イタリアの風に吹かれて ~con te partiro~

前世(かこ)から未来(いま)へと紡がれし時の記憶
あなたと交わした約束の欠片を辿る遥かなる愛しき旅

歩(ほ)すすめるごとに出逢いし胴吹き桜の美しきかな

2018年03月23日 23時34分55秒 | 感謝



ある場所からの帰り道、桜並木を通って帰りました。

ふわふわ そよそよ 優しく風にゆられる可憐な桜たち。

その飾らない美しさに見惚れました。


  

『風の伝う道』を立ち上げ 名刺を作り 

表だって創作活動をする以前から


【色】について思いを馳せることは大好きでした。

私の色の師は昔も今も そしてこれからも

ずっと変わらず、色彩豊かな自然です。


もうかなり長いこと

人工的なオレンジ色や赤には惹かれない私ですが、


夕暮れ時、青い空が 輝くオレンジ色と重なり溶けゆく

 まばゆい光景を目の当たりにする時、

毎回その
美しさに息を飲み暫しその世界にたたずみます

  


悪意がなかったとしても 良かれと思って

 自分の価値観や 自分の都合で目の前のヒトに

「~しては駄目」と威圧的に言ってしまうのはどうなのかな?

目の前のそのヒトが 

何十年と生きてきた歴史の中で 体験してきた喜怒哀楽の全てを

そばで見続けてきたわけでもなければ

目の前のそのヒトの全てを知っている筈もないのに

その場のあるヒトコマ、

ある会話の一部だけを

多分無意識に あなたの主観で切り取り 繋げて

「あなたは~な人だから」と

決めつけてしまうのってどうなのかな?

「随分と上から目線だなぁ~」と私は思います。

 そんなモヤッと感が残る中、

歩(ほ)を すすめる毎に 丁度目線のあたりに

 次から次へとポッと現れる可憐な胴咲き桜の健気さに

ただただ ほっとして、優しくなって

あたたかで柔らかで控えめな彼女らのエナジーに

「元気だしてね」 と ウィンクされたような

声なきエールを沢山の桜たちから送られているような気がして

嬉しくて思わず立ち止まり

「あなたたち ほんとに全員綺麗よ。ありがとね」と

幹と根元を優しく触り伝えました。

  

春、植物が芽吹くキラキラした季節。

庭の植物を始めとして沢山の植物から愛され、

沢山応援して貰っていると実感します。

玄関前の鉢植えの枯れてしまったと思っていたボタンが

力強く芽を出してくれたこと、

強風に吹かれても折れずにピッと背筋を伸ばし

凛とした姿をそっと見せてくれる地植えの水仙の姿etc・・・

一日に何度か目にするゾロ目は私の中では

スペシャルなことではないのですが、

自転車をこぐ中、111から始まって

222 333 444 555 666 777 888 999と

順番に全ての数字をみせられる時や

888、 8、 88、 8888など

同じ数を立て続けに視らせれる時があります。


そんな時はやはり強いメッセージを感じるのでペダルをこぎながら、

それぞれの数字の持つ意味を感じ帰宅後、

ダイアリーに書き込みます。

最近 面白いくらいにそれは頻繁に、

ぱっと目に入る活字であり、聴かされるメッセージであり

日々自分で引くオラクルカードのメッセージがあります(笑)

それは、

「いま、ここ」 というワードです。

私の思い癖ですが 心配ごとがあると 過去のあんなこと、

こんなことを後悔したり 未来に思いまどってみたり、

そんな時は 「いま、ここ」から離れているので

自分以外の様々な事象にとらわれ無意識に

それらにエナジーを注いでいました。

私の大事な「とき」を自分以外の様々に分散させるのは

実に勿体ない(苦笑)

「今、ここ」 のメッセージは 私の中に響いています。

  

今年、実際にお逢いしお話を聴く中で心地よい余韻がいつまでも残り、

「そうそう、そう思うのよね」と、日々、自身が思い感じていたことを

「それでいいのよ」と再確認したようなことがありました。

それは、なんでも仙人こと、みやがわみちこさんが 

あるお茶会の中で、参加者のご質問に対し

ポソッとつぶやくようにおっしゃた言葉でした。

それは、

【●●さんが凄いと思うような人からのメッセージ(助言)であっても

聞いた後、自分の心が落ち着かない、嫌な感じがするのであれば

その人のメッセージは●●さんにとっては強すぎるのかもしれませんよね


というような内容でしたが、みちこさんのこの言葉

ほんと、その通りだワと思いました。

  

最近、中々纏まった時間を作れずブログで

ご紹介をしていませんが

クリスタルボウルの奏者であり、

倍音&共感覚セラピストの和泉貴子さんも、

実際お逢いして柔らかな雰囲気でありエナジーを纏う

決して 様々を決めつけたりなさらない

とても素敵な方なので講義内容も自然に心に浸透しました。

  

自分にとって一見、良さそうなアドバイスであったとしても

言葉の端々に否定する言葉が多く、

「あなたはこういうヒトだから」と確認もせずズバッと切り込み、

決めつける言い回しが多いヒトからの言葉というのは

わたしは、ですが、時間が経つほど嫌ぁ~な気持ちが頭をもたげます。

折角の助言も、相手を否定しては届きにくいと感じます。

「北風と太陽」の童話のように大半の人はポカポカしていれば

 自然に服を脱ぎ、心の扉を開くけれど

「これでもか!」と無理やり こじ開けようとすれば

相手は不安になり身を守り 頑なになると思います。

資格を取りアドバイザー(カウンセラー)として活躍する方であっても

ご自身が経験してきたことしか分からないのが普通のように思います。

だからこそ、初対面で会った目の前の人と

その場で交わした わずかなやり取りを

 ご自身のそれまでの経験値や想像だけで

目の前にいる相手のことを 【きっとこのヒトはこういう人】と

多面的な相手の様々を勝手に決めつけてしまうというのは

どうなのかな?と、私は思うのです。

~人のふり見て 我がふりなおせ~

体育会系の私は子供の頃からガキ大将で

沢山走り回って遊んでいたので 気にしない、おおらかで

さっぱりした大胆な面もありますが、

同じように繊細な感受性も持ち合わせているので

相手の放った言葉がグサッと刺さることもあります。

自身がそうした性質なので、誰かとお話しをするとき、

言葉を放つ時は温かな気持ち、思いやりの気持ちを持って

言葉を使うことを意識しています。

今回、あることを通して改めて言葉の重みを感じました。

人と関わることは楽しくもあり、

成長に繋がる佳き有難き学びもある一方、

「え?」と驚き、悲しくなるようなこともまたありますが

それでも腐らず  【いま、ここ】 に 焦点を当て、

自分の心地よさであり好きを、堂々と選び取って行きたい、

そんなことを春風に吹かれながら思いました。

ともすれば、目上の強い語気のご自身に自信がある

堂々とした女性の言葉に つい飲まれ、押し切られ

 YESを言ってしまう、遠慮して引いてしまう、という

自分の弱さに ハッと気づかされましたが、

これからは あとになって うじうじ悩み、

自分の至らないところを責めたり

落ち込んだりのそれではなく、

かけがえのない【わたし】を大切にするために

勇気を出して、その場で相手の目を見て

穏やかに 堂々と 「貴方はそう思われるのですね。

私は今こんな風に思い、このように感じています」と

淡々と開示し、自分の気持ちを明かそうと思いました。

日々の様々な出来事に あらためて感謝です