ボヤキ嫁の日々の記録

“超”がつくほどの楽天家ダンナと文句が多いボヤキ嫁の日々の記録
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ビルマ旅行(4) マンダレー・その2

2012年12月23日 | 旅行 - ビルマ

ビルマ滞在4日目。この日はマンダレー市内を廻った後、マンダレー郊外へと足を延ばした。

最初に訪れたのはクドードー・パゴダ(Kuthodaw Pagoda)。中央にある金色に輝くパゴダを取り囲むように、四方に真っ白なパゴダ群が配置されていた。


(クドードー・パゴダの入り口)


(中央のパゴダ)


(白いパゴダ内部には、ビルマ文字で表記されたパーリ語の経典が刻まれた石碑が設置されている。)

そしてほぼどのお寺でも野良犬もしくは野良猫を見かけた。

どのお寺でも思ったのだが、この野良たちはのーんびりゆったりとしていたのよね。誰かがえさをあげる以外、他の人はそこに犬(もしくは猫)がいるという認識以上の関心を持っていないような気がした。ボヤキ嫁が見ている限り誰も撫でたりかまったりせず。ペットとして着飾って生活している動物を見てビルマ人はどう思うのだろうか?と気になった。


(お寺に来ていた人曰く、樹齢100年を越えている樹木)

この樹の右には参拝者用のお水、そして左側には精霊を祭るための小さな祭壇が設置されていた。ここの境内にはこのような樹木はよい芳香の小さな花をつけており、それを拾い集めて束にし子供が売っていた。姪っ子ちゃんその1がボヤキ嫁にと買ってくれたのだが、この花の束は一日中いい香りを放っていた。

この後、マンダレー王宮へと足を運んだ。王宮は政府が管理しているとのことで、外国人は入り口でパスポートを提示せねばならないとのこと。運転手さんがボヤキ嫁のパスポートを持って詰め所へと言ったのだが、「言わなきゃわかんないよねぇ」と親戚一同ブーブー文句を言っていた。この日は別の運転手さんに変わり、こういう場所では融通が聞かない感じだったわ。


(王宮入り口の詰め所。銃はいるのか??)

マンダレー王宮は戦後に再建されたもの。この色合いやデザインを見ると、当時も今もマンダレーは中国の影響が強いのかな?

マンダレー王宮を見た後は、市外を抜けてマンダレー郊外へと向かった。マンダレー市内で花をバイクで運ぶ人を発見。これらの花は大抵ピンウーリンから運ばれてくるとのこと。ピンウーリンはお花の街としても有名だそうだ。

郊外へと向かう前に、この日自宅へ戻る楽天家ダンナの妹のため高速バス売り場へ向かった。バスチケットは電話で空席を確認して、手書きのチケットを渡されていた。ビルマ語が話せないとここでチケットを取るのは難しそうだわ。

 

郊外を走りぬけ一路ミングンへ。


(マンダレーとミングンを繋ぐ橋)

上記写真の橋を渡り、川沿いの道をひたすら走ってやっとミングンへと目的地へ到着。この日は雲ひとつない快晴で、真っ白なパゴダが青空に生えていた。ここが一番綺麗だったな。だが、名前がわからない・・・。


(お土産やに釣らされたハンモック。子供が寝ていた。)

その後、隣にあるミングン・ベルへと足を運んだ。 このベルは世界で2番目に大きいとのこと。(楽天家ダンナ談)

ここでかわいい姉弟に遭遇。やってきた観光客にこのベルの歴史を説明してくれていた。この女の子、ボヤキ嫁に話しかけてくれたのだがビルマ語しか話せず、ボヤキ嫁にはまったく分からず・・・。楽天家ダンナが通訳で色々教えてくれた。

楽天家ダンナの意地悪質問にも一生懸命答えていた弟君。物売りが多くいる場所で、説明し終わったら「じゃあね!」で終わった子たち。楽天家ダンナは色々教えてくれたからとお金を渡していた。お金を渡すことについて色々思うことはあるが、この子達はこのベルについて大人から聞いたのか結構詳しく知っていて、それを教えてくれたガイド料と考えることにした。

ミングン・ベルの後は、ミングン・パゴダへ。このパゴダはまだ未完成で、地震で亀裂が入ってしまい、以前は中に入れたが今は中に入ることが出来ないとのこと。(中に入れないのは外国人だけかもしれない)

パゴダの向かいには二頭のライオンがいるのだが、どちらも地震で頭が落ちてしまった。地元の人たちは「ライオンたちは喉が渇いていたから水を飲みたかった」と言っているそうだ。ものは考えようだな。

ミングンからマンダレーへと戻る途中で得度式の行列に遭遇した。男の子は一時的な出家、女の子は耳にピアスを開ける儀式。数家族が一緒にこの儀式をやるのは聞いたことがあったが、ここは村をあげて行われていたため大行列だった。

行列に阻まれ車が動けなくなっていると、どこからともなく現れたおじさん。この儀式は村一番のお金持ちが全員分の費用を負担してくれたのだと説明してくれた。ビルマ人にとっては大切な儀式、一人の人が負担とは相当な額になったはず。お金のある人は貢献し、村の人はその人や村への感謝の気持ちを強くしていく。こういうことでビルマ人の村の連帯感が強くなっていくのかな。

列の最後尾は巨大なスピーカーを乗せたトラックが爆音で音楽を流していた。これもビルマ的。 

この珍しい儀式を見れてよかったね、と話しつつ一路マンダレーへと戻った。

マンダレー・その3編へと続く。  


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