もし行ったら、いろいろと確認してみようと思います。
中ノ島の現況、ありがとうございました!