![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/71/cd4e05c185fed78794435bc20ee44bda.jpg?random=c81d0953babc76b1964b936804b0a4ee)
軍艦島の中でもよく知られた場所や有名なエピソードの数々は、
軍艦島関係の老舗サイトさんを初め、私たちオープロジェクトや
端島出身の方のサイトもで、沢山アップされているので、
このブログでは、あまり知られていない所を取り上げていきたいと思います。
この特集は軍艦島の隣にある<中ノ島>に関してです。
元々軍艦島よりも早く開発された炭鉱島でしたが、坑内の湧き水があまりにも多く、
わずか9年で閉山してしまいました。
その後水上緑地公園として、また火葬場&墓所として、
軍艦島の姉妹島的な役割を担いました。
そんな中ノ島をアップしていこうと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/4a/45406eca85e1335bfeeb23a23b3082a6.jpg?random=98aeaad794d2f39930b71e8c03436c1a)
※画像はクリックすると拡大します。
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画像は内海側に残る船着場です。
形や雰囲気は軍艦島の外海側に残る、大正の頃まで使われた船着場に似てますが、
これは内海側にあるせいか、軍艦島のそれより損傷が激しくありません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/28/c1b358bd74d4938daf2c9360bd26d0d4.jpg?random=f4bc544299dc43fc83a1e0263ea71518)
※画像はクリックすると拡大します。
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船着場を背にして反対側の岩礁側を見上げると、
石積の堤防跡や煉瓦造りの遺構が確認できます。
画像左端に写る階段を昇ると、ちょっとした広場へ出ますが、
そこに竪坑跡や火葬場等、中ノ島に残るメイン遺構が集中しています。
ちなみに石積の堤防の土台にはセメントが使われていたようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/74/043592fce50fe5108f8bfeeaa7a6648d.jpg?random=407a8ceab8889ec1a185f1b9a3c236ed)
※画像はクリックすると拡大します。
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いざ島内に入ってみると、思いの外遺構が沢山残っているのに驚かされます。
岩礁にへばりつくように構築された土地の跡と思われる場所が、随所に残存しています。
操業当時は恐らくこの画像の撮影地点のレベルに平坦地が作られ、
そこに炭鉱施設や住宅があったのだと思います。
崩れた部分からは、軍艦島の堤防と同じ<あまかわ>による接合が確認できます。
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■シリーズ:中ノ島■ INDEX
【参考】蒟蒻煉瓦:小菅修船場
元軍艦島の島民の方々のブログ及びサイト
★現役時代の中ノ島:炭鉱操業時と綺麗に整備されている緑地公園
★究極の軍艦島サイト!:軍艦島や中ノ島の事を詳しく知りたい方はまずこちらへ!
通常見られない数々の操業時の写真は圧巻!
思っていたところです。この島も端島同様、
数奇な運命を辿っているようですね。
もし炭鉱の開発が上手くいっていれば、
現在の端島のように「軍艦島」となっていたのかも
しれません。
実は、夏にも長崎へ調査に行くつもりなのですが、
その時に中ノ島へ渡ろうと思います。
▼鉢田押蔵さんへ
たびたび書き込みありがとうございます。
中ノ島は端島より遙かに不遇かつ数奇な運命を
辿った炭鉱だった思いますが、
この中ノ島の経験が、後の高島・端島の開発に、
大きく貢献したとも聞きます。
操業当時の写真を見ると、岩礁の周囲に築堤し、
その上に鉱業所施設や住宅が並んでいます。
たしかに発展していれば、「軍艦島」となっていたかも
しれませんね。
なつは植物と虫の繁殖が激しいと思うので、
岩礁頂上部へ行くのは困難を極めると思います。
お気をつけて。
確かに、中ノ島公園跡は荒廃がひどいと
聞きます。夏場は虫・草負け対策の装備が
必要でしょうね。
特に蜂や毒虫が心配です。
私は高島の権現山展望台さえ、虫が怖くて
行くのを断念した虫嫌いですので・・・。
釣り人も渡っているらしいので、危険個所・危険生物
の情報は手に入れておいたほうが良さそうです。
▼鉢田押蔵さんへ
たびたびどうもです。
長崎では沢山収穫があったみたいですね。
ところで中ノ島の公園ですが、
植物&虫の繁殖は激しいものの、
公園自体は実はそれ程荒廃していません。
そのへんもおいおいアップしていきますので、
ご覧になってください。
中ノ島は一度だけ40年近く前、魚釣りに連れられて来たことがあります。
古い記憶ですが、釣り船が付いた堤防のようなモノ(船着き場?)もしっかりしていて、誰も住んでないのに構築物があるのを不思議に感じていました。最近、採炭や火葬場があったと知りました。
子供の頃は船酔いが酷くて、船に乗るのは良い思い出が少なく、叔父がいた端島にも一度しか行ったことがありません。
▼goheitaさんへ
書き込みありがとうございます。
40年前といえば、中ノ島が海上公園として整備されて、
間もない頃のことと思います。
その頃の中ノ島はどんな感じだったのでしょうか?
当時を知らない私は、想像が膨らむばかりです。
明日からは緑地公園の施設を紹介していこうと思いますので、
ご覧になってください。
ただ、無人島の割には整備されていた様な印象はありました。
高島blogは細く長くやって行ければ、と考えています。
知人、友人を訪ねて、古い写真やネタ探しでもしようと思っています。
▼goheitaさんへ
なにか当時のお話を伺えるかと思いましたが、
残念でした。
高島のblog、楽しみにしております。
ブログ楽しく拝見させて頂いてます。
現在大学の卒業制作で、端島や高島や中ノ島を計画地として設計を進めています。
近日中に長崎に行くなので中ノ島に渡航しようと考えています。
そこで質問なのですが、中ノ島へはどのようにして渡航したのですか?
くだらない質問ですいません。
廃墟徒然草をご覧になって頂き、ありがとうございます。
中ノ島は現在上陸が禁止されてはいないので、
誰でも行きた時に自由に行けます。
<第七ゑびす丸>が渡してくれます。
http://dainanaebisumaru.web.infoseek.co.jp/
のサイトをご覧下さい。
出航港や連絡先等掲載されています。
何日か前に電話をして、
釣りではなく中ノ島の見学に行きたい旨を伝えておけば大丈夫だと思います。
拙blogの記事をご覧になっておわかりかと思いますが、
展望台方面へ行かれる際は、
岩礁中腹の急な斜面と壊れかけの階段にご注意ください。
それではよい旅を!