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蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

天体ショー  (bon)

2022-11-10 | 日々雑感、散策、旅行

 一昨日(11/8)の夜は、皆既月食でした。
  月食中に惑星(天王星)の食も同時に起こるという442年振りに起こる珍しい現象
で、前ぶりが行き届いていたこともあり、観測時刻も18時~21時と絶好のタイミング
で、全国的に晴れて日本中で多くの人々がカメラを向けたり、肉眼で観測されたよ
うでした。

       私の写真(デジカメ、手持ち、べランダで19時少し前)
         
        (食の輪郭は地球の大気でぼやけています。)

 特別企画で、成田発着のANAの「皆既月食アートフライト」(約200席)が、約3
時間の観測フライトで楽しまれた人もいたようです。  機内では、何とジャズの
生演奏もあり、機内食を楽しみながら上空からのゴージャスな観測だったことでし
ょう。

       皆既月食中に惑星食が始まるところ(左下部に小さな天王星)
         (東奥日報社より)

 442年ぶりということは、1580年7月26日のことだったようで、この時は、皆既月食
中の惑星食は土星であったそうですが、安土桃山時代の織田信長も見たでしょうか。
この当時、日本にはまだ望遠鏡というものはなく、晴れていれば皆既月食で、満月
が次第に欠けて行く「不吉な現象」みたいな感覚があったかもしれません。 現在
よりは、空は暗かったでしょうから、もしか気が付いていれば、土星食も同時に見
たかもしれません。

 しかし、日本での天文学は、江戸時代の渋川春海(安井算哲)らが懸命に月食や
日蝕の日を割り出していた記録がありますから可能だったかもしれませんが、ダブル
食があったのは、纂哲よりずっと昔(安土桃山時代)ですから、時代が違います。
 韓国では、朝鮮時代第4代世宗王(1400年代)に独自の天文観測法を実践してい
ましたから、この現象を観測していたかもしれません。中国なども。


 西洋ではどうだったのでしょうか? あのコペルニクスが地球中心から太陽中心
への転換を唱えたのが1547年で、それからずいぶん時間がかかって、ガリレオにより
ようやく地動説が台頭したのが1610年ですから、皆既月食中に土星食が同時に起こっ
ていたことは恐らく知られていなかったかもしれないですね。

        観測のおさらい
         (毎日新聞ネットより)

 このように見てきますと、一昨日のダブル食を観測できたということは、ある意味
凄いチャンスであったといえますし、科学の進歩ゆえの夢の観測であったのですね。
そして、コロナが再び感染拡大基調にあり、円安、物価高 さらには、北、大陸の
脅威を身近にしながらのひょっとしたらつかの間の平和の中のページェントなのか
もしれないですね。
 戦争真っただ中のウクライナ、ロシアはじめ、ヨーロッパ諸国は今回は月食は終
わっていて見ることはできなかったのでした。

 べランダでいくら頑張っても、所詮はデジカメで明るい空の中ですから、youtube
のお世話になって、ダブルの食の詳細を確認させていただきました。

 

 

 

【ダイジェスト】皆既月食2022〜442年ぶりの皆既月食+天王星食(惑星食)〜/total lunar eclipse japan


見たい時刻にタイムバーをスライドしてみてください。
次は322年後、皆既月食と天王星食ライブ、東京・六本木ヒルズ・スカイデッキから Lunar Eclipse 2022 11月8日

 

 

 

 


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