イタリアの風に吹かれて ~con te partiro~

前世(かこ)から未来(いま)へと紡がれし時の記憶
あなたと交わした約束の欠片を辿る遥かなる愛しき旅

温故知新

2023年08月06日 01時32分40秒 | 日々思い感じること

ルルドの泉の聖水が入ったマリア像を型どり
白いインクを入れ、複数の石や精油他を入れて作った
お手製のオルゴナイトのマリア様
(オルゴナイト作りに一時期はまりました。
もの作りが好きです
マリア様の後ろには「光」の文字が隠れています)

3年弱四国(高松)に住んでいた頃
カルチャーセンターで気功を習っていました。

気功終了後の先生の雑談は楽しみの1つでした。
印象に残っているお話しの1つに
作家の処女作は作家の伝えたい思いが
殆ど全て詰まっているetcと仰られ、
言い得て妙だな、と思いました。
無名だった作家が世の中から求められるようになり
その後、第2弾、第3弾とシリーズ化される時
(勿論全てに当てはまる事ではありませんが)
最初の本の内容が、あとから出した本の内容と
重複する部分が多いと感じることがあります。

20代から心理学や哲学、スピリチュアリズムに関心があったので
魂の渇きを潤すが如くそうした本を沢山読んできました。
当時求めたそれらの本は今も時折ブックシェルフから取り出し
立ち読みのようなラフな感じでパラパラめくり
パッと飛び込んできた言霊を追うと
「あ、こういう意味だったんだ」と
当時は難しすぎて理解できなかったことが
年を重ねる中で年齢に応じた気付きが齎される
と言った感じで1人静かに感動することがあります。

「即、行動!」の情熱的だった当時は(笑)
時折、感銘を受けた本について感想や
質問を手紙やメールで作家や出版社に
送ったりしましたが、作家ご本人から直接メールや
お手紙でお返事を頂く事も何度かありました。

個人情報の点から今では考えられないことですが
当時は(一部ですが)作家の住所や電話番号が
本の後ろ記載されていたこともありました。

ある時、ある分野の大家にご質問をした所、
達筆な直筆のお手紙が頂き便せん数枚に渡り
丁寧に質問にお答え下さり感激しました。

8月末日の集荷にあわせ 先月末から
大切にしていた本たちを整理する中、
多感な10代後半から20代に触れ、
心を感動で満たしてくれた本たちは
時を経ても尚、色褪せることなく
今に通ずる素敵なヒントが鏤められていて
やはり手放せません。

「温故知新」は好きな言葉の1つです。

四の五の言わずに(笑) イイものはイイ。
シャカリキに何かを広めようとしなくても
よきことは 
人の進化向上に必要なことは
口伝のように時代から時代へ
脈々と受け継がれてゆく
どんなに時を経ても 
古(いにしえ)から連綿と続く
先人達の遺した数々の習慣(風習)や教えは
現代を生きる私達の暮らしにスッと溶け込み馴染み、
多くの気付きを齎(もたら)し、
時に波紋を投げ掛け、足元を確認し
謙虚になる機会や教訓を与えてくれる
大切な教えの宝庫であり、
書籍も同じく、と
私は、ですが
 日々そんな風に思ってます。

本や青春の思い出の詰まったカセットテープや
MDの内容を確かめ手放すかの判断をする中、
14年前、信頼出来る方から学んだ
スピリチュアリズムの講義のMDが気になって
聞き返していますが、
「あ、そうだった」と改めて気付くことが多く、
初めて受講した時の魂がワクワクする
あの喜びや感動が呼び起こされ
全身全霊で私達生徒に、
ご自身が身に付けてらした様々を
ご自身の実体験も含め惜しみ無く与えて下さった
太っ腹で真摯な姿勢に
深く感謝の念が沸き上がりました。
師の声は透明感があり癒されます。
愛猫😼もMDを一緒に気持ちよさげに聞いてます。

冒頭の気功の先生には私の見た夢の内容が
きっかけとなり四国に居る間、2002~3年春にかけて
臼井みかお氏のレイキを伝授頂きました。

思いつき&直感で動く私は(笑)コツコツが苦手で
折角良いものを学んでも復習しないタイプですが(苦笑)
これまで多くの時間やお金をかけて学んだことを
本当の意味で心にスンナリ沁み渡る
私の「時ぞ今」は今のように感じています。

6月に思いきって多くの調理器具や
食器他を手放す中、残したと思っていたフォークも
処分してしまいましたが😅 

今年は本来の自分を取り戻すための通過儀礼、
禊と感じます。

私が唯一、心から師と思い
そう呼べるのは
スピリチュアリズムを学んだ先生で
今も繋がらせて頂いている大事な存在です。

ともすれば調子に乗ってしまいがちな(苦笑)
単細胞な私は師の講座から謙虚さや
「霊現象はまず否定」という大事な教訓他、
多くのことを学びました。

8月は14年前の講義を聴き魂を整えたいと思います✨

片付けをしながら私には
「お金で買えないものも含め沢山の大切なものがあった」と
改めて気付きました。
当に、有難し、感謝です💛

無知ゆえに、知ることが嬉しくて
学ぶことが大好きです。

 「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」

いつまでも好奇心を持ってココロ柔軟に私らしく、
何気ない日常の何気ないヒトコマに目をとめ
今、この時を大切に歩んで参ります。


地球、全ての存在の幸せを祈りにかえて

2022年12月24日 12時54分38秒 | 日々思い感じること

 

クリスマスイヴの今日わたしはこのCDを流しながら
静かに1年を振り返っています。


そばでは猫ベットでルーチエは気持ちよさげに寝ています。
エリザベスカラー3日目、
色んな所にゴツゴツぶつかりながらも
トイレもご飯も少しづつ慣れて?きたようで
ホッとしています。
昨日、お薬のあげ方を先生から伺い
今朝、指にチュールを乗せお薬を包みあげると
「ペッ」と吐き出すこともなく
食べてくれたので安堵しました。
ミーシャの時はお薬をあげるのに苦慮しましたが
チュールは心強い味方です。
今朝はドライフードも食べてくれて
トイレもいい感じにできました。
エリザベスカラーになれていなかった昨日、
帰宅してすぐおしっこをしたのですが
足にかかってしまい、匂いがついていて
本人も気になっているとおもつたので
昨晩、藤原紀香さんお薦めのガーゼタオルを
お湯で絞り身体を優しく拭いたら
気持ちよさげでした。匂いもとれました。
そして、傷口への消毒も出来ました。

父は数年前の11月29日に亡くなり、
ミーシヤは12月27日になくなり12月29日に荼毘に伏しました。
毎年、クリスマス前後は色んなことを振り返ります。

クリスマスイヴ、そしてクリスマスを
気がかりなこともなく ご自身がお健やかで
最愛のペットちゃんやご家族、
沢山のご友人がいらっしゃる方々は
イルミネーションに心トキメキ
美味しいものを頂き 幸せをかみしめ
笑顔でお過ごしのことと想像致します。
そうした何気ない日常のひと時は当たり前ではないことに
少しばかり思いを馳せ、その美しく
素晴らしいひとときを愛する方々と堪能くださいませ。

自分の足で行きたいところに行けること、
歩けることの素晴らしさetc・・・
亡き父の入院生活から様々感じさせられました。

「幸せ/Happiness」の文字をみせた水の氷結結晶写真
(月間HADOという雑誌を定期購読していた当時、2004年頃から
浅草橋にあったIHMで興味のあるセミナーを受講していました。
マヤ暦、プレバランスアストロロジー、ヒプノ、タロット他)



数日前から大雪に見舞われ、こうしている今も
お辛い状況にいらっしゃる皆様に思いを馳せる時、
入院されている方を思う時 色々な思いがよぎりますが、
大難が小難に、小難が無難にでありますように
の想いを祈りに変えて。

素敵なイヴ クリスマスをお過ごしくださいませ。




私の場合

2022年01月17日 06時16分44秒 | 日々思い感じること

私は「言葉」を敏感に捉えます。
なので相手が何の気なしに放った言葉でも
(私を批判する言葉と言う意味ではなくて)
自分の中で「ん?あれ?」と引っ掛かり
更にザワツクと今後その相手と距離を縮めていいかを考えます。
というのは「されど言葉」であり
相手が何の気なしに放った言葉はそれが短いフレーズであっても
相手の本質であり 人との関わり方を如実に表していることが
往々にしてあると経験上気づいたからです。
ある言葉をリピートする人は (本人は無意識) 
案の定、「ここから先は入らないで」という境界線を
平気で越えてこようとします。(これまた無意識)
人には多かれ少なかれ
踏み込まれたくない聖域であり
踏んではならない地雷のようなもがあるように思わされます。

また「申し訳ないなぁ~」と恐縮し負担を感じさせるような

「貴方のためにやってあげてマス」
「聞いてあげてマス」
「~してあげてマス」的な
恩着せがましさを全面に出すような方も辟易します。
(これまた本人は無意識)

「助けて頂けませんか?」と言っていないのに
あの手この手でソフトに でも しつこく
聞き出そうとするような人は親切心というより
ただの知りたがりさんのように感じます。
こうした方にうっかり気を許してしまうと
 あとあと ややこしくなりそうなので
大事なことや
踏み込まれたくないことは警戒し話しませんが(苦笑)

親しさ=境界線を越える

と、思いこんでいる方は
「親しき仲にも礼儀あり」の対極にいる方と感じる場面が多く
そうした方の特徴は何でも共有しようとしたり
親しくなると「あーでもない こーでもない」と
口出しするのも目に見えています。
また、自分に関することを自分の口で
直接開示したわけでもないのに
そして、もう何年と会っていなくて
直接言葉のやり取りもしていないのに
blogなども含めた ある一部分から憶測で勝手に
「~だったのね」と断定し 
一見、労うように関わろうとすることも
違和感を覚えます。

余談ですが、厳しめの言葉はサクサク出てくるのに
「友達だよね~」と、仲良しアピールしながら
( ↑ 私の関わる人達ではありません)
本当の所はライバル心メラメラ🔥なのか?
目の前のその仲良しな友達の、素敵な部分は
絶対言わない、言ってなるものか!!といった頑なさ、
ジメッとする冷ややかな視線を目の当たりにする時、
「なんだかなぁ~」と不思議に思います。
私は単純なので 心が動き感動した時は
敢えて黙っているなんて出来ないので
素敵とか素晴らしいと感じたことは
自然に口をついて出てきます。
思ってもいないことは勿論言いませんが。

ことあるごとに「応援してる」とか「友達」だからと
リピートする人に限って
その逆が多いということも近年気づかされました。


Give and Take

2021年09月04日 13時39分23秒 | 日々思い感じること

最近、金額設定や
「持ちつ持たれつ=Give and Take」について思うことがありました。

お金儲けは素晴らしい「才能」の1つだと思うのですが、
様々満たされていても尚、もっと、もっと・・・・と金額をあげ、
名声を得る方向へと変化してゆくのを目の当たりにした時、
人の思いはその時々に変わるものですが
以前の強くしなやかで清らかな志(魂)を知っていたからこそ複雑です。
その人のそれを必要とし真摯に学んでいる(た)人を知っているので、
顧客をセレブリティーへとシフトされたその先に見える景色、
待っているものは何なのだろうなぁと僅かに感じさせられました。

主催者が設定した金額に対してGOサインが出ない時
帝国劇場のミュージカル チケット(S席)を基準にしている自分がいます。
オーディションを勝ち抜いたその道のプロフェッショナル達が
お稽古を重ね真剣に演じる世界観、素晴らしい脚本、
素晴らしい音楽、舞台装置、衣装etc・・・・
ライブだからこそ得られる演者と客席の一体感、醍醐味は
少しづつ値上がりしているチケット代も素直に納得できる
至福を感じさせてくれるスケールです。

なので即決に待ったがかかる時心に聞くのです。
「ミュージカルと同じ時間のこのセッション(セミナー)から
得ることや感動があるのだろうか?」と。
すると、おのずと答えが出てきます。

常々思うのは、特別な人など居なく、
ひとり一人が皆、人生の主人公だということです。
だからこそ、どこどこの誰それさんは凄い!
でも自分は・・・・と自分を卑下することなどナンセンス。
そして、主催者を特別な人と自分の上に置き、
ひれ伏す必要などもないのです。

人関係において自身の学びのテーマの1つは
「Give and Take」と感じます。
それは「 何かを与えた代わりに何かをもらう 」 といった
物質的なやりとりというより、対等な互助関係であり、
giveとtakeのバランスが丁度良い関係、
シェアしたことに対して返ってきた相手からのシェア返しを
遠慮せずに堂々と感謝して受け取る、ということです。

最近読んだゲッターズ飯田氏のある書籍の中に、
「紹介される人になりましょう」とありましたが、
紹介する、される、というのは信頼の上に成り立っているので
素敵なシステムだと思っています。

「この人なら自信をもって紹介できる!」という相手に対しての
信頼が根底にないと、自分が培ってきた大事な人脈を
紹介することは出来ません。

(私の場合応援の気持ちが強いので圧倒的に紹介する事が多いので

やはりバランスをとらないと、と思います)

ゲッターズ氏が、紹介者しか占わないと決めている理由も
この書籍を読んで深く共感しました。
言葉では絶賛しながらいつまで経ってもシェアしたり
紹介してくれない、という場合は残念ですが、
それが相手があなたに対して抱いている相手の
真の思いだと思います。

私は性格的に大切に思うからこそ付き合っている近しい、
この人は!と様々な面で尊敬する頑張っている人には
自然な心の動きとしてエールを送り
ご縁の架け橋をし、高い授業料を払い学び得たことを
長年損得抜きでshareしてきました。
でも、「へぇ~そうなんだ(ラッキー)」的に、
受け取るだけの人もやはりいて、
そんな時は神様ではないので拍子抜けしてしまいます。
そういう人の口癖は「●●を協力するね」と言いながら、
ゲッターズ氏がいう紹介や具体的な協力もありません。
恐らく本人は気づいていないと思いますが、
常に人から受け取ることばかりで
一切与えようとしない人は
補助霊も移動しちゃうのになぁ~と思います。

私はカードリーディングもしますが、一時期
oracleカードで頻繁に「境界線を引きましょう」と出ていました。

ご近所や仕事で関わる人たちと違い、
自分の意思で自由に選び取れる友達関係においては
やはりストレスなく一緒に居て楽しいな、と感じ
高めあい、エールを送りあい、
協力し合える関係が望ましく心地よいと感じるので
そうした人たちと長くお付き合いさせて頂けたら
嬉しいなと思うのです。


当たり前の反対は有り難し

2021年07月10日 07時10分13秒 | 日々思い感じること

ある番組を見ていると

「有難うの反対はなんだと思います?」

と言う短いやり取りがあった。

有難うの反対は「当たり前」だった。

確かに……と府に落ち

近しい数名の顔が浮かんだ。

好意に対しわたしは素直に

「ありがとう 」を 言える人でいよう

色んな意味で偉くなり 

好意も言葉も貰い慣れていると

いつの間にか当たり前になって

 ありがとう を

どこかに置いてきてしまうのかな?

贈り物が高価だったり 気に入った物だと

 すかさず ありがとう、

そうじゃなければスルー

それって残念だなぁと思うし

傲慢だなぁとも感じる

沢山お金がある人からの高価な贈り物より

金銭面でゆとりがない人が真心込めた贈り物

一輪の名もない花にわたしは尊い光を視る

それは物のやり取りに限ってのことじゃなく

自分が全く知らなかった世界を

躊躇なく出し惜しみせず

教えてくれた場合も然り 

だってそれはその人が

沢山の時間や対価をかけ

その人が築いてきた

大事な財産だから

努力しなくても聞けたそれらは 

有り難し、だから

そもそも当たり前ってどういうこと?って思う

それから、

 地位も名誉もお金も沢山持っている

ピラミッドの頂点に君臨する人の甘い言葉や

作戦に洗脳されて

身を粉にして頑張り続けて売り上げに貢献したり

貢ぐのは違うと気づいて下さいね。

全てを手にした人に貢ぎ物も支えも要らないのですから

一見キラキラした言葉の魔法から解けますように

あなたのことを本当に大事に思ってる人は

あなたのピュアな思いを利用しないし

あなたに当たり前に、

お金を使わせたりはしないから