蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

ヒロシマ  (bon)

2017-08-07 | 日々雑感、散策、旅行

        今日は、早や立秋です。  第99回 夏の高校野球は、台風5号のため
            順延となりました。 今の優勝旗は、古くなったため、来年第100回を
        記念して新しい優勝旗が京都西陣で製作されていました。

 

 昨8月6日、広島では、72回目の原爆忌を迎え、平和記念公園では「平和記念式典」が
挙行されました。 唯一の被爆国として、毎年、多くの外国代表者を式典会場に招いて、
戦争の根絶、核廃絶を訴え続けていますが、今なおこの瞬間も、各地で戦争が行われ、
ミサイルの実験を推進されているのです。 式典で、小学生が大きな声ではっきりと
述べ
た「平和への誓い」のことばが、これらの国にも届いてほしいと念じて止みません。

 この1年間に新たな死没者5530人が追加され、これまでの総数308,725人に上り、長崎
の死者・行方不明を合わせると40万人を越し、さらに今後もその数が追加されていくの
すから、忘れることは出来ません。
 読売新聞(8/6)に、当時14歳で被爆された橋爪文
さん(詩人、86歳)の思いが込め
られた手記や記録、被爆後の状況などが記載されていま
した。これらの生々しい事実や、
思いを通じて、改めてその悲惨さ、重大さが思い知らさ
れるのでした。

          平和記念式典  
          (ネットより)

 

 この7月に国連で採択されたばかりの「核兵器禁止条約」に、核傘下にある日本は、
保有国と共に、採択をボイコットしたばかりか、今日の首相あいさつの中でもこれに
触れ
られませんでした。 日本の立場は、核保有国と非保有国の間の橋渡しを推進する
こととさ
れていますが、微妙な立場で難しいですね。

 

 これまで何度か広島を訪れたことがありますが、高校1年の夏(1955年)友人と二人で、
中学3年の 恩師(広島市出身で、すぐに広島の高校に戻られた。)を、広島の下宿に
びに行ったことがありました。 下宿は、街の中心街から少し離れたところにあり
ました
が、先生は、平和記念公園、原爆記念館、原爆ドームなどを案内して下さいました。
 宮島
や、比治山などの観光地にも連れて行っていただきました。冗談などあまり言わな
い生真
面目で学術肌の先生でしたが、下宿の同僚と お酒を毎晩飲んでいたようです。

        平和記念公園にて (1955年夏 友人と)   
          


 この先生によって、私は、中学から普通高校を受験することになったのでした。
ラジオ
制作や電気・工作ごとが好きで、中学を出たらすぐに工業高校に行きたいと思って
いました
ら、先生に説得されて普通高校に通うことになり その後の私の人生は大きく変
わったので
した。 その恩師も、昨年他界されましたが、先生を広島に尋ねた時の思い出
が今また鮮
明に蘇ってきました。

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
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