携帯端末を使ってできることは、日増しに増えているけど
それって、以前から世の中にあるサービスをスマホに集約している
というだけであって、新しい付加価値を生んでいない気がする。
ここ数年、クリエイティブなもの、特に全く新しいジャンルの物事が
出てきにくい時代になったのではないかと危惧している。
例えば、新しい良質の音楽はさっぱり出てこない。
その点、漫画界隈は健闘していると思う。
作画のノウハウが広く浸透したためか、非商業のレベルまで
含めると、創作人口は着実に増えている。
返す返す思うのは、真に良質の漫画は、そこいらの三文小説を
上回る価値を持つということだ。もし、漫画に対する世の中の認知が
深まり、評価が向上する流れなのだとしたら、近い将来、
国語の教科書に漫画が掲載される事もあるかもしれない。
既に美術や英語の教科書では掲載されているようだし。
漫画は深い。
職場が蒸し暑すぎる。
電気代ケチって28度設定だか何だか知らんが
不快なほど暑くて業務効率下がったら
元も子もないやろ。
臨機応変に室温変えろや。アホか。
言ったよきいちゃん!アンバンナブル
2話は面白いなあ。漫画である事を最大限に利用したネタだ。
西村ツチカの外見で、中身はカマタミワみたいな。
もし、このクオリティで続けられたら大したもんだ。
今日は会議が4つも重なって死にそうになった。
会議なんてものは、原則30分、延長しても1時間を限度にすべき。
だらだら会議してる時間×参加人数分のコストがかかっているという
事実をもっと認識すべきや。
「海がきこえる」を再度じっくり観てみる。うん、これ間違いなく駄作や。
たぶんジブリ作品で一番つまらない。盛り上がりはなく、キャラクターに
魅力も感じず、何か作中でゴールが設定されているストーリーでもない。
話のメインは、他に何もしていないから、恋愛なのだろうが、
それくせ主要メンバーに感情移入できる要素がまるでない。なんだこりゃ。
離脱反対派はもちろん、賛成派すらも本音では離脱したくなかった
とか言ってて、そうやって国を賭けて漫才してるの、現実が
フィクションを上回った感じがして好き。
納得行かんから国分割しよ、とかロック過ぎてウケる。
日本人には絶対ない発想や。
鴨川の河川敷でパン食べようとしたら
急に5羽くらいとんびが飛来してきて
頭上をぐるぐる旋回し始めたから
あわてて撤収した。
前におにぎり奪われたこともあったし、
あいつら怖い。
しかし、上空から食べ物だけを、それも
大勢行き交う人間の中から見つける能力には
正直驚かされる。
視力がいいのか、嗅覚がよいのか。
湿度90%とか何なんや。
じっと寝てるだけで汗が滲み出てくる。
チョコレートをちょっと食べただけで
頭痛がひどい。薬飲まないと寝付けないほど。
チョコは好きなだけに、つい食べてしまって
毎回辛い思いをする。
職場の年配者がよく「じゃによって」って言うんやけど
言い回しが面白い。”じゃ”という音そのものは、何となく
邪や蛇を連想させるので、あまり良い印象は持っていない。
こぶだし氏の漫画、面白いかと思っていたけど
どうもたまたま最初に読んだ回が
すごく良かっただけのような気がしてきた。
むしろこの人は同人誌やtwitterの方が遥かに
クオリティ高い。商業誌の方がつまらないって
ある意味ロックなんかもしれん。
ここ数ヶ月、ずっとtwitter上の動画が表示されなくて
悲しかったのだが、ブラウザを更新したらあっさり直った。
勝手に最新バージョンをインストールし始めたり、
ある日突然最新バージョン以外を受け付けなくなったり
利用者を無視した動きが最近広がってきている感じがする。
有料でも無料でも、ソフトウェアなんて、使ってもらって
ナンボなんやから、全くナンセンスなものの考え方だ。
さて、こちらは岩明均の作品。
超能力を題材にした作品だが、
バトルものにはならず、主人公は
力を客観的に見つめ、一定の距離を取るスタンスである。
世の中を牛耳るような力に目覚めながら、
あくまで日常を守ることにこだわり、自分自身を見失わないように努める。
異色の作品である。
SFものでありながら、最終的には、人としての幸せとは何かといった
普遍的なテーマに立ち返る所は、まさにこの作者らしいと思う。
氏の作品は一見するとどれも、残酷で殺伐とした世界のようだが、
それはむしろ、生き物に対する深い慈しみの視線を際立たせるための
演出のように感じられる。
地味な良作だった。
中世フィレンツェを舞台にした
画家の女弟子の話。
話の運びは、手垢にまみれた
よくある話、ふた昔前の少女漫画
みたいな感じなのだが、何となく
読み進めてしまうのは、僕がこういう
お仕事奮闘記のようなストーリーに
弱いからか。
何となく、SHIROBAKOを思い起こさせる。
でもやっぱり、主人公の行動は古典的過ぎるし
周りのキャラクターの魅力も乏しい。
どっかで見たことあるような展開の連続で
漫画描きとしては未熟そのものといった感じだ。
描きたい世界そのものには魅力があると思うので
あとはどう表現できるかだ。
上司との苦痛な飲み会が終わった。
「俺のことなんか気にしなくていいから
慰安のつもりで」って言いながら、終始威圧してくる。
確かに概ねおっしゃる事はもっともやけど、
無理矢理権力に物を言わせてプライベートを根掘り歯掘り
聞いてまわるのは、今の時代パワハラと言われても仕方ない。
次回休もうかな。なんだかんだ言って欠席してる人毎回居るし。
古典的なハリウッド映画だなあと思った。
主人公が神のごとく強くて、単身悪の組織に立ち向かい
世界のピンチを救う。
テロリスト達の、襲撃の手順、その手際の良さは
映像として一見の価値がある。
エンターテイメント映画としては十分合格点。面白かった。
それにしても、韓国のSPの中にテロリストが潜り込んでたと
いう設定は幾らなんでも無理があるやろと。
どさくさに紛れて核ミサイルのコード喋っちゃう米大統領も
動機がよく分からんかったし。
それから、一番気になったのは、大統領がテロリストの人質に
取られたときのアメリカ政府の対応である。
「大統領の命は最優先だから、それを守るためには戦争を起こしても
仕方ない」というスタンスで進行するのだが、それは正解なのか?
テロリストから解放されるまでの間は、指揮権は大統領代理に
移っているはずで、その間は大統領は厳密にはただの人であり
国を挙げて最優先に守られるべき人ではないはずだ。
核ミサイルをコントロールする権限も大統領代理に移され、ただちに
上書きされる工夫があると思うし、コントロールできる場所は
ホワイトハウスの建物以外にも当然設置されているはず。
もしそうでなければ、大統領がワシントンを離れていたり、
大統領が交代する度に、核の抑止力の空白期間が生まれることになり
そんな安全保障体制が容認されるはずがないと思うからだ。
細かいことは気にしちゃダメな映画ではあるけど、これは物語の根幹
なので、やっぱり気になってしまった。
昔父親から貰った家の系譜を眺めていた。
記録が残っている最も古い祖先は
清兵衛という人で、1792年に没したとある。
そこから数えて6代目にあたる人の妻は
1925年の北但馬地震に遭って死んだとの事。
僕の高祖母(ひいひいおばあさん)にあたる。
そのほか、これといって珍しい記述はない。
根拠地をグーグルマップで眺めると、山と山に挟まれた
細長い谷状のわずかな土地である。身を寄せ合うように
暮らしたであろう祖先達を想像する。どのような奥深い地にも
人々の暮らしと歴史があるんだなあと。
「パンツとか靴下とか小物の衣類を干す
洗濯はさみがいっぱいついてるやつ」
の正しい名称が分からず、検索に時間がかかった。
そういうときってどうやって調べたらええんやろ。
イメージ検索は、手元に画像がないと駄目やし、
手書きの絵で画像検索するサービスがあればウケるかもしれない。
手書きの文字を漢字に変換する技術は昔からあるから、理論的には
可能と思う。
手書きの絵を画像に変換してイメージ検索する手もありそうだが、
よほど上手くないと失敗するらしいので、やはり別の方法に
よらねばならない。
この所雨降っても止んでも
ずーっと部屋の湿度が70%くらいあって
正直しんどい。不快だし、寝苦しい。
エアコンの除湿機能使っても全然効果ないし、
除湿機買うしかない。けど、一年に何日使うか
分からない上に場所も取るようなものを、わざわざ
買いたくない。
早く梅雨終わってほしいなあ。
ねこ
今どきの感覚で絵本を描いたら、こんな感じなのかなという。
ところで、世の中に漫画家という人はどれくらい居るのか
考えた。紙ベースの漫画雑誌は、僕が知っているだけでも
50誌は下らないし、それぞれに20人が連載を持っているとして
既に1,000人。少女漫画など女性向きのものは別途同じくらい
あるかもしれないし、幼児向けの漫画も存在する。
さらに最近は、紙を上回る量のWEB漫画が掲載されている。
一年間に出版される漫画の単行本は12,000冊だそうで、
漫画を学ぶ学生の総数は5,000人ほどだそうだ。
創作漫画しか認めないコミティアの参加者はおよそ4,000、
二次創作もありなコミックマーケットでは30,000ほどらしい。
・・・まあ、ざっと数千人はおるんやろうなあ。それでも人口比にして
1万人に1人未満。これほどの人数居るとしても、やっぱり
幻の職業という感は拭えない。