黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

消滅する街~新宿ノーザンウエスト~ #37

2007-06-22 00:47:32 | ・新宿ノーザンウエスト
高層ビルが建ち並ぶ新宿副都心に残照のように残る、
昭和と平成の接点が生み出した崩れゆく街並、新宿ノーザンウエスト。

ずっとアップして来たシリーズも今日で終わりです。
最後は西新宿6丁目の中でも最も南寄りのエリア。
かつて巨大な駐車場があった付近です。

隣に別店舗ができたおかげで閉鎖した立食そば店。



1階に炉端焼き店が入ったマンション。



いずれの店舗も、かつては近隣で仕事をする人たちに、
頻繁に使われた店かと思いますが、
長い仕舞屋の時間を経て、最近取り壊されてしまった、
いまでは懐かしい光景です。

そしてこの店舗が並ぶ道の裏には、
2段駐車式の機械が墓標のように並ぶ、
巨大な駐車場がありました。



この駐車場の右奥、木々が生い茂っている所が、
昨日の記事でもアップした、
大きな桜の木があって猫が沢山いた空地です。
今は全て更地になり、早くも住宅用高層ビルの建設が進んでいます。

契約車輛が全て解約撤去され、
ただ取り壊されるのを待つ最後の駐車場。



バブル期にもちあがった再開発計画が一度頓挫し、
ここにきて再び再々開発が急ぎ足で始まった、
新宿ノーザンウエスト地区。

それほど具体的に進んでいる様にはみえないながらも、
多くの店舗の軒先に、再開発の為移転or閉店と張紙された、
西新宿8丁目は、
商店と住宅と小企業のオフィスが混在しながら、
再開発の時を静かに待つようような街でした。

その殆どが更地になって、
今は一番抜けがいい北新宿2丁目は、
副都心のすぐ横ながら、
湾岸の埋め立て地の再開発にも似た、
完全なリニューアルを実感した街でした。

再開発が見直し中の地域のため、
けやき橋商店街やみのり商店街など、まだ商店街が機能し、
木造の低層住宅も沢山残る西新宿5丁目は、
夕方には豆腐屋のラッパが聞こえたりする、
古くからの地域生活が色濃く残っている街でした。

周囲を高層ビルに囲まれ、
完全にその谷間だった西新宿6丁目は、
開発が完了し綺麗に整備された高層ビル街と、
昭和が色濃く残る住宅街が混在し、
そのコントラストがあまりにも強烈な街でした。

そしてどの地域にも共通していえることは、
昭和から平成への時代の交差点が、
はっきりした形で残っていた事だと思います。
このシリーズをとおして、
20世紀から21世紀への変わり目を、
西新宿という場所をとおして少しでも残せたらと思いました。
あと50年もすると、
おそらく低層住宅は一切なく、
全て高層ビルだけで埋め尽くされた土地になっていると思います。


ノーザンウエスト・・・北西新宿のシリーズはこれで終わりですが、
このシリーズを始める最初にお伝えした様に、
明日からは西新宿3丁目をアップして行きたいと思います。


今日アップしたのはこの地域です。


◆ 消滅する街~新宿ノーザンウエスト~ ◆
> NEXT > TOP
 
◎このシリーズは、
Winterfield Ashhorseさん、えいはち@十二社の写真館さん
と同時にアップしています。
西新宿副都心に残る最後の昭和に興味のある方は、併せてご覧下さい。


最新の画像もっと見る

6 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
ノーザンウエスト終了にあたって (えいはち)
2007-06-22 22:53:40
まさに、歴史の変わり目を目撃した、という感じです。
思えば、もうすぐ無くなっちゃうから撮っておこうと思っていたのに、
ぐずぐずしていて消失してしまった景色が過去に沢山あります。
現在、東京オペラシティになっているところにあった、東京工業試験場跡とか。
僕にとっては西新宿6丁目もそんなかんじでしたが、
廃墟徒然草さんにも触発され、僅かに残る古い街並みを撮りに行き、
なんとかライブラリの一翼を担うことができたかなと思います。
今後、西新宿3、4、5丁目は地元民としてしっかり記録していきたいと思います。

こんなページがありました。
http://collegio.jp/
十二社の古地図が載っています。
けやき児童遊園の小川や十二社の滝も判ります。
返信する
▼えいはちさんへ (廃墟徒然草)
2007-06-23 05:34:19
新宿ノーザンウエストに魅力を感じた最大の理由は、
時代の移り変わりがつぶさに見える事でした。
えいはちさんのおっしゃるように、
気がつくと街はどんどんリニューアルされ、
以前そこに何があったかも思い出せない事が多々あります。
これはある程度意識して記録しないと永久に記憶の底に沈んで、
ただ風化するのにまかせるだけだなと思いました。
せめて気がついた時からでも記録しておければと思いました。
東京工業試験場・・・懐かしいですね。
パークハイアットの場所にも、
かつては東京ガスの巨大な球形タンクがありましたね。
もちろん淀橋浄水場も記憶にはあります。
そして浄水場が全て撤去され、高層ビル街に生まれ変わる前の、
大規模な地下掘削の時代も記憶にはありますが、
画像でおさえてないもんで、その記憶も今では相当薄らいでいます。
このノーザンウエストの記録を10年後、20年後に見た時に、
ここはかつてこういった街だったんだと知れるように、
ある意味「未来の記憶」を想定してアップし始めました。

今回えいはちさん、灰馬さんに声をかけさせて頂いて、
とても自分ひとりでは記録できない部分を、
沢山web上に残す事ができたと思います。

ご紹介頂いたblog記事、拝見しました。
昭和二十六年の地図には既に、
東京ガスのガスタンクが記載されていますね。
またけやき児童遊園や神田川支流暗渠も、
まだ川筋として記載されています。
そして現在西口公園の位置には東京写真工業の文字がありますが、
今では写真工業発祥の地の碑がぽつんと立っているだけですね。 
返信する
僕の方あと2回くらいで終了です。 (冬野灰馬)
2007-06-23 17:39:58
kurosawaさん、ノーザンウエストシリーズも40近い大作になりましたね!おつかれさまです。
数奇な縁ですが、時代の変わり目をヴィジュアル化したとしか言い様の無い空間を目撃する事ができてラッキーだったなぁと思っています。

ところで、今回の立ち食い蕎麦屋は僕も気になる物件でした。説明が難しいのですが、これから消える時代の象徴の一つだなぁという感じを受けたんですよね。こういうお店を利用する層がリタイアして、同時にこういうお店も消えていくんだろうなぁ、と。

恐らく、今後の「殺風景」って閉鎖したコンビニとか、ロードサイド店みたいなものではないか?と個人的には予想してるんですが、果たしてそれらに僕はノーザンウエストのように愛着を持っているのかどうか。そんなような事を考えながら、今回も楽しませていただきました。

僕のblogでの更新も残りわずかですが、またよろしくお願いします。では。
返信する
▼冬野灰馬さんへ (廃墟徒然草)
2007-06-24 03:54:21
ノーザンウエスト以外の地域はどんな様子かと思って、
以前幾つかの隣接地域を見に行ったこともありますが、
西新宿7丁目をのぞくと、
平成あるいは昭和でも後期に建てられた住宅が密集し、
ほとんど廃屋や殺風景がない街でした。
やはりノーザンウエストは特殊な地域だったんではないかと思います。

立ち食いそば屋しかり、
シャネルと命名されたスナックしかり、
消えてゆく店もまた時代を象徴するものだったと思います。

ノーザンウエストに愛着がわいたのは、
その風景に忘れていた幼少の頃の風景が混ざっていたからじゃないかと思います。
だから「殺風景」になったコンビニやロードサイド店に愛着がわくのは、
今20代前半の人たちではないでしょうか?
もし完全な高層ビル街が完成し、
コンビニという店舗形態も別のものがとって変わった時代に、
廃業したコンビニがぽつんとあった時、
きっと懐悲しい気持ちになるんじゃないでしょうか。
返信する
廃墟徒然草さん、冬野灰馬さん (えいはち)
2007-06-24 10:38:57
コメント中の失われた物件について、いろいろ思い出しました。
あの場所にあった立ち食い蕎麦屋では一度だけ食べたことがあります。
十二社に住み着くより前、25年くらい前のことなので、
同じ店かどうかも今では判りませんが。
パークハイアットの所にあったガスタンク。
あそこにあれがあったなんて今思うと信じられない光景でしたね。
でも、十二社に住み着いてからしばらくは自然に眺めていました。
1988年、初めて海外旅行に行き、5週間ぶりに帰ってきたら、キレイに消えていて驚きました。
中央公園が東京写真工業だった時代まではもちろん知りませんが、
写真工業発祥の地だというのに、
その後身であるコニカ~コニカミノルタが写真から撤退っていうのもなんか悲しくなります。
(初めて手にしたカメラはコニカ、今、保有している銀塩はミノルタです。
そして主に使ってるデジカメが、最新スポット、東京ミッドタウンに本社を移したフジフィルム製って
なんとなく因縁めいたような)
返信する
▼えいはちさんへ (廃墟徒然草)
2007-06-25 02:37:28
そうですか、あの立食そば(あるいはその位置にあったお店)へ行かれたことがあるんですね。
思えばノーザンウエストのお店って、殆ど行かずじまいでした。
いつも撮影に追われ、終わったらすぐ仕事場へ行く。
といったかんじだったので。
みのり商店街の仲乃いなり寿司を食べたのは、ごく珍しい例です。

パークハイアットの前身のガスタンク。
確かに今思えば不思議ですが、
あった当時は西新宿らしい光景だとも思っていました。
夜、高速の新宿ランプから降りる時にガスタンクがみえると、
「ああ、帰って来たんだ」とよく思ったのを思い出します。

私も東京写真工業だった時代は知りません。
移転したのは昭和三十八年 (1963) ということなので、知る由もありませんね。
神田川支流やけやき橋児童公園の暗渠化同様、
東京オリンピックが大きくかかわっている時代だと思います。

私も最初に手にしたカメラはコニカでした。
最近は使っていませんが、今でも現役です。
以前の記事でアップしたRemixシリーズ
http://blog.goo.ne.jp/ruinsdiary/e/68964b20e267dde8aa93d7699ebd3fe3
や船橋のミルクホール、
http://blog.goo.ne.jp/ruinsdiary/e/7a33c69d54aa14f3dfa32a1e18c1d10b
野方給水塔
http://blog.goo.ne.jp/ruinsdiary/e/b342f1b611027d0fc2973955df182b7c
あたりは、そのコニカで撮影したものです。
 
返信する

post a comment