イタリアの風に吹かれて ~con te partiro~

前世(かこ)から未来(いま)へと紡がれし時の記憶
あなたと交わした約束の欠片を辿る遥かなる愛しき旅

この痛みと、この光から 何を学ぶ?

2012年01月31日 23時59分37秒 | ハート♡の作品

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  1月の下旬から時折、
船酔いをしているかのような頭痛に加え
背中がドンと重い様な
 ズンと突かれるような短い胸の痛み、
 眉間の奥の鈍い痛みを体感している。

  何かの前触れなのだろうか?・・・・

 でも、同じように頻繁にオーブと呼ばれる
  美しい煌めき、光の点滅を頻繁にみせて頂く。

  大丈夫よ、大丈夫。

  それはまるで、春を告げる妖精のように、

それはとても軽やかで、幸せ色に満ちている。

 私達人間は、

今、とても大切な岐路に立たされている気がする。

 ひとり ひとりが 
【気付くこと】で 変わるなにか


突発的なことが起こる時

2012年01月31日 22時21分23秒 | デザイン画・書画

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  何か 大きなことを 回避する前触れとして

   予期せぬ 一見 嫌だなぁ、と思うような

 小さな出来ごとが 目の前に急に顕われた時

 でも、それは何かをあきらかに回避してくれた

ほんとは小さなラッキーだったのかもしれないと、

       あとあと 気付く時がある。

        だから、きっと 大丈夫。

  あなたから 今日 聞いたその出来ごとは、

 誰もが きっと 気をつけないといけないこと。

    文明の利器に頼りすぎ、ゆだね過ぎ、
    絶対平気、だなんて 過信しないで

       時々、心のドアをノックして

      その状況を冷静に感じてみる、
       そんなことも きっと大事、

 そんな風に思わされた今日のある出来ごと。

      ○○さん、びっくりしましたよね。

  でも大丈夫。どうか元気をだして下さいね


私とアートとインスピレーションと

2012年01月30日 23時05分35秒 | 日々思い感じること

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      今日は、いつも思っていること、

           感じていること

   「こうなるといいなぁ~」と思っていること

そして、私自身のことを つぶやかせて頂きますね。

  もし、宜しければお付き合い下さいませ~

   子供の頃、いつも私の周りにあったもの、

    それは、沢山の絵本やレコードでした。

大人になった私が本や【音】、歌う事が大好きなのは

    こうした生い立ちの影響かもしれません。

  小さな頃から、人前でお話ししたり、歌ったりが

     大好きな子供でした。ものおじしなく、

     男の子に交じって、ガキ大将さながら、
          毎日、かけずり回り、

 自分達で考え付いた色んな遊びをしていました。

         遊ぶことが大好きでした。

記憶力の良い私は、色んな事を割と良く覚えています。 

 通っていた幼稚園では お習字の時間がありました。

私はお手本をなぞらえずその文字を半紙に書きました。

        園長先生は私の所へいらして

 「お手本の通りによくかけているね」と、仰いました。

  私は、お手本をなぞって書いていなかったので、

    「自分でかきました」と、正直に伝えました。

      初老の園長先生は、私に言いました。

 「嘘をついてはいけないよ。貴方が写してかいたか

自分で書いたか先生は見たらちゃんと分かるんだよ」

        と、やや強い口調で仰いました。

  私は悲しくなりました。嘘をついてはいないのに。

あの時もし、園長先生が私を信じ褒めてくれていたら、

 もしかしたら、私は子供の頃から書道を好きになり、

  自分から習いたいと思い、高校の選択科目でも

     書道を取り、日々 書を鍛錬して今頃は、

    書の世界にどっぷりだったかもしれません。

      裏付けのない大人の何気ない言葉に、

子供はとても傷つくということを、身をもって体験した

年長さんの、あるうららかな春の日の出来事でした。

 そんな苦い体験をしながらも、私は小さな頃から

   ペンや筆をもって、絵や文字を書くことが

          やっぱり好きでした。

私は【大きなもの】に昔からとても惹かれ癒されます。

犬も猫も ライオンみたいに大きかったらいいなぁ~

  なんて、時々 大真面目に思ったりもします。

それは私の魂が大きな存在に包まれ癒されたいと、

     思っている証なのかもしれません。

大きなフワフワする彼らにくるまれて眠りにつきたい、

     そんなことを ふいに思います(笑)

      ご存知の方もいらっしゃるように

        私は大きな字を書きます。

       大きな字を書く事が好きです。

         私の性に合っています。

   いつか、凄く広い所で 大きな大きな紙に、

   筆ではなくて ほうき か 何かを使って(笑)

     大きな書を泳がせたいなぁ~、なんて

          密かに思っています。

振り返ると私は育つ過程に於いて、大人達の決めた、

     安全地帯という枠の中に入れられて

        育ってきたように感じます。

      なので、いい、悪いのそれではなく、

   折り目正しい きっちりとした自分もいれば、

  常識という枠に捉われがちな自分もいます。

けれどある時、文字を書いていてふいに思ったのは、

私が書く文字こそが、紛れもない私の本質そのもの

    なのではないだろうか、ということでした。

 それに気付いた時、漸く【私】を探し当てたようで、

      とっても嬉しくて、爽やかな風が

    私の中を吹き抜けてゆくのを感じました。

「もしかしたら私の本質、私の中に大きく占めている

 私って、こだわらない、自由で 伸び伸びした人

   なのかもしれない」そんな風にも思えました。

      時として文字というのは、その人の

   パーソナリティーをも示唆するのではないか、

     そんなことを常々感じさせられます。

  笑顔を作ることは出来ても目が笑っていない、

というように 口では言葉巧みに 饒舌に語れても

文字は嘘をつけないと言うか(笑)その人の個性や

  その人の その時々の想いや感情までもが

  如実に顕われるもの、時として その人を顕す

  大事なツールのようにも感じさせられるのです。

最近、自身の描くものについて思う事がありました。

       私はこれまで、誰かに師事し

  書や絵を習ったことはありませんが、気付くと

  表現することは 呼吸をすることと同じように、

    いつも私の傍でそっと息づいていました。

   もう、何年も前に思いがけず、ある方から

「あなたの描くものには・・・・・」と、お伝え頂きました。

  がしかし、怠け者の私は、書くこと、描くことを

  すぐに始めませんでした。しかし、2010年の春

   みえない何かにそっと背中を押される様に

    「もしも、私の描くものを通して 結果的に

     癒しをお届けさせて頂けるのなら・・・」

  そんな思いが自然と湧きあがり、今に至ります。

  高校時代 選択教科で取っていた美術の時間、 

 当時好きだったトム・クルーズの雑誌の切り抜き

   見ながら、何時間もかけデッサンをしました。

  うがった言い方になってしまうかもしれませんが

   鉛筆で描き上げ完成した切り抜きとそっくりの

トム・クルーズを見た時、気付いたことがありました。

集中しその対象物をよく捉えしっかりと観察をすれば、

対象物と同じものを人は描く事が出来るということを。

私が今、インスピレーション描かせて頂いているものは

       そうした時間の積み重ねとは

     対極の所にあるような気がします。

   例えて言うと、それは心が感じ動くままに

     表現するピアノの即興のようでもあり、

 街中で画家が自由なタッチで通りゆく人達の顔を、

  その特徴をパッと掴みながら15分位でササッ

  描き渡すような、その時 受け取った人からは

      思わず笑顔がこぼれる、ような、

   そんな立ち位置なのかもしれないなぁ、と

           ふと思いました。

     よりよく見せる為に、何度も手を加え

    加工するのとはちょっと違う、ある意味 

     生もの のようなものかもしれません。

私は、ですが、何かに触れ心が「いいな」と動く時

 感動する時、そこに理由も理屈も存在しません。

      私が目指すものも、それと同じで、

 万人受けするものを、媚ながら加工するのでも、

     時間をかけて手を加えるのでもなく

たった1人の方でも 触れて頂いた方のお気持ちが、

  ふっと和らぎ 動いたり、何だかいいなぁ~と 

 思って下さるようなものを描き続けてゆけたなら

      そんな風に日々思っています。

   自分を確立していなく、自信がない時ほど、
       人は、本来の自分の光を抑え、

 人の好む色に染まろうとするきらいがあるように

         感じさせられますが、

  人から好かれる方をみていると、むしろ自由で、

  屈託なく自分の思いを素直に表現している人、

  本人はいたって無意識に 洗いざらいの自分を

  ポンと出している、人はそんな人に心惹かれて

        やまないのかもしれません。