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黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

イタリア旅行記 #06 ネオニアーノ洗礼堂

2011-04-14 00:52:42 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回はネオニアーノ洗礼堂@ラヴェンナです。

ネオニアーノ洗礼堂
ネオニアーノ洗礼堂

前回アップした、
アリアーニ洗礼堂より50年位前に建設された洗礼堂。
アリウス派と区別するために、
正統派洗礼堂とも呼ばれているそうです。
もちろん、初期キリスト教を伝える遺構として、
世界遺産に入っています。





ネオニアーノ洗礼堂
ネオニアーノ洗礼堂(画像はクリックで拡大します)

内部は、アリアーニ洗礼堂と比べると、
天井はもとより壁面もくまなく装飾が施され、
とても豪華な印象を受けます。
中央には槽状の構造物がありますが、
これが洗礼盤と呼ばれるものでしょう。

聖水に浸した手を頭にかざす洗礼は、
テレビ等でもよく見かけますが、
その昔、洗礼は全身を浸して行われたそうです。





ネオニアーノ洗礼堂
ネオニアーノ洗礼堂(画像はクリックで拡大します)

天井のモザイク画は、
アリアーニ洗礼堂とほぼ同じ構図です。





ネオニアーノ洗礼堂
ネオニアーノ洗礼堂(画像はクリックで拡大します)

ただし、キリストはアリアーニのそれと違い、
年を取った姿として描かれています。
アリウス派は、キリストを子供として描くことが許されましたが、
正統派キリスト教では、
キリストを子供として描くことは許されないため、
こういった違いが生じるそうです。
キリストの右には「IORDANN (ヨルダン川)」の文字も見えます。





ネオニアーノ洗礼堂
ネオニアーノ洗礼堂(画像はクリックで拡大します)

ネオニアーノ洗礼堂は、
壁面の下部までモザイク画が施されているので、
間近で見ることができますが、
近くで見れば見るほど、
一見無造作に並べているようで、
実は光の反射などを綿密に計算しながら、
少しずつ向きを変えて並べられているのがわかります。





ネオニアーノ洗礼堂
ネオニアーノ洗礼堂(画像はクリックで拡大します)

更に近づいて、
ガラスが一つ一つ埋め込まれているのが分かる距離で見ても、
その複雑な輝は衰えることがありません。
それにしても、このモザイク程、
実際に見た感じが画像で伝わらないアイテムも、
珍しい気がしますが、
jpegの画像が他の同じサイズのものに比べて、
3~4倍もメモリーを食っていることを考えると、
どんだけ複雑な色情報が封じ込められているかが、
わかると思います。


イタリア旅行記 #05 アリアーニ洗礼堂

2011-04-13 01:48:27 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回はアリアーニ洗礼堂@ラヴェンナです。

アリアーニ洗礼堂
アリアーニ洗礼堂

アリアーニとは、前回アップした、
サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂でも触れた、
異端アリウス派のこと。
サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂からほど近い、
人通りもまばらな路地の奥に、
ひっそりと佇んでいます。
外壁が下からの間接照明で照らされていますが、
これは地盤沈下によって現在の地表より、
建物の最下部が沈下しているためです。





アリアーニ洗礼堂
アリアーニ洗礼堂(画像はクリックで拡大します)

こじんまりとした堂内は、
外壁と同じ煉瓦が露出した極めてシンプルな造りで、
天井部分にのみモザイク画が残っていますが、
このモザイク画がサンタポリナーレ・ヌオヴォ同様、
初期キリスト教を伝えるモザイクとして、
世界遺産い登録されています。





アリアーニ洗礼堂
アリアーニ洗礼堂(画像はクリックで拡大します)

中央の図像をアップしてみると、
年齢不詳の頼りなげな青年が、
半身浴をしているように見えますが、
これはヨルダン川で洗礼を受ける若き日のキリスト。
アリウス派はキリストを神としてではなく、
生身の人間として認識していたのがわかります。





アリアーニ洗礼堂
アリアーニ洗礼堂(画像はクリックで拡大します)

右で洗礼を行っているヨハネ、
そして聖水を吹きかけている頭上の鳩、
ともにサンタポリナーレ・ヌオヴォの図像より、
更に牧歌的な雰囲気を醸し出しています。





アリアーニ洗礼堂
アリアーニ洗礼堂(画像はクリックで拡大します)

洗礼を受けるキリストを取り囲んでいるのは使徒。
十字架の玉座の右に立つ、鍵を持った人が、
キリスト第一の使徒、ペトロですが、
このペトロがカトリック教会の中で、
どんだけ重要な存在かを痛感させられるとは、
この時はまだ知る由もありませんでした。





アリアーニ洗礼堂
アリアーニ洗礼堂(画像はクリックで拡大します)

このアリアーニ洗礼堂で一つ気になったのは、
堂内の壁面を埋め尽くす煉瓦です。
幅や長さ等は、かなりいい加減な作りながら、
どれもが通常の煉瓦より薄く感じられます。


イタリア旅行記 #04 サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂 2

2011-04-12 01:05:52 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
前回に続きサンタポリナーレ・ヌオヴォです。

サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂
サンタポリナーレ・ヌオヴォ

サンタポリナーレ・ヌオヴォの建築はバシリカ建築と呼ばれ、
中央の身廊の両側に柱によって仕切られた側廊がある作りですが、
正面から見て左側の側廊にはいくつかの礼拝堂が作られています。





サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂
サンタポリナーレ・ヌオヴォ(画像はクリックで拡大します)

バロック風な造りからして、
当然初期キリスト教時代のものではありませんし、
前回アップしたモザイクの存在があまりにも重要すぎて、
この側廊は殆ど取りざたされることはありませんが、
これはこれで、とても感じるものがあります。
モザイク画は歴史的価値はあるのでしょうが、
前回の記事をご覧のように、その図像は極めて牧歌的で、
キリスト教がこんなに和んでいた時代もあるのか、
と驚かされます。
それに比べて側廊の造りは分かりやすいキリスト教世界で、
荘厳な雰囲気も十分に伝わります。





サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂
サンタポリナーレ・ヌオヴォ(画像はクリックで拡大します)

礼拝堂の天井画。
特にこの側廊で一番感じたのは、
綿密に計算された照明効果です。
複雑な乱反射を目論んだモザイク画への照明効果もそうですが、
それと同様、この礼拝堂も、様々な工夫を凝らして、
陰影を付ける照明が施されています。
そして、これ以降イタリアを巡っていくうちに、
様々な素晴らしい照明効果を見ることになるとは、
この時はわかりませんでした。





サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂
サンタポリナーレ・ヌオヴォ(画像はクリックで拡大します)

側楼の礼拝堂。
無原罪のマリア像を中央に配した別の礼拝堂。





サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂
サンタポリナーレ・ヌオヴォ(画像はクリックで拡大します)

ジャック・スパロウ役のジョニー・デップの様な雰囲気の、
キリスト像を中央に配した、また別の礼拝堂。





サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂
サンタポリナーレ・ヌオヴォ(画像はクリックで拡大します)

天井から光が降りてくる効果を狙った、また別の礼拝堂。
側廊の礼拝堂はさほど手入れが行き届いていないせいか、
壁面等が剥落し、フレスコ画も色褪せたものが多く、
そこがまた時間の集積を感じさせてくれたのかもしれません。





サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂
サンタポリナーレ・ヌオヴォ(画像はクリックで拡大します)

聖堂のすぐ隣には、
前回の記事で触れたモザイク画にもなっている、
テオドリクスの宮殿、と呼ばれる廃墟がありますが、
実際にそうかどうかは、定かでないようです。


イタリア旅行記 #03 サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂 1

2011-04-11 00:49:10 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。

サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂
サンタポリナーレ・ヌオヴォ

ラヴェンナ2日目、ホテルのすぐ近くにあった
<サンタポリナーレ・ヌオヴォ>を見学。
約1,500年前に建設された、
初期キリスト教の世界で異端だった、
アリウス派の聖堂。
その後、正教派の聖堂として改修されたものの、
初期のキリスト教美術を今日に伝える教会堂として、
世界遺産に登録されています。





サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂
サンタポリナーレ・ヌオヴォ(画像はクリックで拡大します)

聖堂で最も目を引くのは、
堂内両側の壁面丈上部に造られたモザイク画です。
イタリアのたいがいの遺産的施設は、
撮影は自由ですが、フラッシュと三脚が使えません。
なので、あまり雰囲気を伝える画像が撮れず、
画像からはモザイクの凄さが全く伝わりませんが、
実際に見るとその奥行感に圧倒されます。





サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂
サンタポリナーレ・ヌオヴォ(画像はクリックで拡大します)

聖堂に入って左側の壁面に描かれた、
かつてのラヴェンナの光景です。
現在では埋め立てが進んで、
海まではけっこう距離がありあすが、
かつては港町だったそうです。
そうのせいで、幾度となく水害に遭うので、
床上げの改修も行なわれ、
本来4段あったモザイク画は、
現在では3段になってしまっています。





サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂
サンタポリナーレ・ヌオヴォ(画像はクリックで拡大します)

聖堂に入って右側の壁面を飾る、
このバシリカを建設したテオドリクスの宮殿、
と言われている図像です。
冒頭で触れた様に、アリウス派は異端とされ、
宮殿の図像がかなり改修されているようです。





サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂
サンタポリナーレ・ヌオヴォ(画像はクリックで拡大します)

上画像の側楼の部分の拡大ですが、
柱の部分に腕や手だけが見えると思います。
これは、かつてそれに伴う人が描かれていたものの、
アリウス派の特徴を持った装飾だったので、
消されてしまった名残だそうです。





サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂
サンタポリナーレ・ヌオヴォ(画像はクリックで拡大します)

聖堂に入って左側の壁面には、
港から聖母子像まで22人の聖女が描かれていますが、
どの聖女も一人として同じ聖女はいません。
図像自体はとても素朴ですが、
それを造り上げているモザイクの装飾は、
何処まで近づいて見ても、
その複雑さが失われる事がないのが不思議です。





サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂
サンタポリナーレ・ヌオヴォ(画像はクリックで拡大します)

これは東方三賢人と呼ばれる、
キリスト教世界の定番の図像だそうですが、
こちらも、図像自体は素朴ながら、
モザイクの複雑さは極め付きです。
特にラヴェンナのモザイクは、
切り出したガラスの平面部分ではなく、
裏側の、切り出した面を表向きに埋め込む事で、
限りなく複雑な光の反射を生み出している、
と言う話を、以前テレビ番組で見た事がありますが、
なるほど、その輝きはとても複雑です。





サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂
サンタポリナーレ・ヌオヴォ(画像はクリックで拡大します)

モザイク画の一番上の段には、
キリストの奇跡と受難にまつわる26シーンが描かれています。
一番端には最後の晩餐の光景もありました。
最後の晩餐というとダ・ヴィンチのそれが有名ですが、
この図像をみると、
みんな椅子に座るのではなく、横たわっていて、
また皿の上には魚が乗っています。

とにかく、初めて見るラヴェンナのモザイク画は、
その奥行きの深さにクラクラします。

イタリア旅行記 #02 ラヴェンナへ

2011-04-10 12:59:27 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。


ローマ駅とユーロスター

空港からローマへ直行し、更にローマでは降りずに、
ユーロスターで移動。
17:00発のはずが、
デモによる走行妨害で2時間も発車が遅れ、
結局ローマを出たのは19:00頃。
イタリアでは結構ストやデモが多く、
その都度、交通機関はストップするそうです。






ユーロスター

ファーストクラスの車内はこ奇麗で、
同情するお客さんも、
そこそこステータスがある雰囲気の人たちです。






ラヴェンナ駅

ローマから向かった先はラヴェンナ。
ローマ字変換すると、
ローマのようにちゃんと変換されないことからも分かる様に、
それほどメジャーな都市ではありませんが、
その昔、イタリアの中心地でもあった都市です。






ラヴェンナ

乗り換えを回避する為に、
遠回りするユーロスターに乗ったおかげで、
結局ローマから4時間半かかり、
ラヴェンナに着いたのは23:30過ぎ。






ラヴェンナ

駅から石畳の道をゴロゴロスーツケースをひっぱって、
ホテルに着いたのは0:00頃でした。






ラヴェンナ

ホテルはその昔の貴族の屋敷を改装したもので、
部屋の広さにびっくり。
画像に映る範囲で、部屋の約半分です。
これで1泊4,000円程度。
日本では考えられませんね。






ラヴェンナ

ルネサンス風の天井画も当然当時のもの。


イタリア旅行記 #01 イタリアへ

2011-04-09 00:54:11 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。



季節柄旅券代が安かったんで、
アリタリア・イタリア航空でローマへ直行。
最初の機内食はイタ飯切れで、渋々和食。







やがて飛行機は何時間も、
ユーラシア大陸の北端近辺を飛びます。
このあたりは人の気配を全く感じないエリアで、
真っ青な世界が延々と続きます。
おそらくこの川も、人に見られる事なく何万年も、
水が流れてはまた凍ることだけを繰り返して来たのかと思うと、
気が遠くなります。







2回目の食事はイタ飯にありつけましたが、
じきに到着なので、軽食程度のものでした。







飛行機は厚い雲を割って、
やがてローマ近郊のフィウミチーノ空港へ到着。
早速ローマ市外へ向かいます。
イタリアの電車の特徴は、
チケットをホームの端にあるチェック機(?)に射し込んで、
乗車日時を刻印することです。
基本的に改札はありません。







入線してきたイタリアン・カラーの列車に乗って、
一路ローマへ向かいます。