夜寝る頃、ツイッターライン上に
ニューヨーク市場の始値が流れてくるから
向こうはやっと今日が始まったんだと分かって
地球が丸いことをいつも気づかされる。
インターネットバンキングなんてものは
そもそもまだ製品として完成しておらず、
およそ世の中に出してはいけないレベル。
巷の大銀行までもが、簡単にハッカーに
顧客の預金データを盗まれ続けて、それでも
何食わぬ顔でサービスを続けてるなんて、
冷静に考えて、ほんまどうかしてる。
世界一堅物みたいな銀行家が、
死んでもやっちゃいけないような事やん。
金庫の鍵がガバガバって。
世の中、堂々としていて、大きい嘘ほど
案外まかり通るから、これもそういう類だと思う。
集団幻想の中に居るみたい。
東大理学部の英才が、新興宗教にはまってるみたいな
薄気味わるい状況。
送信エラーメッセージの「メーラーデーモン」てずっとdemon(悪魔)やと思ってたけど、
別の単語やったんや。daemon(守護神)。
メールマスターより連絡、みたいな意味だそう。
物語シリーズの神原サイド。
コスチューム、髪型、めがねとか、テーマカラーとか、分かりやすい所では
外見を変え、さらには性格までもシーズンにより設定を簡単に変えてしまう。
こういうやりかたは感心しない。
そして新キャラをどんどん出し、古くなったキャラは順番に退出させる。
やってることAKBと一緒。女子アナウンサーと一緒。
登場人物の使い捨てがウケるという事は、
客側が、すぐ見て分かる直接的なものを好み、かつ飽きっぽいんやろうけど、
それってもう工業製品とか無生物の特徴やから、危うさを感じる。
アニメは工業製品やけど、長く続く作品の場合、キャラクターに
ファンが着くのが普通やと思うけど、これに関しては、なんかもう
そういう次元じゃないような。
生き物は継続的にだんだん変化していくし、過去の蓄積の上に成り立っている
ものやのに、それを否定するということは、将来を考えず、過去も忘れて、
その場しのぎだけでやっていくという事なんやろか。
そもそも若者ってそういうものという気もするけど、
年々拍車がかかっていってる。
昭和の昔よりも、僕の知る90年代や00年代よりも
一層ひどくなってるという実感がある。
そういう僕自身も全く将来のことなんか計画しようとは思わないけど。
年々、先行きが見通せない社会になってるということは確か。
案外、標高が1600メートルもあるので
高原特有の清々しさを感じることができる。
正木峠の立ち枯れは不思議というか幻想的な感じがしたし、
大蛇(だいじゃぐら)の絶壁は肝が冷えた。
当地は雨雲銀座だが、今日はラッキーなことに
秋晴れの申し分ない天気だった。
行ってよかった大台ケ原。
家から片道4時間半もかかるけど。
吉野は遠い。
あと、近鉄に人群がり過ぎ。
京都から大和西大寺までずっと立ちっぱなしだったし、
その後もずっと人多い。
二時間かかってやっと着いた。
松月館よい。
最低限簡素な設備が完璧に揃ってる。
実はこれがなかなか難しい。
こんな、ど田舎にあってこれは有り難い。
そういや海外では朝方チェックアウトというとむしろ怒られるけど、
日本では早く出発することは権利放棄であり決して注意されることはない。
このあたりの価値観の違いは本当に興味深い。
コンビニに行こうにも、外は街灯もロクになく、満天の星が瞬くばかり。
コンテイジョン
ウイルスパニックもの。
ドキュメンタリー仕立てになってて
淡々と全人類に感染と死が蔓延するって話。
あっちこっちで暴動が起きながらも、結局は
大半の市民は為すすべなく、比較的大人しく暮らしているという。
薬はかなり経ってから開発されたけど、
行き渡るまでにさらに多くの時間を要するから
抽選になり、薬を狙った身代金事件が多発する世界。
国境は封鎖され、食料は配給制となり、略奪は日常となる・・。
ただ、この映画では、たったの一日二日で、患者数が倍々ゲームに
なっていくというものであって、ここが一番非現実的だと思う。
究極的に、人類にとって脅威となるものは、人類自身を除けば
病気以外にないと思うけど、さらに考えれば、結局「病気の感染率」
が肝であって、唯一、地球上のトップに君臨する人間を凌駕する要素と思う。
その病気がどれくらいのスピードで広がるのか、というものは全く
偶然によるもので、とすれば、人間の行く末は、いまだ21世紀ですら
運に握られているんだと言える。
つまり、人間の繁栄は、たまたま運が良かっただけという事になり、
そう考えると、まさに空しい事この上ない。
公称で感染者が現在1万人弱だから、実際には倍はいるとして、
2万人。シエラレオネ・リベリア・ギニアでは既に現時点で制御が不可能と
認めているから、あとは際限なく感染者が増えると予想できる。
3カ国の合計人口は2000万で、これまでのペースだとだいたい1ヶ月で2倍に増えて
いて、感染から死亡または快癒まで1ヶ月くらいだそうだから、
最後の1ヶ月は、最高1000万の人間が同時に感染していることになる。
そうすると、現状の数百倍となり、計算どおりなら来年の真夏くらいである。
現状で既に、同時に数人が、世界各地でちらほら発症している。
これが数人でなく数百人から千人となると、どう考えても封じ込めない。
現状の数百倍の患者数ということは、確率的に言って、あらゆる国で感染者が
しかも複数同時に発生することになる。ここまではたぶん、もう規定路線だと思う。
しかし、先進国では流行するにしたって上記3カ国よりは遥かに増殖ペースが
鈍いはず。
仮に増殖ペースがアフリカの1/3で、第三国への感染飛び火の1割が日本に
対するものだと過程しても、感染者発見から1年後で患者数1千人。
それくらいなら、複数の薬を用意するにしても、企業の垣根を越えて
量産するなら、なんとかなるレベル。
本気になって入国者を監視し、社会全体で治療にあたり、一市民レベルで
感染を警戒するなら、やがては収束可能と思う。
結局、懸念されることは、自身が実際に感染してしまうことというより、
感染が継続・増加する段階で、社会全体で、他人との接触、接近を極端に
避け、また特定の品物の買占めが起きる事態である。
それが数ヶ月からへたすると数年続くかもしれない。
したがって、とりあえず石鹸とマスクを今の時点で買い占めておいた。
去年はひまわり畑を見たから、
今回はコスモスかと思って、
亀岡市の休耕地まで行ってきた。
個人的にはオレンジのやつが好きだが、
あれだけ多様な色の品種が植えられているのに
見当たらなくて、少しがっかり。
調べてみると、厳密にはコスモスの仲間ではないらしいが。
淡いピンクとか、いっそ純白とか、そういう色が似合うと思う。
コスモスは儚げな感じがいい。
真っ赤な奴とかは、存在感主張し過ぎてて、これじゃない感が。
のんびり亀岡のど田舎を散歩してスッキリ。
行ってきた。
低価格で、品質はそこそこという感じ。
普段着が、いちいち馬鹿みたいに3、4千円もしなくていいと考える
僕みたいな人には向いていると思う。
大半はそういう服で、あとは一張羅が1、2着もあれば十分。
平民の分際でそれ以上は不要。
そういや店内放送で、ふなっしーが商品の宣伝をしてたっぽいが
例のテンションで喋りよるから、何言ってんのか分からない。
おもしろいけど、完全にミスキャスト。
会社の売店でういろう買うときに、
電子決済の所に、ういろうをかざしそうになった。
考え事してたにせよ、自分のポンコツさ加減にウケるしかない。
papers please
ツイッターで、最近話題の入国審査官のゲームを知った。
基本的には間違い探しのゲームやけど、ゲートを訪れる
一人一人にドラマがあり、冷戦下の旧共産圏ていう世界観も
あって、なかなか面白い。
入国審査官側も、普通に働いているだけではジリ貧状態で
生きるために賄賂や犯罪組織とも関わらざるを得ない・・という
なんとも生々しいやりとりが楽しい。
昨日やっていた事務手続きが、今日はもう変わってて、しかもそれに
大した理屈もない・・ってとこは、事務仕事やってると身に染みて感じる。
なんというか妙なリアリティがある。このゲーム。
奈良の春日大社の裏山。
建立以来、基本的に人の手が加わってないとか。
たぶん根本的に人工林にしてないってだけで、
明らかに維持・管理はしている様子が見られる。
とはいえ、市街地から2、3キロ奥に分け入っただけで、
完全に鳥獣の世界というか、木々の音しか聞こえない
静寂の空間になる。
僕は根っからの都会人だから、やっぱりこういう
自分以外は全て自然という所に来ると、不安が先行する。
自然を満喫しながらも、足早に通り過ぎて、出来るだけ早く
元の世界に戻りたいという思いが募る。
人ひとり来ないような山奥で一人テント暮らしなんかした日には
気が狂うかもしれない。