蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

不思議な日本語(7)  (bon)

2020-11-29 | 日々雑感、散策、旅行

          ここにきて、新型コロナの感染が急拡大して、何やら大きな塊が迫って
           来ているような不気味さが感じられます。何よりも医療崩壊にならない
      ことを祈るばかりです。
            今日の午後は、ジャパンカップ、女子ゴルフ、フィギュアスケートと
      楽しみが重なっています。

 

 先月もこのテーマで締めくくりましたが、偶然今月もこのテーマとなりました。
もう7回目を数え、普段何気なく使っている言葉も、このように立ち止まってみ
るとそこに何がしかの意味や歴史・・といっては大袈裟ですがそんなような背景
が感じられます。

 

・むべなるかな とは何がなるのでしょうか?  ちょっと古めかしいイメー
ジがありますが、 日本語不思議辞典に『それはもっともだな、いかにもその通
りだな』と言いたいときに使うとあります。 そして『もともとは「本当にそう
だ、もっともだ」を意味する「うべ」(宜べ)という古語に、断定の「なり」、
「~だなあ」という意味の「かな」の二つがくっついてできた言葉』だそうです。
「うべ」+「なり」+「かな」→「うべなるかな」→「むべなるかな」と変化して
きたというのです。

 野球のうまい人がいて、『あの人は若い時甲子園に出た人だそうですよ。』
『むべなるかな』。
 もう一つ。小倉百人一首から『吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ 
山風を 嵐というらむ』(文屋康秀)が思い出されてきました。

        (ネット画像より)

 

・メリハリをつける  のメリハリというのはどこから来た言葉でしょうか?
 普通カタカナで書いたりしますが、外来語ではなく、れっきとした伝統的な日
本語なんですね。
 「メリハリを利かせる」、「メリハリのある~」などの「メリハリ」は、「張
るところと緩めるところの区別をきちんとしている」というような意味ですが、
もともとは邦楽用語である「メリカリ」が転じた言葉だそうです。
 邦楽(尺八など)で、微調整して音を低めることを「減り(メリ)」、高める
ことを「上り、甲(カリ)」と呼んでいますが、これが一般的には、カリが張り
(ハリ)に変化して「減り張り」として「音声を緩るめることと張り上げること」
を意味するようになったそうです。
 このことから、音の高低以外にも「メリハリの利いた話し方」「仕事にメリハ
リをつける」など、比喩的に用いられるようになったとありました。
 減り込む や 張り上げる などにも近いですね。

        (ネット画像より)

・油を売る  仕事中に無駄話をして怠けたりすることを「油を売る」と言い
ますが、なぜ“油”なのでしょうか? 日本語不思議辞典に『江戸時代に油を
売っていた行商人の行動があげられます。江戸時代には照明器具の行灯(あんど
ん)や女性の髪を整える用途から、油は重宝されました。
 しかし、当時の油は粘度が高く、柄杓(ひしゃく)から客の持ってきた瓶など
の入れ物に漏斗から注ぐときになかなか途切れなかったのだそうです。 この時
間、ただ黙ってるのもおかしいので、油売りはお客さんと世間話をして油がきれ
るまでの暇な時間をつぶしていました。仕事中に世間話をしているこの様子が
まるで怠けているように見えたことから、仕事を怠けることを油を売るという
ようになったようです。』とあります。
 油売りは別に、さぼって(怠けて)いたわけではなく、ちゃんと仕事をしてい
たのですが、いつの間にか、怠けている という意味になってしまったのですね。

         (ネット画像より)

・濡れ衣  これは『無実の罪』という意味ですが、なぜ濡れた衣なんでしょう
か? いろんな説があるといい、いづれもあまりはっきりとしませんが、ネット
「武士語を遊ぶ」から引用してみました。
 『継母が先妻の娘の美しさを妬み、漁師の濡れた衣服を娘の寝所においたため、
不貞をはたらいていると誤解した父が、娘を手討ちにしてしまった』ことから、
無実の罪、身に覚えのない罪の意となったとあります。
 また、奈良時代の神事裁判で、『有罪、無罪を濡れた衣服の乾き方で決めた』
などがあり、罪のない人の衣が乾きが遅かったために罪になったという、ちょっ
と信じがたい話ですね。

 また、古語「濡れ」は、恋愛とか情事を意味したとあり、「濡れ事」は、色
事で、
ドラマなどの「濡れ場」というのは、ここから来ているといい、「濡れ掛
け」は、色仕掛けのことで根も葉もないうわさや浮き名を「濡れ衣」というよう
になったことも関連しているかもしれないと。 ちょっと難しいですね。

・どっちみち  いずれにしても、どちらにしても結局は同じ結果になることを
意味しますね。 文字通りからすれば、どっち=「どち」の促音添加で、不定称
の指示代名詞です。どちら よりもやや砕けた感じの語とあります。
 どち=何方で、どの道を行くのか・・どの道を行っても結果は同じだ・・とい
う意味に使われます。「どっちみち」は関西方面が中心で、関東では「どのみち」
が多いということだそうですが、今日的にはあまり差はないのではないかと思い
ます。

 どちらにせよ というのは標準語で、いずれにしてもその結果は同じ‥の意と
なりますが、どっちみち=どの道 というのは、witch way ? としか言っていな
い、つまりどの道を行けばよいか? といっているにすぎないのに、どうして、
どちらの道を選択しても結果は同じ‥という意味に使われるのか?
 このあたりちょっと不思議ですね。   
       

 

 

Autumn Nocturne

 

 

 

コメント
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