ボヤキ嫁の日々の記録

“超”がつくほどの楽天家ダンナと文句が多いボヤキ嫁の日々の記録
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ビルマ旅行(6) バガン

2012年12月25日 | 旅行 - ビルマ

ビルマ滞在6日目。食あたりと連日の移動の疲れあり、大変な一日だった。

朝起きたらなんだか体調が優れない。だがこの朝5時から托鉢のお手伝いに行く話しがあった為、4時起床で山を下った。

お手伝いに行った場所は、27年間毎朝托鉢の食事提供をしてきた団体。毎日約1,000人の僧侶がやってくるとのこと。


(手前左の車に乗せられているのがご飯)

黒板にびっしりと書かれた寄付者の名前。1月中旬まで寄付者の予定が組まれていた。ボヤキ嫁たちが到着した5時には既に200人くらいの僧侶たちが訪れた後だった。大なべで炊かれたご飯が次々に奥から運ばれ、次の僧侶の団体が来るのを待っていた。

僧侶たちは蓋の付いた器を持っており、その器の蓋を外して碗にご飯を盛ってもらい次の場所で置かずとなるものを入れてもらう。どちらの場所でも鍋から直接僧侶たちが持ってもらわず、受け渡す係りがいた。この受け渡し係りは直接僧侶と関わることになるため一番大役のようだった。ボヤキ嫁もその係りをやらせていただいた。

僧侶にご飯を渡していたときはまったくといって吐き気を感じなかったが、僧侶の列がきれふとわれに返った瞬間猛烈な吐き気に襲われもどしてしまった。ここの団体の方が心配してくれ、何か食べて薬を飲むといいとホテルに戻る前に自宅に招いてくれた。

出された暖かいお茶はとても嬉しかったが、「ほら、これを食べて薬を飲んで」と出されたものを見て、『これ食べたら戻すな・・・』と瞬時に思い、ネタが出来たと写真を撮ったボヤキ嫁。体調が悪いときに育った環境が違うと辛いなぁとしみじみ思った。吐いてしまった後は胃にやさしいもの、白湯かお茶で十分なのに、この油・・・。皆さん心配してくれているのがよく分かっただけに、これを出されて辛かった。

楽天家ダンナに「食べられない・・・」と訴えてみたものの、楽天家ダンナを含むみなさんが食べないと駄目だと進めるため、頑張って二口食べてみた。そしてホテルへ戻る途中のくねくねとした山道の途中に全てを残してきた。
その後お茶を飲んでもトイレへ直行という状況で、楽天家ダンナが朝ごはんなのか昼ごはんなのかを持ってきてくれたらしいが、うーんと唸ったままベットで過ごすこととなった。

この日は楽天家ダンナにとって大変な一日だったと思う。朝から嫁は体調崩して吐き続け、昼過ぎから知り合いたちから生存確認の電話がじゃんじゃん入ってきたのだ。この日、ヘーホー空港で飛行機事故があった。当初、その飛行機でインレー湖へ向かう計画を立てていた楽天家ダンナ。楽天家ダンナが申し込んだ時には25日の飛行機チケットが取れず、翌26日にインレー湖へ向かう飛行機しか取れなかった。周りの人たちは25日か26日にヘーホー空港に向かうと言っていたため「いまどこにいるの?」という生存確認の連絡が沢山入ってきたのだ。ボヤキ嫁は調子悪くなっているし、飛行機事故は起こるしで、全ての予定をキャンセルしてヤンゴンへと戻ろうかとまで話していた。

ボヤキ嫁はというと、せっかく眺めのよいホテルに滞在したのに、チェックアウトぎりぎりまでベットで横たわり何も楽しめず。バガンにある次のホテルへチェックインしてもベットから動けずだった。3時過ぎにようやく落ち着いてきてふと気が付いた。バガンの夕日を見れるのはこの旅行では今日が最後ではないか?お友達がFBに乗せていた写真を見てからバガンから眺める夕日を見たいと思っていたボヤキ嫁。楽天家ダンナに本当に大丈夫?と心配される中、よろよろとした足取りでバガンの夕日を眺めるポイントへと向かった。

高いところに登るとは聞いていたがここまでとはと、着いた瞬間若干後悔した。夕日を見るためには45度以上の傾斜の階段を登らねばならなかったのだ

「最上部まで行かずここで十分。」と途中で楽天家ダンナに訴えてみたものの、「あと少しだから」と上まで登ることを進められた。どうにか登りきれたが、一日近く食べておらずベットに横たわっていたため体力が落ちていて床に座らないと立っていられない状態だった。が、夕日を見るのだーと気合を振り絞り、どうにか美しい夕日を眺めることが出来た。

この時撮った写真を見ると、常に楽天家ダンナがボヤキ嫁の腕をつかんでいたのよね。ふら~っとパゴダから落ちてしまうのではないかと心配だったそうだ。

バガンで夕日を見ていた時点で吐き気はほぼ治まっていたのでもう大丈夫かなと安心したが、この後ながーく下痢に悩まされることになった。


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