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蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

AMラジオ局  (bon)

2024-02-23 | 日々雑感、散策、旅行

 AMラジオがそのうちなくなるという記事を新聞で見ました。
ラジオは、物心がついた頃から既に存在していて、何だか空気みたいな感覚で、
すっかり意識の外にあったような感じです。

 若い時は、車移動ではラジオを付けていましたが、今はそれも免許証返納がしば
らく前ですから、身の回りから遠ざかっていました。高校の頃には、英語のラジオ
講座が毎日23;30~30分あり、2年間もずっと続けていました。 最近のAMラジオ
といえば、お風呂で聞いたり、それ以外は「ラジオ深夜便」「ぼやせん」を時々
聞くくらいで、いつでも傍にあって特段の意識を置いていなかったのですね。

 そんなAM(中波)ラジオが、2028年頃を目途にAMからFMラジオに転換する、ある
いは中止する計画であるらしい。理由は、AM放送設備の老朽化にあり、更改する
には1局当たり20数億円かかるそうで、これをFM局だと3~4000万円で済むとあり
ます。

 音質はFMラジオがすぐれていますが、AMラジオに比べてカバー範囲が狭くなる
など、AMからFMに
転換した場合の聴取者への影響などが想定されるため、FM転換
やAM局廃止を検討するに当たって、総務省の特例措置でこの2月から1年かけて影響
調査が始まったそうです。

                

 ラジオ放送は、1900年にカナダで始まったそうですが、日本では、関東大震災の
影響で情報需要が高まり開局が急がれ、1925年(大正14年)3月22日に『アーアー、
JOAK、JOAK こちらは東京放送局であります。』で始まったそうです。
 この当時のラジオ受信機は「探り式鉱石受信機」という簡易なもので、鉱石に
針先を一番感度の高い部分に調節して、レシーバーで聞いていたそうです。レシー
バーとは、今でいうイヤホンですが、ヘッドホンのような形をしていて、音質は
極めて悪いものでした。

         鉱石ラジオ(このような感じのものでした。)
         (ネット画像より)

 この「鉱石ラジオ」がきっかけで、その後の私の進路が決まったのではないかと
思えるほどインパクトがあったのですね。 中学1年に上がった頃、友達が持って
いた小さな箱「鉱石ラジオ」に初めて出会って、電源がないのに針で探っていると
ラジオが聞こえたのです。道端で、その小さな箱から電池もないのにラジオが聞こ
えたその衝撃は相当なものだったのでしょう。 クラスの中にラジオ少年がいて、
急速に密着することになリましたね。

 その頃までのラジオといえば、「並四」と呼ばれた真空管が4本で、マグネチック
スピーカーが付いた深みの無い音のラジオが一般的でしたね。 音質は良いとは
言えませんが、水泳の古橋選手がアメリカで世界新記録を作ったり、ヘルシンキ
オリンピックなどの実況中継などを覚えています。しかし、ラジオはあまり聞いて
いなかったような気がします。

 そのような状況にある中で、後述しますように、ダイナミックスピーカーを備え
た5球スーパーラジオを自作してから、音質が良いので家族でよくラジオを聞くよう
になったようでした。番組も増えてきていました。

                 

 話は中学1年生の頃に戻して、大阪の堺筋に「五階百貨店」といっていたと思い
ますが、当時も古びた建物の1階、といっても地べたに台を置きそこにラジオの部品
や真空管、それに工具類などを並べた同じような店がずらりと並んだところ(関東
では昔の秋葉原電気街のようなイメージ)があり、お小遣いを貯めては、そこに
自転車で走り、部品などを買ったり、おやじさんとラジオの話をするのが楽しみ
でした。

 その頃、自宅に2畳くらいの部屋に工作専用の部屋として作業台、棚などを作っ
てもらい、そこが友達との基地?同然に明け暮れていました。 中学2年頃には、
当時最先端だった5球ス―パー(へテロダイン)ラジオを製作したり、無線機の製作
などラジオ少年の道を進んでいました。自家のラジオ製作だけでは飽き足りず、
友達宅のラジオの製作も依頼され、その都度五階百貨店詣でをしていたのでした。

       自作の5球スーパーラジオ(こんな感じでした。)
        (ネット画像より)

 中学後半になると、制作ばかりでなく、自作の5球スーパーラジオの実力?も
知りたくなり、屋根上に20m長の逆エル型アンテナを張って、夜な夜な日本のラジオ
放送を聞いていました。 放送の内容(番組)を聴いていたというより、電波を
受信していたといった方が正しいでしょう。 どこの放送局か?その受信状態
(感度)はどうか?などの受信記録を、その放送局に「受信報告書」として郵送
するのです。そうして、それが正しければ放送局から「ベリーカード」(Verification
Card 受信証明書)が送られてくるのです。

 何時間もかけて、雑音の中からその放送局を識別するという根気のいる作業を
よくも飽きずにやっていたものだと思います。 下の写真は、放送局から送られた
受信証明書(ハガキ)で、自宅、大阪市天王寺区上本町の受信地での成果の一部
(ベリーカード)です。
 今から70年ほど前のことを想い出させてくれました。

    ベリーカード例
    
 (上から、ラジオ九州、NHK札幌、   (上から、ラジオ山陽(岡山)、北海道放送
  ラジオ神戸、北日本放送(富山))   大阪放送、ラジオ東京、大阪朝日放送)

 FMラジオもワイドFMが受信できる機種でないと、転換FMは受信できないのですね。

 しかし、最近では、ネットでもラジオが聞けますから、地球の反対側でも同じ
放送が聞けるのですね。

 

 

 

Glenn Miller Orchestra In the Mood Firenze

 

 

 


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Unknown (samgirly)
2024-02-24 01:41:26
私も家にラジオはないので、スマホでradikoというアプリからラジオの放送を聴いています。
ラジオのアンテナを伸ばして、家の中で一番よく聴こえる場所を探してウロウロ…なんて時代を忘れてしまいますね。
返信する
通信と放送 (bon)
2024-02-25 08:51:14
samgirlyさん、コメントありがとうございます。
通信は個別に情報伝達・交換、放送は同時多数へ情報伝達サービスを提供する
形態で発展してきましたが、その昔から通信と放送の融合‥という言葉で代表される
議論がそれぞれの事業者の間で持ち上がっていましたね。情報伝達の手段が、
通信は電線(ケーブル)で個別に、放送は電波で同時多数に‥という形態でした。
それがインターネットになって、情報の伝達手段(媒体)が有線であるか
無線(電波)であるか関係なく個別に情報を伝達できる方式となったことから、
今ではスマホでラジオやテレビも可能となっているのですね。
通信と放送の融合といえるかわかりませんが、伝達の手段による形態の差は
なくなりました。放送番組で、視聴者が個々に応答できるなどは融合かもしれませんね。
長々と失礼しました。
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