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黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

イタリア旅行記 #21 ラ・スペコラ博物館

2011-04-29 00:41:07 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回はラ・スペコラ博物館@フィレンツェです。

ラ・スペコラ博物館
ラ・スペコラ博物館

前回までの記事でアップしてきた、
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂はとても良かったですが、
ルネサンスにも花の都にもそれほど興味はなく、
それでもこのフィレンツェを訪れたかったのは、
偏にこのラ・スペコラ博物館へ行って見たかったからです。





ラ・スペコラ博物館
ラ・スペコラ博物館

ラ・スペコラ博物館は
フィレンツェ大学の付属機関でもあり、
1775年に公開された、ヨーロッパでは最も古い、
自然科学博物館だそうです。
「フィレンツェ大学付属自然史動物博物館」
という正式名称の通り、
館内には無数の動物の剥製や骨格標本が並びますが、
これは目的ではなく…





ラ・スペコラ博物館
ラ・スペコラ博物館(画像はクリックで拡大します)

目的は最後の10部屋に安置された、
人体の鑞製解剖模型です。
コーナーの入り口では、
おちゃめな骸骨が手招きをしてくれます。





ラ・スペコラ博物館
ラ・スペコラ博物館(画像はクリックで拡大します)

が、そんなおちゃめさとは裏腹に、
ひとたびスペースに入ると、
そこは無言の鑞製人体模型が、
びっしりと陳列されています。





ラ・スペコラ博物館
ラ・スペコラ博物館(画像はクリックで拡大します)

全身の鑞製模型も、1、2体ではなく、
皮膚の下の神経系を表したものから、
内蔵系を中心に見える様にしたもの、
そして骨格が見える様にしたものと、
これでもかというくらい執拗に並べられています。





ラ・スペコラ博物館
ラ・スペコラ博物館(画像はクリックで拡大します)

壁面の緑色と人体が横たわるピンクのクッションが、
まがいもののロココ調な雰囲気を醸し出し、
陳列物の異様さを一段と引き立てます。





ラ・スペコラ博物館
ラ・スペコラ博物館(画像はクリックで拡大します)

それぞれの全身模型の周囲の壁も、
人体の各パーツの模型で、
隙間無く埋め尽くされています。





ラ・スペコラ博物館
ラ・スペコラ博物館(画像はクリックで拡大します)

脳幹も1種類ではなく、
年齢別や男女別など、様々なパターンが展示され、
しかもどれもが妙にリアルです。





ラ・スペコラ博物館
ラ・スペコラ博物館(画像はクリックで拡大します)

全身解剖模型だけでいいんではないかと思いますが、
胸部のみのお解剖模型も、画像の様に、
様々な種類が展示されています。





ラ・スペコラ博物館
ラ・スペコラ博物館(画像はクリックで拡大します)

もちろん女性の全身解剖模型もあり、





ラ・スペコラ博物館
ラ・スペコラ博物館(画像はクリックで拡大します)

最も有名な『解剖されたヴィーナス』もあります。
本来、この模型は、腹部の皮膚を順番に外して行くと、
神経系から内蔵、骨格まで順番に見られる模型ですが、
展示されているときは蓋が閉められ、
恍惚の表情を浮かべる少女が横たわっているだけです。
真珠のネックレスがとても気になります。





ラ・スペコラ博物館
ラ・スペコラ博物館(画像はクリックで拡大します)

女性解剖コーナーの周囲の壁は、
女性の出産時の様々な様子や、
胎児関連の模型が並んでいます。





ラ・スペコラ博物館
ラ・スペコラ博物館(画像はクリックで拡大します)

男性の生殖器も、様々な大きさや形別に、
画像のような形で展示されています。



生光りする模型は、廃墟にからみつくツタのように、
死の香りを放つと同時に、
濃密なエロスも漂わせていました。
写真家、荒木経惟氏の写真集に
『エロトス』という写真集があります。
常にエロスとタナトスを追い続ける氏の造語だと思いますが、
鑞製人体模型の並ぶラ・スペコラ博物館は、
まさにエロトスが渦巻く聖地でした。

ちなみに、館内は撮影禁止でした。
全く知らずに汗かきながらバシャバシャ撮影していたら、
博物館のおばさんに軽~く注意されました。orz

イタリア旅行記 #20 ヴェッキオ宮殿

2011-04-28 00:40:19 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回はヴェッキオ宮殿@フィレンツェです。

ヴェッキオ宮殿
ヴェッキオ宮殿(画像はクリックで拡大します)

前回の記事で触れたサヴォナローラ火刑の場所が、
フィレンツェの中心的な広場、シニョリーア広場ですが、
その前に建つのがヴェッキオ宮殿です。
映画『ハンニバル』で、
レクター博士がジャンニーニ演ずるパッツィ刑事を殺害し、
窓から吊るす舞台となった建物ですね。





ヴェッキオ宮殿
ヴェッキオ宮殿(画像はクリックで拡大します)

1300年初頭、フィレンツェの市庁舎として建てられ、
現在でも市庁舎として使われています。驚きです。
一時期はメディチ家が住んだ事もあるそうです。
フィレンツェと言えば、大概の場所で、
メディチが登場しますね。





ヴェッキオ宮殿
ヴェッキオ宮殿(画像はクリックで拡大します)

中庭に面した窓。
様々な大きさや形があって、
見ていて飽きません。





ヴェッキオ宮殿
ヴェッキオ宮殿(画像はクリックで拡大します)

500人大広間。
左右を飾る巨大な壁画の裏には、
ダ・ヴィンチの壁画が眠っているそうでうです。





ヴェッキオ宮殿
ヴェッキオ宮殿

この日、
たまたま画像に写る看板が立っていたので、
見てみる事にしました。





ダミアン・ハースト『フォー・ザ・ラヴ・オブ・ゴッド』
ダミアン・ハースト『フォー・ザ・ラヴ・オブ・ゴッド』(画像はクリックで拡大します)

現代美術の作家ダミアン・ハーストによる
『フォー・ザ・ラヴ・オブ・ゴッド』です。
通称「ダイヤモンド・スカル」と呼ばれるこの作品は、
実際の人骨をプラチナで包み、
その上に8601個のダイヤモンドで埋め尽くした、
おバカな作品です。
制作費1400万ポンドというから、約20億でしょうか。
「アーティストとして私は人々が信じることができ、
関係を感じ、体験できるものを作り出そうと試みました。」
と本人は言っているそうですが、
人が関係を感じるのには、20億も必要ということか…。

500人大広間の横にある小さなスペースに暗幕を張り、
真っ暗な空間にスポットライトを浴びて、
スカルだけが浮かび上がる劇的な演出、
しかしスカルを収納した一重のガラスの周囲には、
特に柵やロープがあるわけでもなく、
目の前まで近寄って見る事ができました。

イタリア旅行記 #19 サン・マルコ修道院

2011-04-27 01:58:36 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回はサン・マルコ修道院@フィレンツェです。

サン・マルコ修道院
サン・マルコ修道院(画像はクリックで拡大します)

サン・マルコ修道院はフィレンツェの街の北寄りにある、
現在は美術館となっている、ドメニコ会の修道院です。
15世紀に、メディチ家のドン、コジモによって、
ドメニコ修道会のために建てられた修道院ですが、
後に修道院長によってメディチ家は追い込まれることになる、
数奇な歴史を孕む修道院です。

イタリアの大概の施設は撮影可能ですが、
サン・マルコ修道院は中庭以外撮影禁止なので、
以下、絵はがきをアップしておきます。





サン・マルコ修道院
フラ・アンジェリコ『受胎告知』サン・マルコ修道院(画像はクリックで拡大します)

サン・マルコ修道院は、
フラ・アンジェリコ(天使の修道士)の描いた、
『受胎告知』のフレスコ画で有名です。
学生時代、
歴史の教科書等に掲載されている数多くの絵画の中で、
どうしても気になって、記憶から消えなかった絵、
それがこのアンジェリコの『受胎告知』でした。
かといって、本物を見たいとまでは思いませんでしたが、
それから数十年、こうして本物を見る機会に恵まれました。

見学コースの2階へ上がる階段を上りきった正面の壁に、
『受胎告知』は設置されています。
実際に見たフレスコ画は、
修道士という厳格な印象とは裏腹に、
極めて柔らかい色調で描かれ、
包み込まれるような印象の絵画でした。





サン・マルコ修道院
『サヴォナローラの火刑』サン・マルコ修道院(画像はクリックで拡大します)

2階の奥には、修道院長だった、
ジロラモ・サヴォナローラのコーナーがあります。
メディチ家の独裁的な支配を批判して、
宗教に立ち返る様に説いたサヴォナローラは、
その厳格な姿勢を貫き過ぎ、
1498年、絞首刑の後に火刑に処せられます。
輝かしい足跡がクローズアップして語られるルネサンス、
でも、その歴史には闇の部分もあったんだと知ります。

画像は、コーナーに展示されていた、
シニョリーア広場での火刑の図ですが、
驚くのは、約500年前の風景が、以前の記事でアップした、
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のてっぺんから見た風景と、
それほど変わっていない事です。

イタリア旅行記 #18 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 4

2011-04-26 00:30:38 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回は夜のサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂@フィレンツェです。

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

昼は兎に角人が溢れかえっているので、
人のいない画像を撮影するには、夜遅くしかありません。





サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

午前1時、やっと人がいなくなります。
石に包まれた街に木霊する夜の街の静かな騒音に包まれて、
ライトアップされた大聖堂は、
静かに佇んでいました。





サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

南面。
雨が降っていたので、レンズを仰角にすると、
すぐに水滴が写り込んでしまいます。





サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

正面(西面)。
ジョットの鐘楼を中心に。





サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

正面、鐘楼と反対側から。
クリスマスが近かったので、街にはちらほら、
クリスマス・デコレーションが出ていました。





サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

北面。
ゴシック建築というと、
ノートルダムやケルンの大聖堂を思い出しますが、
フランスやドイツの尖ったゴシックに比べると、
イタリアのゴシックは洗練された印象をうけます。





サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

東面。正面と反対側。
正面や側面の壁面は、白い大理石がとても奇麗でしたが、
背面の白大理石はご覧のように汚れています。
長い年月をかけて順番に掃除をしていくのでしょうか。

イタリア旅行記 #17 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 3

2011-04-25 00:39:53 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回はサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の登頂です。

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の巨大なクーポラは、
てっぺんまで登る事ができるので、行ってみました。
と言っても勿論エレベータはなく、
最初から最後まで狭い階段を登るしかありません。
その高さ107m!
最初は螺旋階段で始まり、上に行くに従って、
びっしりと煉瓦で囲まれた回廊の様な所を昇り、
最後は、殆ど鍾乳洞のような感じの急斜面を登って、
やっとたどり着きます。





サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

途中の平坦な通路から階段が続いている部分。
時代の積み重ねを感じます。

ところで、画像右下に沢山の落書きがみえますが、
とにかく大聖堂内は落書きが沢山あります。
数年前、日本人による大聖堂の落書きが、
ニュースで取り上げられていましたが、
逆にその日本人の態度に驚いていたのを覚えてます。
イタリアでは大聖堂に落書きがあるのはあたりまえ、
といった認識があるようです。
もっとも、この日本人の態度を見て、
大聖堂に落書きがあるのはあたりまえ、
と思う態度を改めて欲しい、という意見もあったとか。
一番不思議なのは、こんだけ落書きがあるのに、
それが全く気にならなかったことです。





サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の、
クポーラの頂上部に到着です。
まずは真西の方角。
眼下に見えるのが大聖堂の身廊、
その左がジョットの鐘楼です。
世界遺産フィレンツェの街は、
一面茶色い瓦で覆われた街でした。





サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

時間がなくて行けませんでしたが、
ジョットの鐘楼も登る事が出来る様ですね。
ジョットの鐘楼からは、
きっと別な大聖堂の姿が見えるんだと思います。





サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

西側の一部分を拡大。
画像中央の右側に見えるのがフィレンツェの駅。
中央に見えるのが、サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂です。
正面のファザードだけが大理石製で、
それ以外の聖堂本体がそうでないのがわかります。
後の記事でアップしようと思いす。





サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

南東方面。
中央に見えるのが、サンタ・クローチェ聖堂。
サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂同様、
ファザード以外が大理石でないのがわかります。
右寄りの緑に包まれた丘がミケランジェロ広場。
フィレンツェの街が一望できる最高のロケーションで、
後でアップしようと思います。





サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

ほぼ真南。
中央に見えるのがヴェッキオ宮殿。
14世紀初頭に建設され、
今でも市庁舎として使われている建物です。
これもまた後の記事で、アップしようと思います。





サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

南西方向。
中央の人が沢山居る所がポンテ・ヴェッキオ。
その奥に見える巨大な建物がピッティ宮殿です。
ルネサンスの大富豪、メディチ家のライバルだったピッティは、
メディチ家にまけない宮殿の建設をするものの、
死後、政治的事件も握ったメディチの巨人、
コジモ・ディ・メディチに買われてしまった、
波乱の歴史をもつ宮殿です。

イタリア旅行記 #16 サン・ジョヴァンニ洗礼堂

2011-04-24 00:09:21 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回はサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に隣接する、
サン・ジョヴァンニ洗礼堂@フィレンツェです。

サン・ジョヴァンニ洗礼堂
サン・ジョヴァンニ洗礼堂(画像はクリックで拡大します)

現在ではサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の、
付属洗礼堂的な位置づけにありますが、
その建設は大聖堂よりも早く、
11Cに着工、1世紀以上かけて建設された、
ロマネスク様式の洗礼堂です。





サン・ジョヴァンニ洗礼堂
サン・ジョヴァンニ洗礼堂(画像はクリックで拡大します)

大聖堂側の壁面にある『天国の門』
大聖堂建設中に新たに造られた門です。
設計者は一般公募され、
世界で初めてのコンテストと言われているそうです。





サン・ジョヴァンニ洗礼堂
サン・ジョヴァンニ洗礼堂(画像はクリックで拡大します)

巨大な天井は一面、13Cに造られた、
金をベースにしたモザイク画です。
「最後の審判」をはじめ、
キリストにまつわる定番の図像が、
びっしりと描き込まれています。





サン・ジョヴァンニ洗礼堂
サン・ジョヴァンニ洗礼堂(画像はクリックで拡大します)

いくつかの図像をアップしてみます。
これは定番中の定番「キリストの磔刑」ですね。





サン・ジョヴァンニ洗礼堂
サン・ジョヴァンニ洗礼堂(画像はクリックで拡大します)

次は「受胎告知」。
キリストが宿った事を告げる天使は、
マリアを指差しながら大股で近づいてきます。
かなり強気な天使だと思います。





サン・ジョヴァンニ洗礼堂
サン・ジョヴァンニ洗礼堂(画像はクリックで拡大します)

これは「アダムとイヴ」でしょうか。
どう見てもイヴの体系はヤバイですね。





サン・ジョヴァンニ洗礼堂
サン・ジョヴァンニ洗礼堂(画像はクリックで拡大します)

最後は地獄図。
全体的にコミカルな印象を受けるモザイク画でしたが、
当時は、これらの図像をどう思って観ていたのかが、
気になります。

イタリア旅行記 #15 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 2

2011-04-23 00:35:53 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
前回に引き続きサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂@フィレンツェです。

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

大聖堂の内部は、その絢爛豪華な外装と反して、
殆ど装飾がなく、極めて質素かつシンプルな印象です。
ラヴェンナの記事でアップした、
外観はシンプルな煉瓦造りながら、
内部に絢爛豪華なモザイクがある聖堂とは、
まったく逆の造りです。





サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

壁面には幾つかの絵画が飾られている程度で、
画像はその中の一つ、
ドメニコ・ディ・ミケリーノ作『ダンテ、神曲の詩人』
フィレンツェの街に『神曲』を手にしたダンテ。
地獄、煉獄、エデンの園、天球が描かれた図像です。
フィレンツェ出身のダンテの墓がラヴェンナにあるいきさつは、
ダンテの墓の記事でアップしましたが、
フィレンツェの街には至る所にダンテ関連のものがあるのは、
静かにダンテの帰京を願っているのかもしれませんね。





サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

正面祭壇に柔らかい光を送るステンドグラス。
聖堂のステンドグラスといえば、
やはりシャルトル大聖堂などのフランスを思い出しますが、
イタリアのステンドグラスは、
カトリックの本拠地らしい、
正統的な重厚感が溢れています。





サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

光の具合がちょうど良かったので、もう一枚。





サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

そして外から見た時に一番目立つ、
巨大なクーポラの真下に来ると、
ジュルジュ・ヴァザーリ作『最後の審判』のフレスコ画が、
天井一面に描かれています。
聖堂内が質素なだけに、
このフレスコ画が劇的な効果を生んでいます。





サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

聖堂内の中央には、献灯の燭台がいくつもありました。
ここを訪れたのは昨年の冬でしたが、
今この画像を見ると、
東日本大震災への追悼の灯のように見えます。

本当に一日も早く復興してくれるといいと思います。

イタリア旅行記 #14 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 1

2011-04-22 00:58:04 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回はサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂@フィレンツェです。

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

ルネサンスを今に伝える花の都と呼ばれるフィレンツェには、
勿論沢山の見所があるのですが、
初日の夕方に見た印象が忘れられず、
結局フィレンツェにいた3日間全部、
この大聖堂へ通いました。





サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

正式にはサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
(花の聖母の大聖堂)ですが、
一般的にはドゥオモと呼ばれています。
ドゥオモとはそのコムーネ内で中心的な聖堂
(正確には大司教座聖堂)をさし、
例えばラヴェンナのドゥオモは、
ネオニアーノ洗礼堂に隣接していました。

人が写り込んでいるので多少おわかりかと思いますが、
とにかくでかく、そして大理石製なので、
重量感もありますが、
白い大理石が、軽やかな印象を与えています。





サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

1300頃から約150年かけて基本構造が完成し、
巨大なクーポラはルネサンス初期、
ファザードは19cのものなので、
足掛け600年!かけて完成した、
イタリアン・ゴシックの大聖堂です。
建物は全体がイタリアン・カラーの白、赤、緑
の大理石で埋め尽くされています。





サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

聖堂に隣接して建つ鐘楼は、
ルネサンスの先達にして天才画家&建築家、ジョットの設計。
聖堂が完成するよりも前に完成していたそうです。





サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

一番上の画像の中央下に写る中央入口のアップ。
ファザードを全体で見たときの複雑な印象は、
この扉だけを見てもあまりかわりません。





サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

更に扉の右下の1コーナー、
3聖人が居る部分だけを見ると、
やはしこれだけでも見応えがある造りです。
ちなみにこの門は聖堂の中では比較的新しいものですが、
それでも完成が1903年なので、
100年以上前のものなのですね。





サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

その上の天使のレリーフ部分もまた、
これだけでも見応えのある造りをしています。
画像が仰角になっているのがおわかりかと思いますが、
全体画像を見ると扉の中央より下なので、
扉がどんだけ大きいいかがおわかりかと思います。





サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

次は門の上の部分のアップです。
この部分もまた、ことのほか細かく装飾されています。





サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

次は門の横の柱に凹みの部分。



サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

こんな小さな所まで、3色大理石で凝った造りです。
ただし、色が色なもんで、日本人には、
雛祭りの三色菱形餅にもえなくもありません。

執拗なまでに複雑に奥行きを付けるのは、
おそらく自然の複雑さを表現したかったんではないでしょうか。
廃墟はツルッとした現役の時のルックスに比べて、
ヒビや錆びや崩れや植物の浸食で、
魑魅魍魎ととした複雑さを作り出しますが、
この大聖堂のファザードは、
まさにそれに匹敵する複雑怪奇な奥行きがありました。

イタリア旅行記 #13 フィレンツェへ

2011-04-21 00:57:27 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回はラヴェンナから次の街、フィレンツェへ移動です。

ラヴェンナ駅
ラヴェンナ駅

ラヴェンナ駅でレジョナーレと呼ばれる鈍行に乗って、
ゆっくりとトスカーナへ向かいます。





ボローニャ駅
ボローニャ駅

途中、ハムで有名なボローニャ駅で、
ユーロスターに乗り換えです。
駅近くの構内は激しいグラフィティで、
埋め尽くされています。





ボローニャ駅
ボローニャ駅

ボローニャ駅での乗り換えが30分待ちだったので、
ちょっと駅の外へ出てみました。
ボローニャ大学の学生街だけあって、
駅前には結構学生さん位の年の人が沢山いました。
そして次の目的地、フィレンツェへ向かいます。





フィレンツェ駅とユーロスター
フィレンツェ駅とユーロスター

フィレンツェ駅と乗って来たユーロスター。
ローマからラヴェンナへ行った時のユーロスターと、
色やデザインが若干違います。
ボローニャからフィレンツェはとても近く、
ユーロスターで、1時間とかかりません。





フィレンツェ駅
フィレンツェ駅

フィレンツェ駅の外観。
駅構内の様子等はおいおいアップするとして、
タクシーに乗り込みホテルへ向かいます。





ホテル・エルミタージュ
ホテル・エルミタージュ

フィレンツェでの宿泊先は、
映画『眺めのいい部屋』の舞台にもなった、
エルミタージュ・ホテル。
こじんまりとしたブティック・ホテルです。





ホテル・エルミタージュ
ホテル・エルミタージュ

建物の2階がホテルの入口になっています。
撮影場所の左の壁面には
左上に「ARNO」、真ん中に横書きの波線、
右下に「4 NOVEMBER 1966」と書かれた、
小さなプレートが張ってありました。
1966年のアルノ川の大氾濫の時に、
建物の2階まで上がって来た水位の印です。





ホテル・エルミタージュ
ホテル・エルミタージュ

エルミタージュ・ホテルの部屋。
英国風装飾のこぢんまりとした部屋ですが…





ホテル・エルミタージュ
ホテル・エルミタージュ

何と言っても目の前はアルノ川とヴェッキオ橋。
フィレンツェらしい景色が目の前に広がっています。





ホテル・エルミタージュ
ホテル・エルミタージュ

屋上へ出てみると、
さらにアルノ川とヴェッキオ橋、そして
フィレンツェの街並がよく見えます。





ホテル・エルミタージュ
ホテル・エルミタージュ

フィレンツェの紹介は次回からにして、
最後は美味しかったホテルの朝食。
ホテルはB&Bなので、
パンとチーズハム、そしてドリンクがブッフェ
の簡単な朝食ですが、
ハムとチーズは絶品です。
※ハムが写ってないなぁ~

イタリア旅行記 #12 ラヴェンナの街 2

2011-04-20 00:13:34 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回はラヴェンナの街の情景です。


ラヴェンナ

これまで見て来たラヴェンナの聖堂は、
殆どがレンガ製でしたが、
街の建物も煉瓦作りのものがかなり多くあります。






ラヴェンナ

年季の入った煉瓦の建物も、
レストランやカフェに使われているます。






ラヴェンナ

建物の外壁が、
そのまま路地を作っている所も沢山あります。






ラヴェンナ

この建物は壁を新しく塗り直されている様ですが、
崩れ落ちた部分を見ると、やはり煉瓦が露出しています。






ラヴェンナ

本屋さん、というより、
新聞と雑誌屋さんのディスプレイ。






ラヴェンナ

さすが、イタリア。
FIATがそこらじゅうに停まっていました。






ラヴェンナ

日本の場合、四つ角の信号といえば、
4本立っているのが普通ですが、
これならば信号機は1つで足りますね。
っていうか、信号通りに渡る人が、
イタリアにはあまりいません。
※車は一応守ってるようです。





ラヴェンナ

夜中の街角。
知らない街へ行くと、たいがい夜の街歩きをしますが、
さすがに田舎の街だけあって、
ただ寝静まっているだけだったので、
そこそこでホテルに帰る事にしました。

イタリア旅行記 #11 ラヴェンナの街 1

2011-04-19 00:04:32 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回はラヴェンナの街の情景です。

ラヴェンナは、ヴェネチアの少し南より、
海岸に近い場所にある都市で、
実際に歩くととても小規模な印象ですが、
イタリアの中では2番目に大きな街だそうなので、
おそらく市街地の規模が小さいのだと思います。
ちなみにイタリアは、日本の様に人口規模で、
市区町村のように呼び方が変わる事はなく、
一律にコムーネ(地方自治体)だそうです。


ラヴェンナ

ラヴェンナの中央市場。
風格のある建物がヨーロッパならではの感じを、
醸し出しています。






ラヴェンナ

市場前の小さい広場には、
タバッキ(タバコ屋)と呼ばれる、
キオスクのような売店があります。






ラヴェンナ

市場内には勿論、
ハムやチーズ、そしてイタリアならではのスイーツ店
そして、生鮮食品の店が並び、
活気にあふれています。






ラヴェンナ

市場のすぐ近くのビルの壁面にあったプレート。
さすがモザイクの街、プレートのモザイクも、
とても奇麗です。






ラヴェンナ

ラヴェンナの中心にあるポポロ広場。






ラヴェンナ

クリスマスが近かったので、
広場のすぐ横にはカルーセルが設置されていました。






ラヴェンナ

ポポロ広場の一角にあるタバッキ。
バスの乗車券も、タバッキで購入します。






ラヴェンナ

ポポロ広場に隣接する建物の、
アーケードの天井を飾るフレスコ画。






ラヴェンナ

ポポロ広場の一角にあった水飲み場。
年季の入った大理石ですね。

イタリア旅行記 #10 ダンテの墓

2011-04-18 01:45:23 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回はダンテの墓@ラヴェンナです。

ダンテの墓
ダンテの墓

ラヴェンナのシリーズの冒頭でアップした、
サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂の近くには、
『神曲』で有名なダンテの墓があります。
ダンテ・アリギエーリ。
イタリア最大の詩人にして、ルネサンスの先人とも言われ、
著書『神曲』は、その内容とともに、
初めてイタリア語の口語調で書かれた書物として、
後世に大きな影響を与えたそうです。





ダンテの墓
ダンテの墓(画像はクリックで拡大します)

イタリアの偉人の墓にしては、
とてもこじんまりとしています。
ルネサンス期の人なので、
当然廟内はモザイクではなく、
化粧大理石で造られています。





ダンテの墓
ダンテの墓

天井からは廟内を照らす為の小さなランプがつるされていますが、
このランプの油は、花の都フィレンツェから、
送られて来る物だそうです。
もともとダンテはフィレンツェ出身ですが、
迫害に遭ってフィレンツェを追われたダンテは、
旅の道中で『神曲』を書きながら、
やがてラヴェンナへ辿りついて昇天したそうです。

フィレンツェは出身者であるダンテの遺骸を、
なんとか故郷へもどしたくて、
ランプの油を送る等アピールするも、
ラヴェンナとしては追い出した都市へ戻す訳にはいかず、
いまでもダンテの遺骸はラヴェンナあるそうです。





ダンテの墓
ダンテの墓

廟の横には草に覆われた塚があります。
第二次世界大戦の後半、戦火が激しくなった時に、
霊廟が破壊されるのを恐れて、
隣の場所へ一時的に移葬した跡だそうです。





ダンテの墓
ダンテの墓

小さな碑には、
激動の1944年3月23日から1945年12月19日までダンテの骨が眠る
的な内容のことが書かれています。

余談で、煉瓦の話になりますが、
この塚の周囲を囲む煉瓦は、
画像のように、斜めに立てて並べてあります。
国内では、煉瓦を使った花壇の柵等で、
こういった並べ方を見る事はありませんが、
同じ物がひとつだけ記憶にあります。
長崎のグラバー園にある、
グラバー邸裏庭の花壇を囲む煉瓦です。

グラバー邸
グラバー邸の花壇の煉瓦


イタリア旅行記 #09 サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂

2011-04-17 13:54:33 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回はサンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂@ラヴェンナです。

サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂
サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂

シリーズでお送りして来た、
世界遺産「ナヴェンナの初期キリスト教建築群」の最後は、
中心部から少し離れたところにある、
サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂です。





サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂
サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂

これまでアップして来た聖堂や洗礼堂は、
まとめて1日で巡ったので、
この聖堂へ着いたのは日暮れ時になってしまい、
聖堂内はかなり暗い状態でしたが、
それが逆に荘厳な感じを醸し出していました。





サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂
サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂(画像はクリックで拡大します)

バシリカ建築の形を今に伝える貴重な聖堂は、
天井がとても高く、細かな木組みの梁で支えられています。
この時代の聖堂はこういいた造りの天井が本来の形だたそうですが、
以前アップしたサンタポリナーレ・ヌオヴォ等は、
天井が作り替えられてしまっているので、
現在では当時の姿を伝えるのは、
この聖堂だけになってしまったそうです。





サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂
サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂(画像はクリックで拡大します)

しかし天井は当時の姿を伝えるものの、
モザイク画に関しては聖堂中央壁面の窪んだ、
アプスと呼ばれる場所のものだけです。
黄金の巨大な十字架を中心に、両側にいる3頭の子羊は、
使徒のペテロ、ヨハネ、ヤコブを表しているそうです。





サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂
サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂(画像はクリックで拡大します)

図像の下部の中央には、
ラヴェンナの初代司教と言われる、
聖アポリナリスの姿が描かれています。
また、サンタポリナーレ・ヌオヴォの記事で触れた様に、
嘗ては港がとても近く、この聖堂がある場所は、
クラッシスと呼ばれていたそうです。
クラッシスにある聖アポリナリスの聖堂、ということで、
サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂と呼ばれます。





サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂
サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂

側廊にはいくつもの石棺が安置されています。
ガッラ・プラチィーディア霊堂にも剥き出しの石棺がありましたが、
イタリアを巡っているうちに徐々に、
聖人と呼ばれた人たちの死後の扱いが見えて来ます。


イタリア旅行記 #08 ガッラ・プラキディア廟

2011-04-16 01:05:33 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回はガッラ・プラキディア廟@ラヴェンナです。

ガッラ・プラキディア廟
ガッラ・プラキディア廟(画像はクリックで拡大します)

サン・ヴィターレ聖堂のある敷地のすみに、
ガッラ・プラキディア廟という、
これまでの記事でアップして来たのと同様、
初期キリスト教のモザイク画を今に伝える、
こじんまりとした廟(世界遺産)があります。





ガッラ・プラキディア廟
ガッラ・プラキディア廟(画像はクリックで拡大します)

十字型に造られた廟内は極めて狭く、
さらに外光を取り入れるアラバスターが、
サン・ヴィターレ聖堂のそれより厚いため、
一段と暗さが増し、
おそらく今回のイタリア行脚で、
一番暗かったんではないかと思います。





ガッラ・プラキディア廟
ガッラ・プラキディア廟(画像はクリックで拡大します)

しかしその狭さにもかかわらず、堂内エネルギーの集約力は、
サン・ヴィターレ聖堂のそれにひけをとらない強さがあります。
派手なサン・ヴィターレが躍動する集約力だとすれば、
こちらは茶室にも通じる静謐な集約力を感じます。
安置された3つのプラキディア一族の、
巨大な石棺に囲まれていると、
おのずから神経が研ぎすまされてくるのを感じます。





ガッラ・プラキディア廟
ガッラ・プラキディア廟(画像はクリックで拡大します)

壁面上部から天井にかけてびっしりとモザイク画が埋め尽くし、
特にその頂点には夜空の無数の星に囲まれた十字架の図像が、
燦然と輝いています。
この図像を見ていると、かつて訪れた、
エジプトの王家の谷にあった、
ラムセス6世王の墓の天井画を思い出しました。

ラムセス6世の王墓
ラムセス6世の王墓





ガッラ・プラキディア廟
ガッラ・プラキディア廟

天井のすぐ下にあしらわれた、
鳩が水を飲む図像のアップ。
この図像は象徴的なものらしく、
眼鏡拭きやマグネットなどのデザインになって、
販売されていました。
しかし、その周囲に立つ人物が誰か、
そして元来霊廟として造られたものかどうか、
など、謎も多い建造物だそうです。





ガッラ・プラキディア廟(画像はクリックで拡大します)

サン・ヴィターレ聖堂とガッラ・プラキディア廟を繋ぐ、
中庭の大きなオリーブの木の横には、
現代美術の作品の様なものが展示されたいました。


イタリア旅行記 #07 サン・ヴィターレ聖堂

2011-04-15 05:32:30 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回はサン・ヴィターレ聖堂@ラヴェンナです。

サン・ヴィターレ聖堂
サン・ヴィターレ聖堂

一般的な聖堂は、上空から見ると十字架を模した、
十字プランで建てられたものが多い中、
この聖堂は八角形の集中型プランで造られた、
現存では極めて珍しい聖堂です。





サン・ヴィターレ聖堂
サン・ヴィターレ聖堂

八角形で造られているので、
本来それだけで建物の安定性は十分確保出来る筈ですが、
周囲に張り出した腕が建物にリズムを与えています。
外壁はご覧のように、装飾が一切ない煉瓦造りです。





サン・ヴィターレ聖堂
サン・ヴィターレ聖堂(画像はクリックで拡大します)

聖堂内は、これまで紹介して来た聖堂や洗礼堂より一段と暗く、
また、円形に近い構造の為、
エネルギーが堂内の中央に強力に集中している印象をうけます。
入口の正面に祭壇があり、
その周囲にビザンティン美術モザイク画の傑作があります。





サン・ヴィターレ聖堂
サン・ヴィターレ聖堂(画像はクリックで拡大します)

祭壇を囲むモザイク画の全貌です。
中央にキリストを配置し、
その左下に当時の東ローマ皇帝ユスティニアヌスと廷臣たち、
右下に王妃テオドラと従者たち、
左手前には旧約聖書のアブラハムのもてなしとイサクの犠牲、
右手前にはアベルとメルキセデクの捧げ物、
頂点には羊を囲む天使たち、
そしてその周りを、これでもかといわんばかりに、
無数の図像が埋め尽くしています。





サン・ヴィターレ聖堂
サン・ヴィターレ聖堂(画像はクリックで拡大します)

正面のキリストの図像。
これまで見て来たモザイク画は背景に金を多様しているため、
ギラギラした印象を受けますが、
このモザイク画は金の使用料が押さえられていて、
落ち着いた雰囲気を醸し出しています。





サン・ヴィターレ聖堂
サン・ヴィターレ聖堂(画像はクリックで拡大します)

頂点に描かれた羊。
金色の光背を持つ羊はキリストを表してるそうです。





サン・ヴィターレ聖堂
サン・ヴィターレ聖堂(画像はクリックで拡大します)

キリスト像の上の光を抱く天使。
その上に窓がありますが、
はめ込まれているのが薄いアラバスターのために、
堂内には極めて柔らかい光が射し込むと同時に、
モザイク画の輝きを独特のものにしています。
以前の記事でも書きましたが、
光の演出にどれだけ気を使っていたかが分かります。





サン・ヴィターレ聖堂
サン・ヴィターレ聖堂(画像はクリックで拡大します)

聖堂の中心部の天井。
現存するビザンティン美術のモザイク画は正面祭壇の周囲だけで、
それ以外の部分ははるか後年のものです。
周囲の回廊を飾る装飾も、
画像ではモザイク画にみえますが、
右端のアーチが祭壇を飾る本当のモザイク、
それ以外は全てモザイク風に描かれたもので、
ご覧のように画像ではその違いがあまりわかりません。
モザイク画の凄さが画像で伝わらないということが、
おわかりかと思います。





サン・ヴィターレ聖堂
サン・ヴィターレ聖堂(画像はクリックで拡大します)

天井を飾るフレスコ画もバロック時代のもので、
右下の雲がはみ出しているのは、
立体的に見せる当時のだまし絵の手法でしょうか。
そういえばドームを支える周囲の柱も、
よくよく目を凝らしてみると、
描かれた柱だったような気がしますが、
とにかく堂内が暗いので、
その辺の「アラ」は気になりません。
効果的な照明効果によって劇的な空間ではありながら、
意識がどんどん集約して行く、不思議な聖堂でした。





サン・ヴィターレ聖堂
サン・ヴィターレ聖堂

最後に堂内を造る煉瓦。
アリアーニ洗礼堂の記事でも少し触れましたが、
サン・ヴィターレ聖堂の煉瓦をみて、
煉瓦が極めて薄く、平べったい造りなことが確認出来ます。