※ここ数日 これまでupしてきた記事のカテゴリーを整理する中、
12年前の2013年8月18日に描いた水性顔料とラメの作品と
その時の思いが目に留まり今また心に響いたので再upしました。
この時に感じた思いを胸に 世の中や周りに迎合されること無く
自分の中の心地よさや正しいと感じる物事を見失わず
たんたんと2025年も歩いてゆきたいと思います。
この作品も考えて描いたのではなく手の動くままにかきました。
12年前の2013年8月18日に描いた水性顔料とラメの作品と
その時の思いが目に留まり今また心に響いたので再upしました。
この時に感じた思いを胸に 世の中や周りに迎合されること無く
自分の中の心地よさや正しいと感じる物事を見失わず
たんたんと2025年も歩いてゆきたいと思います。
この作品も考えて描いたのではなく手の動くままにかきました。

選ばれし特別な人だけが輝きを放っているのでもなく
ありったけの言葉を駆使し饒舌に語り
多くの人を説き伏せられる人が拍手喝采に値するでもなく
表立っていなくても 有名でなくても
小さきものに心とめ
それぞれの善を慈しみ 多くを語らず
誰かに影響を与えようなどと思うこともなく
それなのに周りの人は いつのまにか
自分の中の大事な思いにハッと気付かされていたりする
人はよくダイヤモンドの原石に例えられるけど
それぞれに与えられた多くの課題を解く中で
ときに あっちにぶつかり こっちにぶつかり
転び、汚れ、傷つくを繰り返しながら
次第に不要なものを手放してゆけるのかもしれない
手放す度 曇りや 翳りが取り払われてゆき
元々備わっていた光が顕れし時、
それを 磨かれた と表現するのかもしれない
ならばこの広い世界には一体どれくらいの
個々の美しい煌めきが満ち満ちているのだろう