「蜘蛛とわたし」は、その1、その2、その3、その4で完結しています。
「蜘蛛とわたし」 その1
・・・本文・・・・
シャワーを浴びてドアを開けると、猫のキナコがこちらに背を向けて天井を見上げていた。
毛色があべかわ餅の黄な粉にそっくりな、美味しそうな色だったので付けた名前だ。
このところ、キナコが見つけるものは、だんご虫か、小さな蜘蛛である。
そんなとき、私は、たいていティッシュにそっとくるんで外へ出す。生き物をむやみに殺すのは、なるべく避けたいのだ。
天井を見上げているキナコを見たとき、私はすぐに「蜘蛛だな」と思った。
なぜなら、天井を逆さまに這うだんご虫など、お目にかかったことはないからだ。
天井じゃぁ、しかたないなぁ・・・見なかったことにしよっと。
いつもの「ま、いっか」という私なりのポジティブシンキングで、この件については確認作業無しに通過しようと思いつつも、なんとなく自然の摂理ともいうべき成り行きか、私は、ゆっくりと顔を上げてしまった。
予想通り、そこには蜘蛛がいた。
が、しかし、そこにいた蜘蛛は、いつもの蜘蛛とは少々違っていたのである。
いや、実のことろ、私はそれを見るや、空気の漏れるような、なんとも情けない悲鳴を上げてしまった。
というのも、その天井にいらした蜘蛛というのが、並みの大きさではなかったからである。
具体的にご説明するが、胴体は和菓子のきんつばほどの存在感があり、手、いや、脚なるものは、一つ一つのパーツが僅かに動くだけでギリギリ音を立てているのが聞こえてきそうなほどの大迫力なのだ。
あら、やだ、これは見なかったことにはできないわぁぁぁ
私のポジティブシンキングは、木っ端微塵に消し飛んだ。
なんとしても、蜘蛛様に出て行っていただかなくてはならない。
ん? 蜘蛛に「様?」
この時点で、すでに腰が引けている。
まぁ、様でもなんでも、とにかく出て行ってもらおう。
しかし、どうやって?
いつものように、ティッシュでくるむなどというわけにはいかぬ。
あいつが、ティッシュ一枚隔てた私の手の中で蠢くことを考えただけでも、鳥肌が立ってきた。
猫のキナコは相変わらず蜘蛛を見上げている。
とにかく冷静に対処しなければならない。
そうなのだ。私は始めて自分が裸であることに気付いた。
この蜘蛛が雄なのかどうかはわからないが、一応、何かを羽織らねば、と私は思った。
1メートルほど先のワゴンの中にバスタオルがある。手を伸ばそうと思ったが、悪いことに、そこは蜘蛛の真下だった。
「ちょっと、キナちゃん、見張っててよ。落ちてきそうだったらすぐ知らせるのよ」
私はキナコに運命を託し、タオルに手を伸ばした。その時だ。
「ウーッ」
キナコが喉を鳴らした。警戒の合図である。
私の手は、目にもとまらぬ速さでタオルを取った。我ながら素早い身のこなしだ。
ほっとしたのも束の間、見上げると蜘蛛がいない。
いない?
あらぁ・・・・っととと、えっ、どこどこよ? ひょえっ?
なんと蜘蛛は私の頭上にいるではないか!
ぐわぁっ!
この「ぐわぁっ」は、つまりムンクの「叫び」にも値する「ぐわぁっ」である。
このとき、もしも、蜘蛛が私の口めがけてダイビングを試みていたならば、その命中率は、限りなく100パーセントに近かったであろう。
私は歪んで開いた自分の口を、あわててタオルで覆った。
奴のほうが上手なのは確かなようだ。
私はとにかくタオルを体に巻きつけ、キナコのほうへ一歩寄った。この際、頼りになるのは、彼だけである。
蜘蛛の真下からは、なんとか一歩逃れた私は、しかし、それ以上、どうにもできない。
私のいる洗面所から廊下へ出るドアは半開きになっていて、蜘蛛がいる天井の位置は、そのドア寄りの絶妙な座標をピンポイントでおさえている。
この狭い洗面所の空間に、生まれも育ちも違う三つの心臓が、それぞれの位置でバクバクやっているのだ。
「どうしよう? ねぇ、キナちゃん、ジャンプしてみたらどうかしらねぇ。キナちゃんなら、やってやれないこともなさそうよ。ぴょいっっと跳んで、パチンとやって、この際、ガブリッとやっても、あとで責めたりしないわぁ」
いざとなると人間は、けっこう自分勝手だ。
むやみに生き物は殺さないわ。一寸の虫にも五分の魂。おばあちゃんの教えだわ。って言ってたのはダレダ?
日頃のテレビのニュースを観て、「・・・・ったく、だから政治家って信用できないわっ」な~んて言ってた自分をすっかり忘れている。
さて、猫をおだててはみたものの、なんの解決にもならないことは明らかで、私は仕方なく再び天井を見上げてみた。
あぁ、やっぱりいるのね。。。いるのよねぇ。
あんなに重そうなものが、どうして天井にくっついていられるんだろう・・・
そ、その瞬間である。なんと、キナコが果敢にも蜘蛛めがけてジャンプしたのだ。
安倍川餅がびろろろろ~んと伸びて、キナコは、彼の現時点での最高点までジャンプした。
短い前足はスーパーマンのように伸ばしてカッコ良い!
右前足をほぼ垂直にターゲット方向へ伸ばし、左前足をちょっとずらして、肉球グーだ。
ウルトラマン姿勢ともいえるな。絵が浮かんだかな?
さて、しかしながら、なんといっても相手は天井に張り付いているのだ。キナコがいくら猫とはいえ、届くはずはない。
どちらの前足も、空を切って、あえなくキナコは、床にどてっと着地した。
「えらいわぁ、キナちゃん、私のために・・・」
キナコに感謝の言葉を述べようとしたが、そんな時間はなかった。
キナコの攻撃に腹を立てたのか、蜘蛛が行動に出のだ。
稲妻のように黒い影が走った!
瞬き一回して再び目を開けた時、私は、奴を、私と同じ標高に発見することとなった。
蜘蛛は床に下りて来てしまったのだ!
なんという素早さか!こいつワープでも出来るんだろうか?
やぶ蛇とは、まさにこのことだ。
私の頭の中で、ベートーベンの運命、ジャジャジャジャ~ンってのが聞こえた。
しかしながら、それにも増してショックだったのは、このとき、今の今まで彼こそは、と思って頼りにしていたキナコが、私を見捨てて、ダダダダダッと走り去ったことである。
その敏速であったこと・・・
廊下へ出て逃げ去る彼は、たぶん、自己最高記録を更新したに違いない。
速いのね・・・いつもは寝てばかりいるのに・・・・。
他人を信用するなかれ。飼い猫を頼りにするなかれ。
この裏切り忘れまじ!おのれキナコめぇ、待てぇえ!
っと、里見八犬伝のたまずさが怨霊のごとく見得を切って追いかけたいのは山々なれど、
蜘蛛をまたいで行くことはできない。キナコを責めるのは後回しだ。
私にはたった今の自分の置かれている状況を冷静、沈着に解析することが急務なのだ。
蜘蛛はキナコが出て行った戸口のところに立ちはだかっている。
「急ぐ」とか、「テキパキ」とかいった言葉は、私の辞書には無いはずであったが、この際、入力しなおさなければなるまい。
私に、逃げ道は無いのだ!
絶対絶命、大ピンチ。
蜘蛛は私のほうを向いている・・・らしい。
天井の上にいたときよりも、その存在感は倍増していて、床から盛り上がった毒キノコのように不気味だ。
毒? ・・・・考えるのはやめよう。
それにしても、なんでこうなるのだ?
私が攻撃したわけではない。攻撃したのはキナコなのだ。
どうしてキナコを追いかけないのだ?
確かに私がそそのかした、と言われればそうだけど。
まるで私がキナコに言ったことを聞いて理解したとでも言うみたいじゃぁないのん? !!!!!!
まさか、まさかねぇ。
しかし、私の目の前、ほんの一歩のところに鎮座する蜘蛛様は「その通りだぜ、パチンとやってガブッだとぉお!言ってくれたじゃねぇか、おねえさん」
と言わんばかりに私をにらみ付けているではないか!
おいおい、
「おねえさん」じゃなくて「オバサン」でしょう、というご指摘もあろうが、ちょっとそのボーダーラインの件は、脇に置かせてもらう。
さて、このとき、私の頭の中に、パッパッパッと
なんと黒柳徹子さんの顔が浮かんだ。
「蜘蛛とわたし」その2へ続きます
「蜘蛛とわたし」 その1
・・・本文・・・・
シャワーを浴びてドアを開けると、猫のキナコがこちらに背を向けて天井を見上げていた。
毛色があべかわ餅の黄な粉にそっくりな、美味しそうな色だったので付けた名前だ。
このところ、キナコが見つけるものは、だんご虫か、小さな蜘蛛である。
そんなとき、私は、たいていティッシュにそっとくるんで外へ出す。生き物をむやみに殺すのは、なるべく避けたいのだ。
天井を見上げているキナコを見たとき、私はすぐに「蜘蛛だな」と思った。
なぜなら、天井を逆さまに這うだんご虫など、お目にかかったことはないからだ。
天井じゃぁ、しかたないなぁ・・・見なかったことにしよっと。
いつもの「ま、いっか」という私なりのポジティブシンキングで、この件については確認作業無しに通過しようと思いつつも、なんとなく自然の摂理ともいうべき成り行きか、私は、ゆっくりと顔を上げてしまった。
予想通り、そこには蜘蛛がいた。
が、しかし、そこにいた蜘蛛は、いつもの蜘蛛とは少々違っていたのである。
いや、実のことろ、私はそれを見るや、空気の漏れるような、なんとも情けない悲鳴を上げてしまった。
というのも、その天井にいらした蜘蛛というのが、並みの大きさではなかったからである。
具体的にご説明するが、胴体は和菓子のきんつばほどの存在感があり、手、いや、脚なるものは、一つ一つのパーツが僅かに動くだけでギリギリ音を立てているのが聞こえてきそうなほどの大迫力なのだ。
あら、やだ、これは見なかったことにはできないわぁぁぁ
私のポジティブシンキングは、木っ端微塵に消し飛んだ。
なんとしても、蜘蛛様に出て行っていただかなくてはならない。
ん? 蜘蛛に「様?」
この時点で、すでに腰が引けている。
まぁ、様でもなんでも、とにかく出て行ってもらおう。
しかし、どうやって?
いつものように、ティッシュでくるむなどというわけにはいかぬ。
あいつが、ティッシュ一枚隔てた私の手の中で蠢くことを考えただけでも、鳥肌が立ってきた。
猫のキナコは相変わらず蜘蛛を見上げている。
とにかく冷静に対処しなければならない。
そうなのだ。私は始めて自分が裸であることに気付いた。
この蜘蛛が雄なのかどうかはわからないが、一応、何かを羽織らねば、と私は思った。
1メートルほど先のワゴンの中にバスタオルがある。手を伸ばそうと思ったが、悪いことに、そこは蜘蛛の真下だった。
「ちょっと、キナちゃん、見張っててよ。落ちてきそうだったらすぐ知らせるのよ」
私はキナコに運命を託し、タオルに手を伸ばした。その時だ。
「ウーッ」
キナコが喉を鳴らした。警戒の合図である。
私の手は、目にもとまらぬ速さでタオルを取った。我ながら素早い身のこなしだ。
ほっとしたのも束の間、見上げると蜘蛛がいない。
いない?
あらぁ・・・・っととと、えっ、どこどこよ? ひょえっ?
なんと蜘蛛は私の頭上にいるではないか!
ぐわぁっ!
この「ぐわぁっ」は、つまりムンクの「叫び」にも値する「ぐわぁっ」である。
このとき、もしも、蜘蛛が私の口めがけてダイビングを試みていたならば、その命中率は、限りなく100パーセントに近かったであろう。
私は歪んで開いた自分の口を、あわててタオルで覆った。
奴のほうが上手なのは確かなようだ。
私はとにかくタオルを体に巻きつけ、キナコのほうへ一歩寄った。この際、頼りになるのは、彼だけである。
蜘蛛の真下からは、なんとか一歩逃れた私は、しかし、それ以上、どうにもできない。
私のいる洗面所から廊下へ出るドアは半開きになっていて、蜘蛛がいる天井の位置は、そのドア寄りの絶妙な座標をピンポイントでおさえている。
この狭い洗面所の空間に、生まれも育ちも違う三つの心臓が、それぞれの位置でバクバクやっているのだ。
「どうしよう? ねぇ、キナちゃん、ジャンプしてみたらどうかしらねぇ。キナちゃんなら、やってやれないこともなさそうよ。ぴょいっっと跳んで、パチンとやって、この際、ガブリッとやっても、あとで責めたりしないわぁ」
いざとなると人間は、けっこう自分勝手だ。
むやみに生き物は殺さないわ。一寸の虫にも五分の魂。おばあちゃんの教えだわ。って言ってたのはダレダ?
日頃のテレビのニュースを観て、「・・・・ったく、だから政治家って信用できないわっ」な~んて言ってた自分をすっかり忘れている。
さて、猫をおだててはみたものの、なんの解決にもならないことは明らかで、私は仕方なく再び天井を見上げてみた。
あぁ、やっぱりいるのね。。。いるのよねぇ。
あんなに重そうなものが、どうして天井にくっついていられるんだろう・・・
そ、その瞬間である。なんと、キナコが果敢にも蜘蛛めがけてジャンプしたのだ。
安倍川餅がびろろろろ~んと伸びて、キナコは、彼の現時点での最高点までジャンプした。
短い前足はスーパーマンのように伸ばしてカッコ良い!
右前足をほぼ垂直にターゲット方向へ伸ばし、左前足をちょっとずらして、肉球グーだ。
ウルトラマン姿勢ともいえるな。絵が浮かんだかな?
さて、しかしながら、なんといっても相手は天井に張り付いているのだ。キナコがいくら猫とはいえ、届くはずはない。
どちらの前足も、空を切って、あえなくキナコは、床にどてっと着地した。
「えらいわぁ、キナちゃん、私のために・・・」
キナコに感謝の言葉を述べようとしたが、そんな時間はなかった。
キナコの攻撃に腹を立てたのか、蜘蛛が行動に出のだ。
稲妻のように黒い影が走った!
瞬き一回して再び目を開けた時、私は、奴を、私と同じ標高に発見することとなった。
蜘蛛は床に下りて来てしまったのだ!
なんという素早さか!こいつワープでも出来るんだろうか?
やぶ蛇とは、まさにこのことだ。
私の頭の中で、ベートーベンの運命、ジャジャジャジャ~ンってのが聞こえた。
しかしながら、それにも増してショックだったのは、このとき、今の今まで彼こそは、と思って頼りにしていたキナコが、私を見捨てて、ダダダダダッと走り去ったことである。
その敏速であったこと・・・
廊下へ出て逃げ去る彼は、たぶん、自己最高記録を更新したに違いない。
速いのね・・・いつもは寝てばかりいるのに・・・・。
他人を信用するなかれ。飼い猫を頼りにするなかれ。
この裏切り忘れまじ!おのれキナコめぇ、待てぇえ!
っと、里見八犬伝のたまずさが怨霊のごとく見得を切って追いかけたいのは山々なれど、
蜘蛛をまたいで行くことはできない。キナコを責めるのは後回しだ。
私にはたった今の自分の置かれている状況を冷静、沈着に解析することが急務なのだ。
蜘蛛はキナコが出て行った戸口のところに立ちはだかっている。
「急ぐ」とか、「テキパキ」とかいった言葉は、私の辞書には無いはずであったが、この際、入力しなおさなければなるまい。
私に、逃げ道は無いのだ!
絶対絶命、大ピンチ。
蜘蛛は私のほうを向いている・・・らしい。
天井の上にいたときよりも、その存在感は倍増していて、床から盛り上がった毒キノコのように不気味だ。
毒? ・・・・考えるのはやめよう。
それにしても、なんでこうなるのだ?
私が攻撃したわけではない。攻撃したのはキナコなのだ。
どうしてキナコを追いかけないのだ?
確かに私がそそのかした、と言われればそうだけど。
まるで私がキナコに言ったことを聞いて理解したとでも言うみたいじゃぁないのん? !!!!!!
まさか、まさかねぇ。
しかし、私の目の前、ほんの一歩のところに鎮座する蜘蛛様は「その通りだぜ、パチンとやってガブッだとぉお!言ってくれたじゃねぇか、おねえさん」
と言わんばかりに私をにらみ付けているではないか!
おいおい、
「おねえさん」じゃなくて「オバサン」でしょう、というご指摘もあろうが、ちょっとそのボーダーラインの件は、脇に置かせてもらう。
さて、このとき、私の頭の中に、パッパッパッと
なんと黒柳徹子さんの顔が浮かんだ。
「蜘蛛とわたし」その2へ続きます