黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

消滅する街~新宿ノーザンウエスト~ #68

2011-12-31 14:54:54 | ・新宿ノーザンウエスト
新宿ノーザンウエストで最期に残っていたエリア、
西新宿6丁目の最近の様子です。

最近このgooブログでは、
ログインした最初のページに以前アップロードした画像が表示されます。
今日ログインしてみたら、
ちょうど5年前の年末にアップした画像が表示されましたが、
それが西新宿6丁目の画像でした。
その画像を使った記事を見ると、
下画像の背景に写るセントラルパークシティがまだ空き地で、
沢山の猫が明日の行き場を求めてさまよっていた時代でした。
あれから5年、
セントラルパークシティには、
かつての面影は微塵もありません。



バブルの初期から始まった再開発に伴う、
新宿ノーザンウエストの地上げ。
これらの土地が大手ゼネコンに売却された時には、
5倍とも10倍とも言われる値段になっていたそうです。
その後地上げ屋は法律に触れて摘発され、
ゼネコンも莫大な投資がたたって撤退。
ポストバブルの頓挫期間の大規模な駐車場を経て、
平成らしいビルが完成しました。







思えば、現在林立する西新宿の高層ビルの中で、
バブル景気のただ中に建った大規模な高層ビルは、
都庁を除いてありません。
土地をころがすのに躍起になって、
まさに泡のように、お金だけが動いた時代だったのかもしれません。







かつて新宿ノーザンウエストのシリーズを始めた時は、
その副題に「昭和と平成の交差点」と付けた様に、
そこは昭和と平成が混在した街でした。
そして今、新宿ノーザンウエストを見ると、
もはや昭和の町は殆どなく、
もう平成の街に変貌を遂げた印象です。







もともと農村地帯だった西新宿に人が多く住む様になったのは、
関東大震災の後。
市部で焼けだされた人たちが家を求めて移り住んだことが、
西新宿の住宅地化に拍車をかけた時でした。
おそらく農村時代を知る人は、
淀橋浄水場とめざましい宅地化を見て、
時代の変化を感じたと思います。
そして現在、再開発によって変貌した街は、
同様に時代の大きな変化だと思います。

淀橋浄水場の跡地に立ち並ぶ高層ビルがすべて商業施設なのに対して、
6丁目に立ち並ぶ多くの高層ビルは、
住宅と商業を兼ね備えた複合タウンを形成しているのが特徴です。
そしてこれからはきっとこういった形が、
新しい街のスタンダードになって行くんだ実感します。







夜、ビルの谷間で静かに消滅の時を待つ、
暗闇のゴーストタウン。




それにしても2011年はいろいろなことがあった年だと思います。
東日本大震災の津波被害は未曾有のもので、
被害に遭われてなくなられた方々のご冥福を、心からお祈りいたします。

また5月にビンラーディン、10月にカダフィ、12月に金正日と、
ビンラーディンの真偽には定かではありませんが、
世界を震撼させた人々が死んだのも今年のこと。
スティーブ・ジョブスも10月に亡くなっています。

6月には女子サッカーがワールドカップで優勝。
まさか生きているうちに、
日本のサッカーチームがワールドカップで優勝するのを見られるとは、
思ってもいませんでした。

7月には最期のスペースシャトルが帰還。
NASAのUstream中継を見ていましたが、
アポロ11号の帰還とはまるで違う、
極めて地味なランディングでした。

本当に色々な事があり、
そして時代が大きく変わる1年だったんではないかと思います。



そしてささやかながら拙ブログをご覧になって頂いた方々に、
感謝いたします。



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