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蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

不思議な日本語(5) (bon)

2020-08-25 | 日々雑感、散策、旅行

 普段何気なく使っている言葉を、ことさらに取り上げて“それってどういう意味?”など
と改めて見ていると、なんだかわけがわからなくなってきたりします。
 今回は、もうその5回目になります。 なんだ! つまらないと思う面もありますが、言葉
の成り立ちというのは不思議で、面白いですね。 まぁ、巣ごもりも手伝って時間はたっぷ
りありますので・・。

 

 サバを読む もともとは「数え間違い」を意味する言葉だったようですが、「数をごまか
す」という意味で使われています。ものの数や年齢、体重などをごまかすときに使われます
ね。サバというのは魚の鯖で、江戸時代の頃、サバはたくさん獲れますが、腐りやすいため、
水揚げしたサバを出荷する時、大急ぎで数えていたために実際の数と合わないことが多かっ
たそうです。このことからいい加減に数える、数え間違える ことをサバを読むといい、それ
から意識的に数をごまかす意となったそうです。

          (ネット画像より)


 実際の数値より大きく言う事を、鯖を読むといい、実際の数値より小さく言う事を、逆鯖
(ぎゃくさば、逆サバ)というとあります。 実際より多めにいうとき、下駄をはかせると
いうのもありますね。

 年齢や体重など少ない方が良いと考えるようなものについては逆に小さく言う事が鯖読み、
大きく言う事が逆鯖となります。 

 また、ここで「読む」の意味は「数を数える」であり、「票を読む」や「秒読み」などが
あります。
           (ネット画像より

たらいまわし  昨日(8/24)のニュースに『埼玉県内で新型コロナウイルスへの感染が
疑われる患者が救急搬送される際、医療機関から4回以上受け入れを断られる「たらい回
し」と呼ばれるケースが、患者専用の空き病床に関する情報を消防と共有する新たなシステ
ムが導入された結果大幅に減少したことが分かりました。』とありました。

 この「たらいまわし」は、もともと、明治、大正時代に流行った曲芸の1つで、あおむけに
寝て、足でたらいを回す曲芸であったのだそうです。

 そのことになぞらえて、 人や物、また権利・地位などを、ある限られた範囲内で、順送り
にすること。「病院を転々とたらい回しにされる」「権力の座をたらい回しする」の意味で
使われるようになったそうです。

 医療における「たらい回し」はマスメディアの報道媒体から派生した用語であり、その多
くは、病院の「受け入れ不能」「受け入れ困難」の言い換えという形で用いられているとあ
りました。

 また、「たらい」というのは、「てあら(手洗)い」の音変化で、洗面器より大きく洗濯
や行水などに用いる平たい桶のことですね。

 うんともすんとも  「うん」というのは相手の言ったことに同意・承諾するときなどに
発する声で、親しい間柄で使い、「はい」「ええ」よりも丁寧さが低い とあります。

「うん」というのは鼻息の音や唸り声を表す擬音語として用いられ、「すん」は「うん」に
語呂を合わせたもので、同じく鼻から出す音と考えられるとあります。 他に「うんともす
っとも」という表現もあります。 つまり、「うんともすんとも言わない」は、同意・承諾
を示さないどころか息さえ発しないということになり、一言も言わない意味となったのですね。
            (ネット画像より)

 得体のしれない 素性がよく分からない、正体不明で怪しい、胡散臭いという意味ですね。
「得体」とは何なのでしょうか? 語源由来辞典などによれば、「得体」には大きく2つの
語源が考えられるそうです。
『 1つは、平安時代のお坊さんが着ていた服を「衣体(えたい)」と言っていたところに由
来するというもので、この服で宗派などが分かったことから、知らない着物を着ている人を
「衣体」が知れないと表現しており、それが転じて「何者か分からない」という意味になっ
たとする説です。

 もう1つは、「体たらく」の漢字表記「為体」を音読みした「いたい」が変化した説です。
こちらの説は、今では悪い意味で使う「体たらく」が、昔は「ありさま」という意味を持っ
たことに注目しているようです。「為体(ありさま)が知れない」から転じて「どんな人か
分からない」という意味になった流れです。』 なるほど・・。

 得体を辞書(ネット)で調べますと、正体。本性。「得体の知れない生き物」とあり、
「得体」はものごとのほんとうの姿、本質という意味とありました。 また、同じようなこ
とを表す次のような言葉がありました。

 瓢箪鯰(ひょうたんなまず)、腹の底が知れない、腹が読めない、つかみどころのない、
不可解(ふかかい)、不可思議(ふかしぎ)、面妖(めんよう、めいよう)、伺い(うかが
い)知れない、海のものとも山のものともつかぬ・・。

             (ネット画像より)

 みすみす 目の前にそれを見ながら、他になすすべもなくやり過ごしてしまうことを言い
ますね。『みすみす損を覚悟で~』  goo国語辞典に、「見す」を重ねた言葉で、「見す」
は、見るの尊敬語。ご覧になる。とあり、その意味に、
 見ていながら、また事情がわかっていながら、それにふさわしい対応をしないさま。ま
た、条件に恵まれながら、何もできずに終わってしまうさま。むざむざと。「宝の山に入り
ながら見す見す手ぶらで帰るとは」
 (多く「目に見す見す」の形で)目の前に見ながら。見ているうちに。見る見る。「白妙
の衣に似たる梅の花目に―も衰ふるかな」〈宇津保・春日詣〉』 とありました。

 しかし、なぜ、見るの尊敬語が2つ重なって、このような意味になるのでしょうか? ひょ
っとして“高貴な方が繰り返し繰り返し見ているのに” 何もされない・・というような感
じなのでしょうか。

 ここで、「むざむざ」が出てきましたが、これを辞書で調べますと、『価値あるものが無
造作に失われるさま。やすやすと』の意があり、ほどこす策もなく、みすみす。
惜しげもな
く。あっさり。 と廻ってきました。

          

 ついでに、「鯖街道」について、ウイキペディアから部分を引用してみました。 その昔、
『若狭湾で取れたサバは行商人に担がれて徒歩で京都に運ばれた。冷凍技術のなかった当時
は、日本海で捕れた生サバを塩でしめて陸送する方法が取られ、京都まで輸送するのに丸1日
を要したが、京都に着く頃にはちょうど良い塩加減になり、京都の庶民を中心に重宝された
といわれている。夏期は運び手が多く、冬期は寒冷な峠を越えることから運び手は少なかっ
たといわれる。運び人の中には冬の峠越えのさなかに命を落とす者もいた。しかし、冬に針
畑峠を越えて運ばれた鯖は寒さと塩で身をひきしめられて、特に美味であったとされている。』

 

むかし、毎夜聞いていたラジオ講座のテーマソングでした。
シンシアのワルツ 昔の記憶.HD

 

 

 

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