イタリアの風に吹かれて ~con te partiro~

前世(かこ)から未来(いま)へと紡がれし時の記憶
あなたと交わした約束の欠片を辿る遥かなる愛しき旅

自信のあるかたの素敵な潔さに教わったこと

2014年02月22日 13時19分53秒 | 日々思い感じること
    実際にお目にかかったことはないのですが          
     ある素敵な方から、
   外出前の早朝にあるメッセージを頂きました。
   メッセージを拝見した時 
  言い知れぬ感動を覚えました。

    若輩者の私が こんなことを書くこと自体、
    大変おこがましいのですが、
   いつも思うことがあります。

    本当にご自分を大切にされてらして、
   いい意味で自信がある方というのは 
   自分の身に火の粉が降りかからないように

   小手先で何かに怯えながら
    うやむやにすることなんてせず、
    謝る必要なんて 全くなくても、
    日々 触れる事象や目にした記事から、
  「自分もそういうことを してはいないだろうか?
     自分は果たして大丈夫だろうか?」と
   ご自身を省みて、実に潔く
   「ごめんなさいね」を言えること は、
    私は本当に素晴らしいと思わされます。
     言い訳はすぐに出来るのに 
     プライドがそうさせるのでしょうか?
    爽やかに潔く謝るということは
    実はとても難しいように思うのです。
 何でもかんでも へつらうように ただ謝ることを
     素晴らしい、と言っているのではなく、
  「もしかしたら」と思う事は大事な気がします。
 
      色々な記事や事象に触れた時、
「ヘェ~そうなんだぁ。(でも自分には関係ないもン)」と
 高みの見物に徹する方は余程 ご自身の生き方に
     自信があるのかもしれませんが(笑)
 目の前にいる人になんのきなしに放った言葉で 
     相手の顔が曇ったのを確かめたのなら、
     「失言してしまったのではないか?」と、
    確認し、訂正することは大事な気がします。
     私は年齢関係なく、ハッ、とした時や、
      もしかしたら・・・・と思った時は、
  その場が無理な時は あまり時間をあけないで
       メールや電話でお詫びします。
 失礼なことをしてしまったかもしれないと思ったら
 相手に確かめ、非を認め、人として潔く爽やかに
 「ごめんなさい」を言える人でありたいと思います。
謝ることは かっこ悪いことでも
 敗北でもないのですから。

回帰 ~自分へと還る旅~

2014年02月22日 01時23分49秒 | 日々思い感じること

009 
 人は万能ではないので 
 物理的にも 精神的にも ゆとりがないと
    人情の機微に触れることは難しいように思う。 
   なので もし、誰かにちょっぴり
  寄り添って欲しいときには
 相手のそうした状況を確認したうえで 
  気持ちを明かすということが賢明なのかもしれない。
     とくに
活字を通してのやり取りの場合は 
表情や抑揚を見て聴いて感じ取れる会話とは違うので
    書き手の心情と受け取り手の心情とが
微妙にズレるということも往々にしてある。なので
   ぶっきらぼうな単語の羅列にならないように
  双方が注意を払うということも必要と思わさ
れる。
出逢いというご縁を頂き色々な方と関わる中で思うのは
本当の意味で相手の話しに耳を傾ける事のできる人は
   とても少ないように思わされる。
心がシュンとしている時人はジャッジされることも、
    その人の主観からくる決めつけの言葉も
  理路整然とした難しい言葉も必要とはしていない。
    目を見つめ 「うん、うん」と
    耳を傾けてくれる優しさにも勿論救われるが、
  それ以上に 「お気持ちわかりますよ」の共感力は
   渦巻いた闇の中に 射しこむ一筋の光のごとく
    目の前の相手のココロを安心させ
  「自分は決して独りじゃない」と勇気づけてくれる
     魔法の言葉のように思わされる。
     いろいろな 寄り添い方があるけれど 
     相手を認めることを示唆する共感力は 
     聴く力そのものであると私は思う。
     そして、人の機微を感じ取り、共感し、
     添える人でありたいと思う。