蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

AI  (bon)

2017-08-21 | 日々雑感、散策、旅行

        甲子園は、連日熱戦が繰り広げられています。今年は
         ホームランの数がすでに64本で、大会記録(60本)を
         更新しています。明日、準決勝ですね。


 昨年、コンピュータと囲碁プロ棋士との対決があり、コンピュータが勝ちました。また、
お掃除ロボットは、家庭に入りつつあり、自動運転自動車の開発が各メーカで進められて
います。 これらは、人工知能すなわちArtificial Intelligence =AI のなせる技なん
ですね。

 囲碁と将棋の分野では人間の知能をすでに凌駕しているといわれ、“人間の頭脳労働の
いくつかは人工知能に奪われる”と心配する声や“その知的成長を脅威に感じる”などの
声が出始めているという。 いったいどうなのでしょうか?

 ウイキペディアによれば、『人工知能とは、人工的にコンピュータ上などで人間と同様
の知能を実現させようという試み、或いはそのための一連の基礎技術を指す。』とあります。
 AIという言葉は、1956年にダートマス会議でジョン・マッカーシーにより提案され、
同会議で承認されたそうですから、もう61年が過ぎ、昨年が「人工知能60周年」にあたる
のでした。

          (ウイキペディアより)


 人工知能研究の第一人者である 松原仁氏(前:人工知能学会会長、現:公立はこだて
未来大学副理事長)は、講演記録の中で 人工知能の歴史を3つのブームに分けて述べて
います。

  第1のブームは、1950年代のコンピュータの黎明期でもあり夢多く、コンピュータを単に
計算だけでなく、計算以外の用途に使用しようとの機運の高まりから、
イギリスのチュー
リング、アメリカのシャノン両博士によるチェスプログラムが提案されるなどして、AIが
花開くのでしたが大きな進展にはつながらなかったのでした。

 第2のブームがやってきました。1970年代に入り、「エキスパートシステム」として登場
します。コンピュータに、専門家の知識を蓄積し、それに基づいて推論や問題解決を行う
まさに人工知能なんです。代表例として医療診断をする「マイシン」が挙げられ,医師が
感染症患者のデータを入力すると、診断と治療法が出力されるというものです。 医療分野
以外にも、法律・金融・製造業など広い分野にわたり 開発が盛んに行われ、1980年代は
AIバブルと言われたそうです。

 日本では、通産省の「第五世代コンピュータ」なる国家プロジェクトを1982年に立ち上げ、
1986年には人工知能学会が設立されたり大きなブームでした。

 しかし、医療診断システムは、多くの医師が診断する時に無意識のうちに依拠している
常識を拾い上げることが出来ていないため、時に誤診があったり 多くの改良点が指摘され
ました。1990年代にバブルがはじけると、AIバブルも弾けこのブームも消沈してしまうので
す。

 3度目のブームが、2010年代にやって来ました。ディープラーニング(深層学習)手法の
登場です。ディープラーニングとは「膨大なデータを機械がより深いレベルで学習するうち、
複雑な処理を高い精度で行えるようになり、最適解を導く手法を自動的に構築すること」で
すが、(当ブログ、2016.3.15記事掲載)コンピュータの性能の向上と共にこのような事が
可能となって来たともいえるのですね。

 ディープラーニングは、音声認識、画像認識などの分野でも優れた成果を上げていますが、
昨年(2016年3月)に囲碁の世界チャンピオンに勝利した「アルファ碁」では、3000万局もの
データを元に勝負したのでした。 今や、人工知能とビッグデータとIOTがセットでブームと
なっているのです。

 グーグルやフェイスブックなどはいち早く、2012年ごろには人工知能の研究を本格化させ
たとあります。2015年には経産省下の総研が、2017年には文科省下の理研がAI研究センター
を設立しています。

        AIのブーム
   (
sejukunetより)

 

 長い道のりを経て、3つのブームを乗り越えて、今や囲碁・将棋の分野では人間の知能を
凌駕したわけですが、この後、どんどんと進化して、コンピュータ性能も高度化して行った
場合、果たして人間を超えるか?という問題に突き当たります。確かに、囲碁の場合では、
人間は「定石」に従って対局するため、人間の棋譜から学んだコンピュータは、定石に添っ
た手を指していたそうですが、コンピュータ同士の棋譜から学習するようになると、人間に
は理解できない新手を指すようになるという。また、昨年、人間とコンピュータが共同で
制作した小説が一次審査をパスしたとのニュースもあるなど、「創造性」についても、
皆無ではなくなってきているようです。

 人工知能が雇用に与える影響が検討されています。2013年に、オックスフォード大が
2033年にどの仕事が人工知能やロボットによって代替えされるかとのレポートを発表したと
ありますが、日本では、野村総研が加わってこの調査をしたところ、人工知能に代替えされ
にくい仕事として、アートディレクター、ゲームクリエイター、コピーライター、精神科医、
幼稚園・小学校教員、クラシック演奏家、工業デザイナーなどが挙げられました。逆に代替
えされやすい仕事は、事務員、駅務員、会計監査係員、銀行窓口係など今の日本の労働人口
の49%に相当すると試算されています。

 

 アメリカのレイ・カーツワイル(人工知能研究者・発明家)という人が次のようなことを
言っています。『コンピュータの能力は指数関数的に向上し、2045年頃、人間の総合的な
能力を上回る。その後は追いつけなくなる。』 SF映画などで、人間とコンピュータの戦い
のような場面が描かれていますが、本当にそのようになるのでしょうか?

 松原氏の記事でも、人工知能が自発的に人間を滅ぼすような事態は考えにくいとあり、
その理由は、人間と人工知能が奪い合う共通の資源は無いからだといっています。さらに、
人間がコンピュータより得意な分野は、①想定外の状況における判断(例外処理)、②新し
い枠組みを思いつくこと。③新しい価値を創造すること、④枠組みを動的に変化させること、
⑤細かい手作業、⑥精神的なサポート これらは人間が得意でしょう。つまり、不定型な
作業を人間が担当し、定型的な仕事は人工知能に任せるなど役割分担すればよいと言って
います。

 そもそも、知能とは何か? 人間の知能には様々な面があり、正確に定義することは出来
ない。とも。

        

 また、中村桂子氏(JT生命誌研究館館長)の随想に、『AIは、囲碁や将棋に勝利すると
いう分かり易い成果を上げていますが、これらには複雑とはいえルールがあります。しかし、
自然界や社会で起きていることは、ルールがよくわからないゲームです。それを考え、判断
していくのが人間の役割であり、これはAIとは異なる能力です。』 さらに、『私は、
機械論的世界観では自然は見えず、生命論的世界観が合っていると考えています。 人間は
生き物であり、自然の一部ですから。』とも言っています。

 

 ウイキぺディアにも、「何が実現されれば人工知能が作られたといえるのか」などの哲学
的な部分にも言及され、さらに、人間の意識が、人間以外(コンピュータ)に持たせる意識
と果たしてコミュニケーション可能な意識なのか? と疑問を呈しています。

 以上、長々と述べてきましたが、じっくりと考えてみると、コンピュータの性能が∞で
あると仮定すれば、あらゆることがコンピュータで疑似出来、その出力が能力として発揮さ
れると思われます。しかし、これらのコンピュータ群が、社会を構成して、運営して行ける
か? となると、とたんに何が要素となるのか分からなくなりますし、第一コンピュータ
世界における進歩発展とはいかなることを言うのか? また、それらの発展の原動力は何に
基づくのかも明確ではありません。

 つまり、カーツワイル氏の言うような状況にはなり得ないと思うのです。



 

 

 

 

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