こないだ読書会のときに、
本作は親子愛と男女の恋愛の2本が
主軸となった愛の物語だと言っている人がいた。
全く同感である。
その人は、前半パートと後半パートで、2つのドラマが展開されたという
主旨で話されていたと思うが、むしろ僕は、1本のドラマが変容していった
のではと考えている。
10年を超える長期連載であり、また著者の年齢を考えると、
当初は年の離れた男女の恋愛もの、または小児愛・妹愛のような
ところからスタートしたが、加齢にともなって、キャラクターを
娘のように捉えるようになったのではと思う。
トリエラとヒルシャーに焦点を当てると、序盤の方は、先生と生徒という
位置づけであったが、終盤では完全に父と娘の関係に変わっていた。
流行りという面から考えると、連載当初の2002年頃は、ちょうど妹萌え全盛期であり、
終了時(2012年)頃にはすっかり様変わりし、よつばとに代表されるような育児漫画が
盛んに発表されていた。オタクの高齢化と言われ始めたのも、その頃だったような。
すなわち、作者と読者それぞれが、1つのドラマを観るときの、視点が変化していった
という仮説。例えば、ジブリ映画は、数年おきに繰り返し放映されているが、
全く同じ作品であるのに、放映される都度印象が変わる。
これはまさに受け手側の変化。
『ヘンリエッタはジョゼの妹そのものだし、リコはジャンの仕事の道具、
それじゃあ私には何を演じて欲しいのだろう』(トリエラ)
今このセリフを振り返ると、著者の自問自答のようにも、読者への問いかけだった
ようにも感じられる。
バーナード嬢3巻読了。
僕の中では、志村貴子の「青い花」と並ぶ百合漫画の最高峰に
君臨する本作だが、回を追うごとにその度合いが増している。
町田さわ子と神林、行くところまで行きそう。
というか、作中ではっきりと描かれてないが、
行間でもうアレな関係になっているのではないか。
思春期特有の同性の友達との擬似恋愛みたいな
風に展開するのは悪くないが、しかし本作は、
あくまで読書漫画な訳で、ガチのレズビアンものに
なられても読者としては困ってしまう。
個人的には、プールサイドで足をバタつかせながら
2人で楽しく読書・・というシーンぐらいの空気感を
保っていて欲しい。
それにしても、施川ユウキは色んな引き出しを持っているな。
漫画家としては長らく日陰を歩んできた作者だが、
もしも最初から作家としてデビューしていたら
違った作風になったのだろうか、などと思う。
仮にそうだったら、サナギさんもテグーも読めなかった訳だから
まったく人生とは不思議なものだ。
あと、表紙裏のカバーで作者も言ってるけど、
町田さわ子、今や完全に一端の読書家やな。
読書という習慣を通じて一段と広い世界を得る
子供の成長物語として本作を捉えると、
とても温かい気持ちになれる。
静嘉堂文庫美術館
目当ての天目茶碗見られず。年中展示品を入れ替えており常設の
品物は無いらしい。そんなヘンテコな美術館聞いたことない。
展示スペースがどうしても足りないのであれば、うちの目玉収蔵品はこれ、
という宣伝の仕方をするのはおかしい。常識で考えて、その施設の目玉と
いえるものがまさか常設してないなどと一体誰が考えるのか。
企画展の刀は見応えあったけど、それとこれとは話が別であり、
正直時間と交通費を返してほしい。
inSPYre新宿
新宿にあるゲーム施設。
スパイになりきってミッションクリアを目指す。いわゆる脱出ゲーム
の一種。機械の故障により2種類プレイしたが、まあ概要くらいは
掴めた。つくづく、脱出ゲームは向いていない。そこそこ楽しめた。
羽田空港にて搭乗を待つ。ペットボトルの内容物を一瞬で検査できる
装置が置いてあった。東京ガスエンジニアリング製だそうだ。
高い分析技術力が要求されるはずだ。詳細が気になる。
羽田を飛び立って50分ほどで、兵庫県加古川市の上空に達した。
往きは夜行バスでたっぷり一晩かかったのに、こうもあっさり
帰ってこれると、狐につままれたような気分になる。
ふれあい下水道館
小平市の半分程度の地域をカバーする下水管を見学した。
臭いは思っていたほどではない。風呂の排水溝の臭い程度のものが
湿度100%で充満してるような感じ。量は少なく、管の底をチョロチョロ
流れる程度。何千軒もの家庭排水にしては呆気ない。
下水管に達するまでに潜水艦用の防水扉を2枚もくぐった。
地下5階までだいぶ深さがあるにも関わらず、地上のエントランスの扉に
臭いが漏れるから絶対に開放しておかないで、とか書かれてて、
周辺住民によほど煙たがられてるのかなと感じた。
赤坂迎賓館
下水施設からの落差が激しい。文句なく雄大で豪奢な造りであり、
堂々たる印象だが、やはり日本において本気で絢爛な西洋建築を
造ろうとすると、どうしても成金趣味的なイメージのものになりがち。
欧米における和風建築が、どこまでいっても違和感を拭いきれない
のと同じ。周囲に溶け込まず浮いてしまう。
東洋文庫ミュージアム
かつて国会図書館東洋文庫支部という別名を持っていたほど、素晴らしい
コレクション。展示されているスペースは博物館というには幾分小振りで
あるが、迫力は十分。紀元前の甲骨文字やら東方見聞録やら
ビゼーの風刺画やら。教科書に出てくる逸品の数々を生で拝めたので
興奮した。
米沢嘉博記念図書館
漫画の虫である個人の蔵書をもとにした施設という名目であるが、
1階の展示コーナーを見る限り、コレクションは漫画以外にもあり、
漫画を中心に古書全般を薄く広く手当たり次第に集めた人だと
いう印象を受けた。2階より上の図書館部分はは、漫画雑誌の
データベースといったところ。漫画ファン個人として訪れても、
パラパラ眺めて冷やかすだけになる。研究者向け。
しかしコミティアの過去回のカタログは興味深かった。
当時の世相、漫画業界の雰囲気が端々から感じられた。
kashmirの今までのどの作品よりも
マイルド。キャラデザも愛らしいし、
好感もてる。氏の暴走不思議な世界観も
損なわれておらず、たぶんこれは傑作。
しかし、120ページの本なのに、
WEBで無料で15ページ×7話も公開してしまって
大丈夫なのか。
ロリコンの気がある作家が、高齢化していったとき、
それが性愛の対象から、娘とか親戚の子供みたいな
ポジションにいつ変わるのか、どのように変容していくのか
興味がある。ななかさんを描く作者は、どんなポジションで
本作に向き合っているのか。
道満晴明の新作。
オムニバス形式らしい。
道満氏は至る所で漫画を描いているので
ちょくちょく見かけはする。しかし、どれも
面白くなくはないが、うーんあと一歩という
印象だった。
そんな中で、本作は初めて手放しに良いと感じた。
最近よく思うのは、連載を経験するうちに洗練され、
ついには名作を生み出すような、遅咲きタイプの漫画家も
いるのだなという事。
作家とは感性・才能のみの世界だと今まで思っていたが、
どうやらそれだけでもないらしい。一つ、漫画の奥深さを知った。
荒木飛呂彦とアシスタントによる
奇人を題材にした伝記作品。
荒木氏作画のパートでは、登場人物は全て
生身の人間であるはずなのに、なぜか完全にスタンド使い的
扱いで面白かった。同じような事をアシスタント氏がやっても
全く魅力は伝わってこず、やはり荒木氏は、あの特有の見せ方こそが
持ち味なんだと再確認した。
この人、短編こそが真骨頂という感じがするので、
いい加減ジョジョばかり描いてないで隔月で一本くらいで
良いので読みきり物をやってほしい。
ÖYSTERの作品は数多いが、本作は
氏の作風の良い所だけを最大限引き出した
格好になっており、至高の出来。
今風の、飄々とした人付き合いの中に見える暖かみや
天然過ぎてワンテンポ遅れるツッコミなど。
単行本出たら買おうかな。
NHKの業界ぶっちゃけトーク番組。
国会議員の政策秘書の話が面白かった。
脚色は往々にしてあるはずやけど、
激務の割に薄給なのは確からしい。
ブラック企業に勤める人についても同じかと
思うが、普通の人が音を上げてしまうほどの
継続した高ストレス環境を乗り切れてしまう人の
心身が、いったいどのようになっているのか興味ある。
そういった適性をもった人、ある種の天才と呼べるのでは。
「選挙は、公示前にほぼ実質的な勝敗が決まっている」
らしい。開票率0%で当確が出るゆえんである。
草の根の活動の積み重ねで当落が決まる。
人間(有権者)は感情の生き物という一面を深く思い知らされた。
今回、本作を紙で購入してみて思ったことは、
高浜寛の絵の麗しさである。
プロの漫画家として特別画力が高いわけではないと
思うが、一コマ一コマ、人物の構図と作画に
魂がこめられている。漫画作品ではなく
画集のようだ。人物の立ち姿を縦にコマぶち抜きで
描くのはやや少女漫画風。迫力が出る。
それから、単行本のサイズがA5版なのも
特筆すべき点だ。本作の売りである
作者の筆遣いが大画面で眼前に迫ってくる。
大判としたことで、一冊1100円近くと
正直、通常漫画を売る値段ではなくなって
しまっているが、しかしそれだけの
金銭を払うに値する出来に仕上がっている。
本作、高価であるのは、紙だからこそという気がする。
電子版ではこれらの魅力は半減してしまう。
生き生きとした人間、とりわけ女性陣の
描写には目を見張るものがある。
明治初期の人々の着物の匂いまで
紙面を通じて伝わってくるかのようだ。
艶のあるヒロイン達のあふれ出る魅力、
人物の背後から滲み出る、それまでの人生。
それらが紙面に無言の説得力を持たせている。
良い買い物だった。
町田さわ子が可愛い。
図書室に勝手に集まってきた人が雑談するという体であるが、
事実上、さわ子の天真爛漫なキャラクターに引き寄せられた人々による
彼女を中心としたサークルの話である。高校の文化系クラブの、あの
独特のまったりした空気感を思い出した。
当初は、小説作品を面白おかしくイジる事に主眼が置かれていたが、
2巻になり話数を重ねるにつれて、段々とキャラクター間の心理的な
やりとりに重きが置かれるようになってきた。施川ユウキのエッセイ的な
作品から、バーナード嬢ら高校生達の物語に変容していったとも言える。
アニメ版は、ほぼ町田さわ子と神林のどつき漫才で、百合アニメという
雰囲気すら漂っているが、コミック版は遠藤君や長谷川さんのウエイトも
大きいし、サークルものという印象が強かった。
施川ユウキ作品を読むといつも思うのは、漫画においてより重要な要素とは
絵かストーリーのどちらであるかという事。作者はお世辞にも絵が上手いとは
言えず、おそらく商業漫画家の中ではダントツ最下位の画力だろう。
しかし、作品としての魅力はまったく褪せることはなく、むしろ絵の下手さは
施川漫画の味として受け入れられている節すらある。
ストーリーが下手な漫画は、僕が知る限り、大ヒットを飛ばした例はないと思うが
逆のケースは幾らでもある。
同人の世界では、神絵師という言葉が示すように、優れた同人誌とは絵が上手い
事だという風潮があって、僕が思う漫画についての認識とのギャップに驚かされる。
キャラクター・設定・会話・心理描写など、物語としての魅力なしに優れた漫画など
成立しない。むしろ、絵の方がストーリーの添え物という気さえする。背景が描かれ
ない漫画が別に酷評されない事からも、それは明らかである。もちろん絵が作品と
してのクオリティに寄与する度合いは無視できないし、上手いに越した事はないが。
空挺ドラゴンズ
ドラゴンを狩りを生業とする飛行艇乗り達が、
世界中を飛び回る話。
ファンタジーだが、生活感があり、
竜を狩るという行為も、まるで捕鯨漁のように
リアリティを持って描かれている。
雰囲気は、幸村誠に近い。
居住性の高い飛行艇という舞台装置も
なかなか良い。ラピュタを少し彷彿とさせる。
佳作だと思う。
「いい子にしないと、デスノートに名前書くぞ!」と、教師が児童に言った件
刑事責任の有無を議論する流れ、結構好き。
脅迫罪が成立するか否か。
普通に考えると、デスノートで人が死ぬというのは明らかなフィクションなので
「被害者の身体に害を加える告知」には当たらないといえる。
しかしそれは一般人基準であり、今回は被害者が幼い児童であるため
「デスノートに書かれたら死んじゃうかもしれない」と恐怖を感じたならば
その点はクリアするかもしれない。
結論としては、告知の成立以前に、いくらデスノートを駆使したとしても、
加害者は被害者に危害を加える能力がない(不能犯)ため犯罪は成立しない
と解釈できるらしい。
こういった行為が「脅迫」という罪の構成要件を満たすのか、とか、非難されるべき
というボーダーラインは、一般的な大人が基準なのか、それとも事案特有の要素
(児童であること)を加味するのか、など、刑事法の学習者が好みそうな論点を
多数含んでいて、本件は良質の教室事案だと思う。
かつてゼミの先生が、新入生でいっぱいの母校の大教室で
こんな感じの事例を使って、刑事法的見解を熱弁していたのを
思い出す。ああでもない、こうでもないと机上の事件を肴にして
議論に花を咲かす、そういう行為自体に価値があったのだと
今になって思う。
セブンイレブンに置いてるフリーペーパーの
漫画。
幼児向けの絵本だが、絵もストーリーもクオリティ高い。
フルカラーというのもポイント高い。
もう10年以上、隔月発行されているらしい。
絵本というのは、なまじ物語がシンプルな分、筆者の
人間や人生に対するポリシーが透けて見えやすい。
「村」に住んでいながら、貧しいにも関わらず、なぜその家だけ
「迷い犬が出没しないくらい周囲に人家がない林」の中に
位置しているのか、金の無心もできないくらい孤立した人間関係で
夫も無くどうやって息子一人養っているのか、考え出すとなかなかエグい。
絵本だから、都合の良いファンタジーなんだ、と割り切ることもできるが、
脚本サイドが、原哲夫とその編集者である事を考えると、おそらく
そう単純ではないはず。